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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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知足。足ることを知る 

 知足、「足ることを知る」。これがとても大切だと子供の頃に学びました。子供の頃は、今あるもので満足し、不平不満を言わないことであると。。。そう解釈しておりました。
 だからどんなに貧しくても、貧しいなりに満足すること。。。どんなに欲しいものがあっても、欲しいという欲求を抑えて不平不満の心を抱かないことだと。。。

 確かに、そういう気持ちは大切だと思いますが、今にして考えると随分と幼稚な解釈だと思います。今なら、私はどのようにこの言葉を解釈するのだろうと、あらためて考える機会を得ました。

 人生において足らざるものはない。。。けれども、多くの人は自分の人生に足りないものがあると、そう考えています。。。
 経済的なもの、あるいは誰かの愛情、幸福な人生を築くための運、、、足らざる、、、と考えているものには具体的なものから抽象的なものまで色々とあるに違いありません。けれど果たして、それが手に入ったとして、本当に幸せになれるのでしょうか。。。?

 私たちの欲望には限りがないとよく言われます。無ければ無いで欲しくなり、得れば得たでもっと欲しくなる。。。あきる事がない欲望を満足させることなど出来ないのだと。。。
 当時はその満足する事のない限りない欲望のままに渇望しても、心は苦しむばかりで平安の心とは程遠い。。。だから、ある程度のところで満足して良しとしなさいと、そう思っていたわけです。

「ある程度」を何処に設定するかという、とても曖昧な問題を含んではいましたが、なるほど知足とはとても大切なことなのだと、、、私の頭に刻まれました。
 それも今にして思えば致し方のない事だったと思います。当時は高度成長時代末期で多くの人が物質的な豊かさを求めていた時代でしたから、子供心にも、それではあまりにもあさましいのではないかと、、、そう、感じていましたから。。。

 けれど知足の本当の意味は、そのような浅いところにあるのではないと知ったのは、そう遠い昔ではありませんでした。
 心の法則を知るにつれて知足とは豊かさをもたらす法則であることにも気付きました。そのからくりは、私たち自身の思いを、私達は体験するという実にシンプルな決まりごとにあります。

 あれも欲しい、これも欲しいと、不足ばかり感じている心、、、この思いによって、まさに私達は不足を体験する事になるという、簡単な事でありました。。。

 何かを欲しいと思う気持ちは不足を感じる心から生まれます。私達は不足を感じ、不足を埋めようと考え行動する事になります。。。
 善因善果、悪因悪果という蒔いたものの種類と同じものを受け取るという法則からすれば、不足感からでた思いや行動は、常に不足という体験を生み出し続けます。つまり、私達はいつまでたっても不足感から逃れる事はできません。。。

 けれど知足の心は、満足感から考え行動する事になります。。。聖書には

思い煩うな、主なる神は野は働くこともつむぐ事もしない。しかし栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾ってはいなかった。。。

 とあります。もちろん働く必要などないと言っている訳ではありません。大切な箇所は『思い煩うな』です。
 この節の前には『二人の主人に仕えることは出来ない』という一文と、有名な『天に宝を蓄えなさい』という一文があります。
 この場合、知足と足らざると思う心の事といっても良いでしょう。足ると思う心も、足らざると思う心も、思いであって形のある『物』ではありません。だから、天に宝を蓄えよとは、満足する心『知足の心』を持ちなさいと言っている様に聞こえます。。。実際、少し長くなりますが、この後に、、、

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
 あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがに必要であることをご存知である。
 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添え与えられるであろう。
 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自信が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。



 ところで、私たちの考え、行動の元になっている思考、不足感とか満足感の「感」を『根になる思考』といいます。そして、この根になる思考の集大成が『自己像』と呼ばれるものです。
 思いは現実を作りますが、それは実は私たちの日々の思いとは少し違います。一瞬一瞬の日々の思いも確かに現実を作りますが、この根になる思考ほどの力はありません。

 あなたが何かを考え、思う時の、最も根本にある○○感。。。これがあなたの現実を作り出している大本なのです。
 この根になる思考を知るためには、自分に気付いていなければなりません。そして、不安、焦り、心配、怒り、憎しみ、不足感、、、そこから考え始めてはいけません。。。その事に気が付いた時は、何もしないほうがずっとましです。

 あなたが不安感から思考を始めるとき、あなたは不安に仕えます。あなたが満足感から考え始める時、あなたは満足に仕えます。。。二人の主人に仕える事は出来ません。。。

 知足。。。あなたも一緒に天国に宝を蓄えてみませんか?

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2007/06/18 23:58|未分類TB:0CM:2
 

知足。足ることを知る。。。 

 知足、「足ることを知る」。これがとても大切だと子供の頃に学びました。子供の頃は、今あるもので満足し、不平不満を言わないことであると。。。そう解釈しておりました。

 だからどんなに貧しくても、貧しいなりに満足すること。。。どんなに欲しいものがあっても、欲しいという欲求を抑えて不平不満の心を抱かないことだと。。。

 確かに、そういう気持ちは大切だと思いますが、今にして考えると随分と幼稚な解釈だと思います。今なら、私はどのようにこの言葉を解釈するのだろうと、あらためて考える機会を得ました。

 

 人生において足らざるものはない。。。けれども、多くの人は自分の人生に足りないものがあると、そう考えています。。。

 経済的なもの、あるいは誰かの愛情、幸福な人生を築くための運、、、足らざる、、、と考えているものには具体的なものから抽象的なものまで色々とあるに違いありません。けれど果たして、それが手に入ったとして、本当に幸せになれるのでしょうか。。。?

 

 私たちの欲望には限りがないとよく言われます。無ければ無いで欲しくなり、得れば得たでもっと欲しくなる。。。あきる事がない欲望を満足させることなど出来ないのだと。。。

 当時はその満足する事のない限りない欲望のままに渇望しても、心は苦しむばかりで平安の心とは程遠い。。。だから、ある程度のところで満足して良しとしなさいと、そう思っていたわけです。

「ある程度」を何処に設定するかという、とても曖昧な問題を含んではいましたが、なるほど知足とはとても大切なことなのだと、、、私の頭に刻まれました。

 それも今にして思えば致し方のない事だったと思います。当時は高度成長時代末期で多くの人が物質的な豊かさを求めていた時代でしたから、子供心にも、それではあまりにもあさましいのではないかと、、、そう、感じていましたから。。。

 

 けれど知足の本当の意味は、そのような浅いところにあるのではないと知ったのは、そう遠い昔ではありませんでした。

 心の法則を知るにつれて知足とは豊かさをもたらす法則であることにも気付きました。そのからくりは。。。

 私たち自身の思いを、私達は体験するという実にシンプルな決まりごとにあります。

 あれも欲しい、これも欲しいと、不足ばかり感じている心、、、この思いによって、まさに私達は不足を体験する事になるという、簡単な事でありました。。。

 

 何かを欲しいと思う気持ちは不足を感じる心から生まれます。私達は不足を感じ、不足を埋めようと考え行動する事になります。。。

 善因善果、悪因悪果という蒔いたものの種類と同じものを受け取るという法則からすれば、不足感からでた思いや行動は、常に不足という体験を生み出し続けます。つまり、私達はいつまでたっても不足感から逃れる事はできません。。。

 

 けれど知足の心は、満足感から考え行動する事になります。。。聖書には

 

思い煩うな、主なる神は野は働くこともつむぐ事もしない。しかし栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾ってはいなかった。。。

 

 とあります。もちろん働く必要などないと言っている訳ではありません。大切な箇所は『思い煩うな』です。

 この節の前には『二人の主人に仕えることは出来ない』という一文と、有名な『天に宝を蓄えなさい』という一文があります。

 

 この場合、知足と足らざると思う心の事といっても良いでしょう。足ると思う心も、足らざると思う心も、思いであって形のある『物』ではありません。だから、天に宝を蓄えよとは、満足する心『知足の心』を持ちなさいと言っている様に聞こえます。。。実際、少し長くなりますが、この後に、、、

 

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。

 あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがに必要であることをご存知である。

 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添え与えられるであろう。

 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自信が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

 

 ところで、私たちの考え、行動の元になっている思考、不足感とか満足感の「感」を『根になる思考』といいます。そして、この根になる思考の集大成が『自己像』と呼ばれるものです。

 思いは現実を作りますが、それは実は私たちの日々の思いとは少し違います。一瞬一瞬の日々の思いも確かに現実を作りますが、この根になる思考ほどの力はありません。

  

 あなたが何かを考え、思う時の、最も根本にある○○感。。。これがあなたの現実を作り出している大本なのです。

 この根になる思考を知るためには、自分に気付いていなければなりません。そして、不安、焦り、心配、怒り、憎しみ、不足感、、、そこから考え始めてはいけません。。。その事に気が付いた時は、何もしないほうがずっとましです。

 

 あなたが不安感から思考を始めるとき、あなたは不安に仕えます。あなたが満足感から考え始める時、あなたは満足に仕えます。。。二人の主人に仕える事は出来ません。。。

 知足。。。あなたも一緒に天国に宝を蓄えてみませんか?

 

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2007/06/18 23:17|未分類TB:0CM:12
 
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