地天泰(ちてんたい) この卦は地の卦が上にあり、下へ下がろう下がろうとし、天の卦が下にあって、上へ上がろう上がろうとするので、天と地がピッタリとくっついて離れず和合している。それ故に万事安泰であると書かれています。 天の卦は力、権威、権力のある人を示し、地の卦は労働階級とか一般的な人を示します。卦形を見ると、その権力のある人が下になって、力のない一般市民を押し上げようと支えている形をしていますから、このようであってこそ社会は安泰であると解いているわけです。 地の卦は下へ下ろうとするのですから、自分の分をわきまえて謙譲の心を忘れず、力ある人は弱い人を支えようとして持ち上げている。。。まさに、理想的な国家像ではないでしょうか。 また天卦は主人、地卦は妻女を示しますので、最も小さな単位の国家である家庭もかくの如しというわけです。 私はこの卦を見ると、いつもカカア殿下の家庭ほどうまく行くのではないかと思います。と言っても、ただただ妻女が一家の主人を見下しているようでは、謙譲の心に欠いていますので論外ですが。。。 天卦は剛強で動いて止まずの卦なのですが、そうであってこそ妻女を支える事ができます。実のない男性は、その支える力が弱いのも現実でしょう。 卦形を見ると陰と陽の数が同じですから、男女ともにバランスが取れていること、、、それが最も大切なことかもしれません。 ところで、地は物質、天は諸法を表しています。物理世界が安定していられるのは、絶えず諸法が働いているからで、この働きなくして世界はその形を留める事は出来ません。 私たちには、上にある地(物質)のみが見えて、その影で働いている天(諸法)は中々見る事が出来ません。それ故に、往々にして形あるものにのみ捉われ、諸法を忘れてしまいます。 易経では「体」と「用」という概念がありますが、これは見た目と用き(はたらき)という意味です。言葉を変えれば、行動と考えともいえますし、心と身体とも言えるでしょう。よく言われる霊主体従という概念と一致するように思います。 形あるものは、その後ろに隠れた働きによって支えられている事を知るのはとても重要な事だと思います。 地は安定、天は変化という意味もあります。。。もし、そのままに読めば、安定は変化が支えているという事になります。これは物理などの世界ではとても常識的なことではないでしょうか。。。石のように堅固な形も、原子レベルでは忙しく動き回っているという、そんな世界を表しているのかもしれません。 人の心も同じで、昨日のAさんと、今日のAさんが同じように見えても、気が付かないところで絶えず変わっています。それ故に変わっていないように見えるのかもしれませんね。。。 ところで地卦は妻女、母を表す卦ですが、心理学では母性の事をアニマというのはご存知でしょう。このアニマはラテン語の「魂」から来ている言葉ですが、文字通り女性性は魂を象徴しています。魂の事を「心魂」というように、私達の人格的個性や働きの象徴です。 これに対して「霊」は男性性を象徴していて、それが天卦に喩えられます。 地天泰は、魂と霊性の和合を表していると読み解く事ができます。地は従順を意味し、天は能動性を意味します。つまり、私たちが自己の霊性に耳を傾けることが安定した人格を築く道筋だと教えているようにも思います。 従って女性性と男性性の結婚は、一人の人間の内部でも起こりえます。というより、私達はそれこそが目的で存在していると言えるかもしれません。 最後に六爻の意味を簡単に紹介致します。 初爻:同志とともに活動せよ。。。。霊と魂の考えを一致させよ。 聖書には「二人(霊と魂)または三人(霊・魂・体)が、わたしの名によって集まる所には、私もその中にいるのである」・・・マタイ福音書 ここで聖句を引用したが、同志とは理念を同じくする者という意味であるから、厳しい話だが理念のない人は同志に値しない。理念のない人は、その時々の気分、好き嫌いや自分の都合で物事を判断するからである。。。 二爻:汚濁を包容する度量、大河を徒渉する果断さ、疎遠な者と親しむ配慮、私縁を断ち切る公平さ、これらの大いなる徳を備えるならば、泰平の道をゆくことになる。 易経では、たびたび自分の好き嫌いで判断するなという訓戒が出てくる。この爻は中正の位置なので、偏りを持つのは宜しくないと教える事が多い。 三爻:諸行無常、盛者必衰の理を知って、惑わされずひたすら誠を尽くしなさい。もし相手にそれが通じなくても気にする事はない。 形のあるものは変わり行くもので、それは人の心も例外ではない。今通じなくともいずれ通じる事もあり、今通じていても、いずれ通じなくなる事もある。その度に、右だ左だと騒いでも詮無い事で、ここで気にするなとは、相手の対応に惑わされないようにという意味だろう。自分が真と思った事を淡々とすれば良いだけである。 四爻:自己満足に陥らず、ひたすら教えを乞う。心から乞い願えば自ずと誠心は培われる。 自分が何かに通じ始めると人は必ず増長する。通じるとは、誰かと比べて、力量が上だとか下だとか、そのような事ではないと思う。何かに通じようとして一心不乱に努力をしているなら、自分がどの程度通じたかは自ずと解るもので、この時、自分の中に得心という琴線に触れる一本の筋が通る。。。 この筋は誰かと比べて得られるものではなく、その筋が通ったと思わぬ限り、ひたすら乞い願うしかする事がないものだと思う。 心の琴線に触れた音色は様々で、弛んだ琴線の音色で満足する人も、はたまた、それでは満足できぬ人もあるが、もとより何か(誰か)と比べて聞こえる音色ではないので、これまた、ひたすら自己の心の音色を効き続けるしか道はなさそうだ。。。 五爻:常に謙虚であるように。 世の道理が見えてくれば人は謙虚にならざる得ない。人は最初、人と自分を比べるが、そのうち、人ではないものと自分を比べ始める。それにも飽きれば、結局自分で自分を比べるしかなくなるように思う。その時の自分は中々に厳しい。。。 上爻:いたずらに力で解決しようとしてはいけない。 力で解決しようとするのは一番簡単で楽な方法だと思う。時にそれは腕力であったり、言葉の力であったりするが、知力を使う人は少なく、まして、想いの力を使う人は更に少ない。。。 どの様な場合でも、安きに流れるのは人の情であるが、それでは何の発展もない。将来の発展が望めないのであるから、正しくとも後悔することになる。。。
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