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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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11.地天泰:和合の道 

 地天泰(ちてんたい)

 この卦は地の卦が上にあり、下へ下がろう下がろうとし、天の卦が下にあって、上へ上がろう上がろうとするので、天と地がピッタリとくっついて離れず和合している。それ故に万事安泰であると書かれています。

 

 天の卦は力、権威、権力のある人を示し、地の卦は労働階級とか一般的な人を示します。卦形を見ると、その権力のある人が下になって、力のない一般市民を押し上げようと支えている形をしていますから、このようであってこそ社会は安泰であると解いているわけです。

 地の卦は下へ下ろうとするのですから、自分の分をわきまえて謙譲の心を忘れず、力ある人は弱い人を支えようとして持ち上げている。。。まさに、理想的な国家像ではないでしょうか。

 

 また天卦は主人、地卦は妻女を示しますので、最も小さな単位の国家である家庭もかくの如しというわけです。

 私はこの卦を見ると、いつもカカア殿下の家庭ほどうまく行くのではないかと思います。と言っても、ただただ妻女が一家の主人を見下しているようでは、謙譲の心に欠いていますので論外ですが。。。

 天卦は剛強で動いて止まずの卦なのですが、そうであってこそ妻女を支える事ができます。実のない男性は、その支える力が弱いのも現実でしょう。

 卦形を見ると陰と陽の数が同じですから、男女ともにバランスが取れていること、、、それが最も大切なことかもしれません。

 

 ところで、地は物質、天は諸法を表しています。物理世界が安定していられるのは、絶えず諸法が働いているからで、この働きなくして世界はその形を留める事は出来ません。

 私たちには、上にある地(物質)のみが見えて、その影で働いている天(諸法)は中々見る事が出来ません。それ故に、往々にして形あるものにのみ捉われ、諸法を忘れてしまいます。

 易経では「体」と「用」という概念がありますが、これは見た目と用き(はたらき)という意味です。言葉を変えれば、行動と考えともいえますし、心と身体とも言えるでしょう。よく言われる霊主体従という概念と一致するように思います。

 形あるものは、その後ろに隠れた働きによって支えられている事を知るのはとても重要な事だと思います。

 

 地は安定、天は変化という意味もあります。。。もし、そのままに読めば、安定は変化が支えているという事になります。これは物理などの世界ではとても常識的なことではないでしょうか。。。石のように堅固な形も、原子レベルでは忙しく動き回っているという、そんな世界を表しているのかもしれません。

 人の心も同じで、昨日のAさんと、今日のAさんが同じように見えても、気が付かないところで絶えず変わっています。それ故に変わっていないように見えるのかもしれませんね。。。

 

 ところで地卦は妻女、母を表す卦ですが、心理学では母性の事をアニマというのはご存知でしょう。このアニマはラテン語の「魂」から来ている言葉ですが、文字通り女性性は魂を象徴しています。魂の事を「心魂」というように、私達の人格的個性や働きの象徴です。

 これに対して「霊」は男性性を象徴していて、それが天卦に喩えられます。

 地天泰は、魂と霊性の和合を表していると読み解く事ができます。地は従順を意味し、天は能動性を意味します。つまり、私たちが自己の霊性に耳を傾けることが安定した人格を築く道筋だと教えているようにも思います。

 従って女性性と男性性の結婚は、一人の人間の内部でも起こりえます。というより、私達はそれこそが目的で存在していると言えるかもしれません。

 

 最後に六爻の意味を簡単に紹介致します。

 

初爻:同志とともに活動せよ。。。。霊と魂の考えを一致させよ。

 聖書には「二人(霊と魂)または三人(霊・魂・体)が、わたしの名によって集まる所には、私もその中にいるのである」・・・マタイ福音書

 ここで聖句を引用したが、同志とは理念を同じくする者という意味であるから、厳しい話だが理念のない人は同志に値しない。理念のない人は、その時々の気分、好き嫌いや自分の都合で物事を判断するからである。。。

 

二爻:汚濁を包容する度量、大河を徒渉する果断さ、疎遠な者と親しむ配慮、私縁を断ち切る公平さ、これらの大いなる徳を備えるならば、泰平の道をゆくことになる。

 易経では、たびたび自分の好き嫌いで判断するなという訓戒が出てくる。この爻は中正の位置なので、偏りを持つのは宜しくないと教える事が多い。

 

三爻:諸行無常、盛者必衰の理を知って、惑わされずひたすら誠を尽くしなさい。もし相手にそれが通じなくても気にする事はない。

 形のあるものは変わり行くもので、それは人の心も例外ではない。今通じなくともいずれ通じる事もあり、今通じていても、いずれ通じなくなる事もある。その度に、右だ左だと騒いでも詮無い事で、ここで気にするなとは、相手の対応に惑わされないようにという意味だろう。自分が真と思った事を淡々とすれば良いだけである。

 

四爻:自己満足に陥らず、ひたすら教えを乞う。心から乞い願えば自ずと誠心は培われる。

 自分が何かに通じ始めると人は必ず増長する。通じるとは、誰かと比べて、力量が上だとか下だとか、そのような事ではないと思う。何かに通じようとして一心不乱に努力をしているなら、自分がどの程度通じたかは自ずと解るもので、この時、自分の中に得心という琴線に触れる一本の筋が通る。。。

 この筋は誰かと比べて得られるものではなく、その筋が通ったと思わぬ限り、ひたすら乞い願うしかする事がないものだと思う。

 心の琴線に触れた音色は様々で、弛んだ琴線の音色で満足する人も、はたまた、それでは満足できぬ人もあるが、もとより何か(誰か)と比べて聞こえる音色ではないので、これまた、ひたすら自己の心の音色を効き続けるしか道はなさそうだ。。。

 

五爻:常に謙虚であるように。

 世の道理が見えてくれば人は謙虚にならざる得ない。人は最初、人と自分を比べるが、そのうち、人ではないものと自分を比べ始める。それにも飽きれば、結局自分で自分を比べるしかなくなるように思う。その時の自分は中々に厳しい。。。

 

上爻:いたずらに力で解決しようとしてはいけない。

 力で解決しようとするのは一番簡単で楽な方法だと思う。時にそれは腕力であったり、言葉の力であったりするが、知力を使う人は少なく、まして、想いの力を使う人は更に少ない。。。

 どの様な場合でも、安きに流れるのは人の情であるが、それでは何の発展もない。将来の発展が望めないのであるから、正しくとも後悔することになる。。。

 

2007/09/28 14:43|卜術房:易に学ぶTB:0CM:0
 

10.天沢履:行動には常に危険が伴う 

 上卦「天」は動いて止まず、下卦「沢」は喜びの卦です。相手は剛強で気力、体力、知力、、、全てに充実しています。このような人に喜んで従うなら、大きく発展します。それがこの「天沢履(てんたくり)」の卦です。

 物事を実行に移すには、どんな事も危険が伴います。しかし、その危険を越えて行かなければ、何も為す事はできません。それで、虎の尾を踏むような危険があるが、先人に学んで慎重に事に当たれば、大きく発展すると書かれています。

 天沢履の履は「履き物」という意味で、「踏む」という意味があります。

 

 下から三番目(三爻)に陰があって、他はすべて陽で出来ています。この一陰は沢卦の一番上で、人間で言えば頭にあたります。その頭部が陰で力がありませんから、知恵や経験が不足している事を示しています。自分の経験や知恵に自惚れていると、人は誰でも危ういものです。

 若いと言う事は、危うさを知らない事であり、それ故に行動的です。しかし、その無知さゆえにどの様な危険、困難が待ち受けているか解りません。。。それを指導するのが長上の勤めであり、若者が喜んで目上の者に従うなら、危うそうに見えても大きく伸びてゆくと言うものです。

 

 考えてみると、年齢を重ねても学ぶ事が下手な人は沢山居ます。年上と言うだけで、聞く事をためらったり、素直になれずに学ぶ機会を逸します。

 何かを学ぼうと思う時、一番大切なのは素直さだとよく思います。。。私は素直な人を見るとそれだけで尊敬してしまいます。自分にはそれが不足していると常々思っているからです。色んな才能が取りざたされますが、私は素直さに勝る才能はないとすら思います。本当に、この才能だけは天性のものとしか思えません。。。

 けれど素直だと言う事は、同時に染まりやすいことでもあり、何に染まるかがとても重要でしょう。

 

 ところで、この卦は、三爻に一陰があって他は全て陽になっています。人の身体でいうと三爻はちょうど股間に当たります。一人の女性(陰)に五人の男性(陽)が群がっている形です。

 そのためこの卦を得たときは、男女間の問題は要注意です。三角関係、四角関係と、何かと複雑な事になる気配があるためです。

 また、これを転じて、この卦は欲望を慎むようにと教えています。知恵や体験が不足し、欲望のままに振り回されていては、ますます危うい事になりかねません。。。

 

 誘惑や欲望を退け、自分の能力を過大評価せずに進む事。また、目上や経験者の話に耳を傾けること。。。それが、この卦が教える、危機回避の方法ということになるでしょう。そうすれば大道を行く事ができます。

 

2007/09/06 23:08|卜術房:易に学ぶTB:0CM:2
 

風天小蓄:剛を制する方法を考える 

 風天小蓄(ふうてんしょうちく)は風が天の上にあり、今まさに風が吹かんとする象にあたる。原文には「亨 密雲不雨 自我西郊」とあって「密雲が垂れ込めてきたがまだ雨は降らない、西の方より降るだろう」という意味である。

 雨が振りそうで降らない鬱々とした卦である。西は易では坎卦(水)の方位で難事が起ころうとしている象でもある。

 

 卦形では4爻に唯一の陰爻があり、五つの陽爻を押し留めている。柔爻が押し留めているのだから少しか押し留める事ができないという意味になる。

 常軌を逸した天(君主・首長・主人)を、力の弱い陰爻(妻・臣下・後輩)が押し留めようというのであるから、柔よく剛を制するためには、それなりの策や心構えが必要になる。剛強な相手に力ずくで対抗しようとしてもうまくは行かないだろう。相応の考えが必要になるときである。

 

 また天下風上の卦は、動こう(天)として迷い(風)がある時を示すので、そのような時はやみくもに動くべきではない(少し留める・少し待て)という意味がある。

 私達は往々にして鬱々とした気分の時は、迷いつつも何とか打破しようとして動き回りたい衝動に負けてしまいやすい。しかし元々が迷いから発した行動なので途中で行き詰る事になる。湧き起こる衝動に耐えることも学ばないといけない。

 往々にして現代人は忍耐が苦手のように思う。忙しい、あわただしい毎日に追われ、それが当たり前になっているのかもしれない。それだから手持ち無沙汰になると何となく不安が生じて動かずにはいられないのだろう。動こうと思って動くのではなく、動かずにはいられないのであるから、基本的なところで踏み誤っているのではなかろうか。。。

 易は四時盛衰を説くが、動くべきではない時に動いても自らの首を絞めるだけで何の益もない。。。物事を手中に置いてコントロールしようと思うなら、まず自分の心からコントロールし始めなければならないだろう。

 

 こうした剛強なる者を押さえようとする時、如何にするべきかを易は教えている。

 まずは、はやりたつ心を抑えること。

 次に、良き友人の助言に従い、中道、中庸を守る事。

 次いで、誠意を持って接し、上下の心が和合する道(方法)を探る事。

 次に、何事も独占せず、分かち合うこと。

 最後に、自己をわきまえて決して出過ぎないこと。。。である。

 

2007/07/30 09:15|卜術房:易に学ぶTB:0CM:0
 

08.水地比:何に親しむか。。。 

 水地比(すいちひ)。前卦の地水師の後を追って、地と水の上下が逆転しています。大地の表面に水が湛えられた水田の象。あるいは水辺の象のようです。

 人の喉の渇きを潤す水が地下に隠れていた時は戦いの卦でしたが、水が表面に現れて潤し癒そうとしているかのようです。

 この様な水辺には多くの動物が集まってくるように、情愛(水)に満ち満面に湛えた人の所には、多くの人が集まってくるものです。けれど、水辺に集まってくるのは大人しい草食動物ばかりではありません。それらの動物を糧と見做す肉食動物も、水を求めて集まってきます。

 

 水地比の卦は人の和を示す卦ではありますが、その一方で誰に親しむか、何に親しむか?をきちんと考えなさいと教えます。

 そのことについて原文では「原筮 元永貞无咎」と、筮に問いなさいと書かれています。ここでの筮とは天意の事で「本当のあなた」と言っても良いかもしれませんね。。。

 

 「比」という文字は、前の人に両手を乗せて躍るフォークダンスのような形のことです(笑)

 そこから比肩(肩を並べる)とか、比較(比べる)と用いられるようになりました。互いに肩を抱き合う形にも似ていますので「親しむ」という意味が込められています。けれど先にも記したように、どの様な人物に親しむか、何に親しむかがとても大切です。

 人は自分に甘い相手に迎合しやすいものですし、若い頃には危うきに親しむ傾向があります。易では「比之匪人(これ比する人に非ず)」と書かれています。常軌を逸したような人に親しむべきではないという意味になります。

 この事は相手が人ばかりではなく、昨今の氾濫している情報にも当てはまります。興味本位にしか見えないTV番組。人間の本能的な欲求ばかりを取りざたすメディア。。。限度を超えれば「比之匪人」となり、気が付いた時には手遅れになりかねないと灸を刺します。

 

 孔子は「君子は周して比せず」といいました。ここで言う「比」とは「朋比(特定の人とだけ親しむ事)」の事でしょう。周とは周囲に対して満遍なくという事ですので、君子は特定の、自分好みの人とばかり親しむ事はせず、誰とでも偏りなく親しむものだという意味でしょう。

 

 ところで前卦の地水師は地(肉体)の中に隠れた水(困難:トラウマ)とも読める卦でした。傷ついた心が隠されているとき、私達は人生を戦いと見るものです。闘って勝ち取っていかなければ、自分が敗者となる。。。その恐れ(水)が、心の中に隠されているためです。

 しかし、この「比」卦では、その傷が表面に出てきて、生き物を潤す癒し(水)となっています。このような時には「比」は、水田のように豊かな人生を築き始めます。

 あなたが、より良きものと親しみ、癒しの水辺となってゆきますように。。。

 

2007/07/22 13:39|卜術房:易に学ぶTB:0CM:8
 
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