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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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神の一日は一年のようであった。。。 

 久しぶりに占いネタを。。。^^;

 前回の記事で、24000年前頃と12000年前頃が人類史のポイントになっているのではと書いた。この年代も大雑把な私の印象ではあるが、これに近い数値に歳差運動の25600年という数値がある。既に御存知の事と思うが、歳差運動とは地球の地軸のブレの事でこれが25600年かけて一周する事になる。
 だから占星術での12星座で割ると1星座を地軸が通過するのに2133年かかる事になる。現代がアクエリアスの時代と言われているのは、その事に起因する。

 占星術にはトロピカル方式とサイデリアル方式というものがあって、私達に馴染みの深い西洋占星術はトロピカル方式の占星術だ。これは春分の日に真東の地平線から上ってくる星座を牡羊座と定めている。現代では実際には魚座から水瓶座が上ってくるのであるが、それを考慮せずに組み立てられている。
 一方で、その歳差運動も考慮したうえで占おうというのがサイデリアル方式で、インド占星術がその代表格だ。

 1星座に2133年を要するので、期限元年頃には春分点は魚座にあった事になる。つまりイエスが生まれた頃は春分点が牡羊座から魚座に移り変わろうといていた時期とされていて、聖書の中でも羊と魚は重要な象徴となっている。
 同様に牡羊座の前には春分点が牡牛座にあったわけだが、それがおおよそBC2000年〜BC4000年頃という事になるだろう。この頃の象徴は文字通り雄牛で、牛は聖獣とされていた。(この時期に殆んどの古代文明が始まっている点も注目したい。牡牛座の守護星は金星である。)

 その計算で行くと12000年前は獅子座の時期となって、氷河期が終わり、現行の文明が生まれ始めた(再出発した?)時期は獅子座〜乙女座あたりから始まっている。

 天球は360度あるので、25600年で一周するとなれば、1度進むのに約72年掛かる事になる。72年というのは一昔前なら、しばらくの間、私達の平均寿命とされた年数に等しい。まあ、最近では天王星のサイクル84年が平均寿命となってはいるが。。。

 聖書による天地創造は7日で行われ、神の一日は1000年だという記述もあるので、7000年が天地創造から安息の1000年までの期間だと言われてきたわけである。
 それではという訳で25600年を聖書の聖数7で割ると、3657.14年となって、何故か365日という地球の一年の日数に等しくなる。大雑把に25600年を26000年とすれば、マヤの神聖暦260日サイクルとも妙にかぶってくるのも面白い。

 占星術では12星座に大きな境界があって、牡羊座から獅子座までの期間は個の完成の期間とされ、乙女座から魚座までは社会との関わりの完成の期間とされている。
 だから占星術的に考えるなら、現行の西暦が始まった頃から、私達は個のサイクルを終えて社会性へと移行してきたことになる。
 現行の12000年期は、獅子座〜乙女座辺りから始まっているという点とも一致する事になるだろう。

 ところで最近はマヤ暦の大きなサイクルの終焉2012年12月21日頃がピックアップされ、それがアセンションというイベントと大きく結びついている。
 調べてみると、アセンションとは、私達の太陽系を含む銀河の渦の回転によって、太陽系自体が移動していて、ちょうどその頃にフォトンベルトを通過する事になり、それによって生じる時限上昇という事らしい。
 人によってはそれが12000年ほどのサイクルであるのだと言っている人も居るが、実際どの様なことになるのか私にはわからない。
 けれども、既に見てきたように占星術的な意味でならば、大きな変換点に入っているという可能性はあるのだろうとは思うが。

 前出の25600年を地球の一年の日数、365.24で割るとちょうど70.09とキリの良い数字になるというのも不思議な気がすると思うのは私だけだろうか。。。^^;
 ちなみに25600を聖書における試練の数40で割ると640となる。640はカバラにおける真理の数。試練こそ私達を真理に導くとでも言いたげな雰囲気である(笑)

 脈絡もなく歳差周期で数遊びをしてみたけれど、他にも面白いものがあったら、是非教えて頂きたいm(__)m

2007/11/12 17:50|占術全般TB:0CM:2
 

かぐや姫 

 先日とある人と桃太郎の話になった。実は桃太郎は呪術的な意味合いが多分に込められていると思われる物語である。桃太郎の従者、猿、雉、戌、が、占いに関心のある方なら申、酉、戌に相当するとすぐに察しが付くだろう。

 申、酉、戌の三つの十二支はそれぞれ西南西、西、西北西の方位を示していて西側の十二支。時計で12時を真南とすると2・3・4時の方位に相当する。この組み合わせを専門用語では方合という。方合には四種類あるが、その中で西の方合は最も金気の力を高める組み合わせとなる。

 その金気を代表する果物が「桃」であり、その桃太郎はお婆さんに拾われている。お婆さんは九星では二黒土星の象で大地のこと。大地は金気を生み出すのだから、これも的を得ていると言えるだろう。

 金気が旺盛となると木気を剋す事になる。木気は方位にして東の方位で、四聖獣では青龍があてがわれている。竜体と言えば、私の場合日本そのものや丑寅の金神が思い浮かぶ(笑)

 この辺は今日の本題ではないので省く事にするが、同様にかぐや姫の物語もこうした見方で紐解けないだろうか、、、と考えてみた。

 

 もっとも竹取物語は日本最古の物語とされるから、そこに渡来系の学問が通用するかどうかは疑問である。が、この物語の成立は天武天皇〜持統天皇の時代と言う話もあるから、もしかしたらその辺の時代背景が竹取物語に反映しているのかもしれない。 そのあたりには既に東洋占術は渡来していたと思われるから。

 天武天皇自体は天文遁甲を能くしたとあるので、まあ確実だろう。その時代の作なら占術思想がまぎれている可能性があるのでは?と思う。

 ただ、かぐや姫という名前自体、垂仁天皇の妃、迦具夜比売がモデルだとも言われる。だとすればDC7〜80年頃が竹取物語の原点ということになって、この頃はまだ占術思想は伝来していない。

 それでも占術における象徴は、私達の集合的な無意識と結びついているという私の独断的な解釈に依れば少なからず反映されていると思う。

 

 この物語は、皆様よくご存知のことと思うので、今更内容を書くまでもないだろうから早速検証をしてみたい。

 

 まずかぐや姫は言わずと知れた月から来た天女である。かぐや姫の「かぐ」は「かがやく」という意味である。月は水の気であるが「かぐ」の輝くは火の気であるから相性がよろしくない。水剋火の関係で、月からかぐや姫が制される関係である。

 実際、かぐや姫は月の天女であったが、何かの罪で月を追われ地上に落とされたとされている。

 

 そのかぐや姫は竹の中に見つかるが、竹は九星では三碧木星の木気である。木気は水から生じられ、火を生み出す。水⇒木⇒火、という関係が成立しているもので、月⇒竹⇒かぐや姫、という構図になる。

 そのかぐや姫は竹取の翁に見つけられるが、老翁は六白金星、八卦では天の象意である。金気の翁と、火の象を持つかぐや姫とは相性が悪いが、八卦でみた時、天と火(太陽)は天の中に太陽が輝くのであるから、まさに翁に抱かれたかぐや姫の象だと言えるだろう。

 

 かぐや姫は3ヶ月で成人し、美しい乙女にとなって五人の男 性に求愛される。3という数も木気の数である事も面白いが、五と言う数は土気の数である。土の対応する九星は二黒土星と八白土星、あるいは五黄土星があるが、この場合男性であるので八白土星と解するのが妥当だろう。

 五人はいずれも実在した人物という点が面白いが、その人物はいずれも天武天皇の時代の人物である。たまたまモデルとして用いられたのかもしれないが、何かそのあたりに風刺的な意味も込められているのかもしれない。。。

 

 さて、五人はかぐや姫に求婚するが、それを断るためにかぐや姫は無理難題を押し付ける。これだけ聞けば我が儘な女性と思えなくもないが、その無理難題に取り組むあたりは、本当の気持ちを知りたいという乙女心なのだろう。

 その五つの難題は「仏の御石の鉢(土)」を持ってくること。「蓬莱の玉の枝(木)」を持ってくること。そして「火鼠の裘(火)」、「龍の首の珠(金)」、「燕の子安貝(水)」である。

 結局誰も、その難問をクリアする事はできず、最後に御門というのが出てくる。ちなみに門は八白土星の象意である。

 

 実は御門を含めた求婚者達は八白土星の象意を持つと思われるが、八白土星は方位にして北東の方位、、、冒頭に記した桃太郎の話も、実は北東が絡んでいる。北東は家相で言えば丑寅の方位即ち鬼門の方角である。

 どうも古代の物語には、鬼門に関した物語が多いのかもしれない。。。丑寅の方位とは、当ブログでも時々書いている丑寅の金神の方位、、、つまりは鬼である。

 かぐや姫の物語に鬼こそ出てこないものの、暗に鬼門の方位が示されているのは単なる偶然であろうか。。。?

 

 さて、最後にかぐや姫は月からのお迎えに従って月に帰ることになるが、その時かぐや姫は御門に不死の薬を渡している。結局御門はそれを使うことはせずに、従者に命じて富士山の山頂で不老不死の薬を焼き払ってしまう。それが富士山(不死山)の語源となったとも言う。

 不死というのも、輪廻に関わる命題と考えれば、なるほど鬼門らしいテーマではある。易学では鬼門という名称こそないものの、北東は陽と陰が変化をする場所で、言ってみれば現界(陽)と冥界(陰)の交接する場所なのだから。。。

 それに、この辺は妙に徐福伝説を思い起こさせる。。。秦の始皇帝の命を受けて、不老不死の妙薬を探すために大船団で日本にやってきたという仙人の事である。

 

 ところで、月に帰ったかぐや姫であるが、駿河地方には月ではなく富士山に帰ったという話が残っているらしい。

 富士山はかぐや姫の時代活発な火山であったと言うし、また富士山は五行山の火形の山に相当する。火形の山というのは三角山、円錐形の山の事である。

 だから、火の象を持つかぐや姫が、これまた火気の富士山に帰ったというのは、なるほど合点の行く話しである。占い的にはこちらの方がすんなりと理解できるというものだろう。

 

 と、ここまで書いてきて、どうもこの話は、なにやら秘められた意味があるようにも思えてきた。原文ではかぐや姫は赫夜姫と書かれていて、ここから伊勢の豊受大神の事であるという話もある。豊受大神は食物の神であるが、ギリシャ神話のペルセポネーやデメテルとの関連性もささやかれている神だ。

 ギリシャ神話を読むと解るが、豊受大神とはとても酷似している部分もある。デメテルは二柱の神としてギリシャで祭られたらしいから、豊受大神と天照大神との関係とも酷似している。

 この辺まで取り扱うとまたまた長くなるので、程ほどにしたいところであるが「かぐや」が「輝かしい」という意味なのを考えると、好奇心の虫が疼こうというのもだ(笑)

 

 かぐや姫は旧暦の8月15日、つまり仲秋の名月の時に月に帰っている。これもまた奇妙な面白さを感じる(笑)

 もしそうなら、かぐや姫は三ヶ月前の5月15日頃に翁に見つかっている。現在の太陽暦では6月の中頃に相当するので、ちょうど夏至のあたりと言うことになる。月から来たかぐや姫が、夏至の時に見つかったというのも面白い話だ。

 かぐや姫が垂仁天皇の妃・迦具夜比売だとすれば、腹違いの娘には倭姫命(垂仁天皇の第四皇女)がいる。倭姫は日本武命の叔母でもあり、神託によって伊勢神宮を創建した人物。しかも天照大神の依代(よりしろ・神を降ろす巫女の事)である。

 

 なんとも暗示多き竹取物語と言ったところだろうか。。。

 

2007/09/01 15:25|占術全般TB:0CM:2
 

これからの日本考 

 当ブログに来られる方の検索キーワードを眺めていたら、参院選があったせいか小沢一郎氏や安倍晋三首相の運命と言うキーワードで来られていた方がとても多かった。

 参院の第一党となった民主党を率いる小沢氏、、、やっぱり気になる方は多いのだろう。

 政治と宗教の話はあまり触れたくないというのが正直なところだが、これからの日本を気にする気持ちは他人事ではないので、少し主観を記しておきたいと思った次第である。

 ところで、最近スピリチュアルの方でよく話題に上がるのがアセンションだろう。それが何故かマヤ歴の大きな区切り2012年と結びついていて(たまたまそうなったのか、憶測なのかは私には不明だけれど、、、)、その年に次元上昇が起こるという話である。

 次元上昇というのはどうやら、三次元物質世界に住む私達の振動数がフォトンベルトの影響で上昇し、その振動数に応じた次元に移行するということらしい。ただフォトンベルト自体は誤観察だったという事で、現在では否定されているという事も付記しないと不公平という事になろう。。。

 

 その2012年について、日本でも独自の言い伝えがある。

 

時霊からの警鐘―日本が不死鳥になるための最後の切り札
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 該当の「時霊からの警鐘―日本が不死鳥になるための最後の切り札 」に書かれている伯家神道の口伝のよると、

 

「祝(ハフリ)の神事を行わない天皇が百年続くと、日本の国体は崩壊する」

 

 というものだ。

 祝の神事とは、天皇が即位に際して大嘗祭で執り行う秘密の神事である。この神事を執り行った天皇は明治天皇が最後なので1912年以降、祝の神事を行っていない天皇が続いているという事になる。だからその100年後となると2012年となる。

 その口伝が実際本当なのかどうかは、その年を待たない事には何とも言いようがないが、昨今の日本を見ていると、その口伝が取りざたされる気持ちも分からなくもない。それだけに今後の日本も多くの人にとって気になるところなのだろう。。。

 

 この手の口伝とか預言などというものは、ノストラダムスやケイシーの日本沈没預言など、まるで外れるためにあるかのような状況だが、日本の預言者とも言える出口王仁三郎氏は子の年を挟んで前後五年に大変な時期が来るという預言を残している。

 もっとも、その子の年がいつの子の年なのかは言及していないようなので、全く持って私たちには予測の仕様もないが来年が子の年だ。。。前後五年というのでもし5年前から日本が大変な事態に陥る調候があったとすれば、もしかしたら来年がその子の年なのかもしれないが。。。

 5年前となると2002年であるけれど、その辺はどうなのだろう。。。?

 2001年には愛子様の誕生、小泉内閣が発足、9・11テロなど、確かに大きな事件はあったように思うが、1年の差を誤差として容認できるかどうかが問題だ。。。

 

 さて、そこで随分と前置きが長くなったけれど、どうやら日本の命運は明治天皇が握っているような気がすると言う訳だ。実際、占星術師の間でも日本の運命を見るときには戦後日本樹立時よりも、明治政府樹立時のホロスコープを分析した方が的中するというのは共通の認識になっているようだ。

 1889年2月11日を大日本帝国の樹立とされているが、実際に天皇家に政権が渡ったのは大政奉還であるから、これも気になる記念日ではある。それは御存知のように1887年10月14日に行われたが、そのちょうど60年後の1947年に現行政府が発足しているわけである。

 60年というのは還暦でおなじみのように東洋占術でのサイクルである。更にその60年後が今年2007年である訳で、大政奉還からはちょうど120年という事になる。

 

 命理的にも120年というのは大きなサイクルであるし、インド占星術などでも120年は大きな区切りだから、今回の自民党大敗はかなり象徴的な出来事だったのではないかと思う。

 実は自民党の発足した1955年は九紫火星の年で、これは現行日本の本命星と同じである。また民主党は1998年の発足で三碧木星の年。これは明治政府の本命星と同じなのだ。この辺も非常に暗示的な話だと思うのだが、民主党に大きな変化が訪れた昨年も三碧木星の年であった。

 

 政治占については、あまり詳しくは書きたくないので、この辺にとどめて皆様の印象にお任せしたいと思う。

 けれど、どうも今回の事は明治政府時代の日本精神と、現代日本の精神を象徴する二大政党のぶつかり合いのように私には見えてしまう。そしてそれは私達の集合的な無意識層ともリンクしているのではあるまいか。。。

 私たちが心の底からどの様な未来を選ぶか、、、まさにそれが問われているような気がしてならない。

 

2007/07/31 17:03|占術全般TB:1CM:1
 

人は愛(仁)である 

 木・火・土・金・水、、、という五行の流れの最初に来るのは『木』となります。これは『木気』が東に対応していて、占星術で言う春分点あるいはアセンダントの位置にあるからかもしれません。

 この木気は五行の中では唯一生命をもった五行で、これが最初に来るのも、その辺に理由があるのかもしれないと思うこともあります。もし、そうだとしたら陰陽五行の哲理は命あるものの道程をも示しているのかもしれません。

 

 木気は十干で言うとに当たります。甲は植物が種の堅い殻を破って今まさに芽を出そうとしている様子を描いた象形文字だといわれます。甲は堅い種から根っこが出た形で、上にも芽を出すと「申(伸びる)」になります。

 よく私たちは「自分の殻に閉じこもっていないで、、、」という事がありますが、その殻を破って伸び成長しようという姿がここにあります。

 でも、この甲の形から仁が伸び行くには順番があることがわかります。まず根を張ること、それからでないと上には延びては行けませんと教えている気がします。

 根を伸ばすのはもちろん大地ですから、大地の象徴する母の心。慈しみ育てる母のような心、、、まず、ここに根っこを張りなさいと教えています。しっかりと根を張れば、木々はそれだけ高く伸び行く事ができるのです。

 

 甲は陽の木で言ってみれば大樹を象徴しています。これに対して乙は陰の木で草花、つる草を象徴しています。甲は太陽を目指してすくすくと伸びてゆきますが、乙である蔓草は巻きつく大樹がなければ上に伸びてゆくことが出来ません。

 そこで甲と乙は夫(甲)に頼る妻(乙)に例えると解り易いかも知れません。そして夫婦の関係が「仁愛」の代表的な象徴だと考える事が出来るでしょう。

 

 孟氏は「仁者愛人」といいました。「仁の徳を備えた者は人を愛する」と。。。
 その「仁」は「人」という字と同義です。ですから読み替えれば「人は人を愛する」と読む事ができます。仁は「二人の人」と書きますから「愛し合う者が人である」と言っているようにも聞こえます。まあ、だから、愛情のかけらもない人を「人でなし」というのかもしれませんが^^;

 夫婦の事を「めおと」と言いますが、これは「妻夫・女夫(めおっと)」の事だと考えられます。でもここでは「芽(甲)乙」と考えたいですね。仁は上下のない二人ですから、甲乙つけ難くなくてはなりませんから(笑)

 

 ところで大樹は上へと伸びます。根っこもあるので上下に伸びることになります。一方で蔓草は支えになる大樹を得ないと地を這って横に伸びようとします。つまり甲と乙は上下左右、全ての方向へ伸び行くものです。

 唯一生命を持つ「木気」が全ての方向に伸び行くというのは、私たちの宇宙が生命で満ちている。あるいは生命そのものであることを示しているのだと思います。

 その「木」は「水」を吸って伸びてゆきます。陰陽五行では「水」は「情と知恵」を表します。命が伸び栄えるには「情(なさけ)と知恵」が必要になります。もちろん水だけでは木は伸びません。冬に成長する木がないのと同じで暖(火)が必要になります。

 つまり「温かい情けや知恵」が揃わないと「仁」は伸び行く事ができません。

 面白いことに五行説では「木」は「水」によって育てられ「火」を生み出します。その水と火はどちらも「知」を象徴しています。知恵ある情によって育まれた「木」は、いずれ自らも「知恵」を広めてゆくことになるのでしょう。

 

 孔子は「知者楽水、仁者楽山」といいました。文字通りに解する事もできますが、ここでは「水」は八卦の「坎(かん)」の事で、「山」は同じく八卦の「艮(ごん」の事と解釈しておこうと思います。

 その坎も艮も、困難を示す時によく使われます。

 坎(水)は、大河を目前にしてどう渡り行こうかと思い悩む象として。

 艮(山)は、連なる山々(問題)を前にして、どうやって乗り越えてゆこうかという意味として。

 だから本当の知者・仁者というのは諸々の困難を楽しめる人なのかもしれません。。。

 

 ところで木気は火を生じます。

 前記事でmoon7cさんから「そうすると、その人を思いやることができて、「礼」が尽くせる・・」というコメントを頂きました。

 この「思いやり」は仁の心ですから、礼を生じることになります。「思い」と「思いやり」ちょっとややこしいのですが「思い」には「思慮」という意味があります。ですから

 愛の心(思いやり・慈悲)を持つと相手を知ろう(火)という心の働きが出来てきます。知ることは尊重心(礼)を生みます。礼を尽くすために「思慮」が生まれますし、礼を尽くそうという「思い」が強まります。

 

 五行には象徴として色んな意味が持たされていますから、その組み合わせで幾通りにも考えることが出来ます。ですから、このように言い換えてもいいかもしれません。

 

「より良く生きようと(木)すると知識(火)が必要になります。知識は思慮(土)を深めます」。。。と。

 また木気は「志」を示し、火は情熱を示します。そして土を現実とすると。

「意志(木)は情熱(火)を生み、情熱は現実(土)を作る」

 と読み替えることも出来ます。

 また、この一文は次のように書くことも出来ます。

「意志(木)はエネルギー(火)を生み、エネルギーは物質(土)を生んだ」

 また木気は風(空気)を示し、火は血を示し、土は身体を示します。すると。。。

「呼吸(木)は血(火)を作り、血は身体(土)を作る」とも読めます。

 

 五行の象意をしっかりと掴んでおくと様々な応用が利きます。関心のある方は是非楽しんでみてください。その際には是非教えて頂けると、管理人は喜びます(笑)

 

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2007/05/10 01:27|占術全般TB:0CM:6
 
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