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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
 最近当ブログの記事に関連性の薄いトラックバックなどが急増しています。
 該当TB等は管理人の判断で削除させて頂いておりますので、あらかじめ御了承下さい。

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水難事故の多発 

 私の住む所はまだ梅雨明けしていないが、長かった梅雨も明けほっとしていたところに水難事故のニュース。夏休みにも入って夏を満喫しようと水辺に出かけたのであろうが、何とも不幸な事故が相次いだ。

 

 今年は一白が暗剣殺になり、しかもそれに支合というのが付いている。支合は四柱推命でよく使われる用語だが、ある十二支と十二支が手を結び互いに強め合う作用があるといわれる。普通、支合は吉象として取り扱われることが多いのだが、九星に限ると良くも悪くも九星の作用を強めることが良くあるように思う。だから、今年の一白暗剣殺の力は例年になく強い。

 

  年盤:3丙戌       月盤:9乙未      日盤:7庚申

  ┌─┬─┬─┐  ┌─┬暗┬未┐  ┌─┬─┬─┐
  破2│7│9│  │8│4│6│  │6│2│4申
  ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤
暗・合1││5│  冲7││2│  │5│7│
  ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤
  │6│8│4戌  ││5│1│  破1│3│8│
  └─┴─┴─┘  └破┴─┴─┘  └─┴─┴─┘
 

 昨日は、上記のように年盤の中宮星三碧が月盤では月破となり、月の中宮星九紫が日盤では暗剣殺という星回りだった。

 先月6月は一白甲午の月で、年の暗剣殺が中宮に来る月。多分その影響で日本は記録的な降雨となり、各地で多くの方が亡くなられた。インドネシアの地震津波も上記九紫乙未月の出来事で、地震を表す三碧が月盤では月破となっている。しかも今年は一白(水)が暗剣殺なのだから、如実に表れていると言って良いだろう。

 

 昨日、不幸にも水難事故に遭われた方の姓名を観る機会があったので画数を数えてみると、総格で28画(一白)、37画(一白)、25画(七赤)という具合で、七赤金星の機能はお一人が中宮星、お二人が日破という状況だった。

 ご冥福を祈るしかないが、これからまだまだ海水浴のシーズンで多くの方が行かれることだろう。皆様も十分お気を付けられるよう書き添えたい。特に総格に悪気が掛かる方は十分注意され、決して無理をされないよう申し上げる。

 

 といっても、8月は二黒丙申月で

               暗         
 ┌合
┬─┬─┐
 │1│6│8申
 ├─┼─┼─┤
 │9│2│4│
 ├─┼─┼─┤
 破5│7│3│
 └─┴─┴─┘
                        
 歳破に当たる二黒土星が中宮に来る。一白水星も月盤では支合となるので水難も続きそうだが、二黒土星の象意に注意が必要かも知れない。

 二黒土星は大地を表す星で、妻、母、大衆を象徴している。だから地震、地滑り災害の暗示と、被害があれば特に女性や労働者層の被害が増大しやすそうだ。もちろんそういった災害自体がないように祈るが、五黄に月破が掛かっているので、事件が起こると被害は増加する傾向にある。

 皆様も転ばぬ先の杖、十分注意されたい。ちなみに干支歴で8月は8日から始まります。

 

2006/07/31 09:08|卜術房:気学TB:0CM:2
 

宝くじが当たる人2 

 本日2度目の記事ですが、以前から書こうと思っていたことですので投稿します。

 

 先日ワイドショーで宝くじの高額当選者の取材が放送されていた。今さんという方で、最初にロトで40万、次に宝くじで100万円、そして最後にサマージャンボで1億円に当選したらしい。それも3ヶ月の間に。。。

 最初の40万円をもらいに銀行に行った際、帰り際に「また来ます」と自然に口を突いてでたと話していた。そして100万をもらいに行ったときには「もう一度来ます」と言ったというのだから恐れ入る。

 ここまで自然に口を突いて出たというあたりが、願望実現のネタにもなりそうだが。最初から見ていたわけではないので願望を実現した流れなのか、それとも宝くじに当選することを無意識に察知していたからなのかはわからない。

 

 ただ、取材を見ていて感じたことは今さんが終始明るかったこと。もちろん3回も立て続けに高額当選を果たしたのだから暗かろうはずはない。でも私の見る限り、きっと根っからの楽天家でユーモアに満ちているような気がしたのだ。

 今さんは1億円に当選した折、北に行けば良いと聞いて、電車に飛び乗り北に向かったという。その旅先で宝くじ売り場を見つけては宝くじを買い集め、計1200枚を購入したと語っていた。

 サマージャンボだから昨年のことだと思うが、昨年がどうして吉方位なのか不明だ。恐らく「ずばりいうわよ」の女士が、昨年だったかそのような話をしていたと記憶していたので、そういうネタなのかもしれない。

 もっとも今さんの受け答えを聞いたとき、この人なら当選するだろうな〜と思ってしまったので、吉方位云々で当選したというものではなさそうだ。

 

 ところで今回また何故「宝くじが当たる人2」を書くことにしたかというと、アクセス解析を見ていた際に「宝くじが当たる人」で検索して来てくださっている方がいたからだ。どうやら度々来ていただいているので、お一人なのか複数なのかはわからないが、前回の記事を読んで来て下さっているのだろうと思い。もう少々詳しく書いてお礼に代えようと思う。

 また、多分前記事の「象意を絞り込んで・・・」という箇所が気になっておられるのではと勝手に推測し、象意を読むことは占術の基本で当ブログの目的にも合致する。可能な部分を書いておくのも良いのではと思った次第である。

 

 私は宝くじはナンバーズを何度か買っただけで、殆ど経験はない。ただ、それでも一度ナンバーズ4のボックスを当て、次に数字を出しておいてそのまま買わずにおいたら、それがストレートだったという経験はある。惜しいことをしたと思ったが、宝くじに当選してお金を受け取る内的な準備が出来ていないのだろうと思い納得した。

 自分に準備さえ出来ていれば、必要なものはいつでも見つけることが出来るということを証明してくれる出来事だったので、それだけで十分でもあったのだ。

 

 さて、その様なときに家内にせがまれたのだが、方法は至ってシンプルである。例えば気学では作盤する際に重要になる星がいくつかある、暗剣殺であるとか太歳神が付く九星、歳破、支合、中宮星となる星である。

 九星は文字通り1〜9間での数を示しているし、また五行の数というものもある。例えば

 木=3・8  火=2・7  土=5・0  金=4・9  水=1・6

 という具合だ。

 

 また、この年は八白巳の年で七赤に太歳神が付いていた。七赤は沢の卦を持つ星で方位は西、赤、少女、飲食店、、、などの象意がある。また、八白は山の卦を持つ星で、白、黄色、小男、北東などの象意を持っている。

 もちろん、時期を選ぶには月盤、日盤、時盤も考慮に入れたし、年月日時の干支歴も念頭に置いている。この様な象意を元に、売り場のある地名や、地形、店名などを考慮した。

 結果、川が近くにあり、山(小高いところ)にあり、生活雑貨(山卦は家を表すので)を売っている店の近くにある売り場で風水的にも強い年にあたることとし。。。且つ、買いに行く家内の最も運気の高まる日と象意を重ねていったのである。その様な条件に合う売り場は私の知る限り一カ所しかなかったというわけだ。

 結果的には惜しくも外れてしまったが、そこの売り場からは見事に1等が出ることになった。

 

 だから、研究を重ねれば誰にでも辿り着けそうなシンプルな方法を使っただけで、特別手の込んだことをしたわけではない。

 その後は以前にも書いたように、宝くじからはとんと縁遠くなったので、この手の象意読みをしたことはないが、関心のある方は研究されるのも面白いかも知れない。

 

2006/07/29 20:42|開運についてTB:0CM:7
 

姓名判断画数考2 

 このブログを始めた頃「姓名判断画数考」という記事を書いた。姓名判断をする際に主要なポイントがいくつかある。主だったところをあげれば、画数、音、字義、字形というところだろう。これらは古神道でいう言霊、数霊、形霊に通じるものがあると思う。

 中でも画数は最も重要なファクターだが、画数の象意をどのようにとらえるかによって当然意味合いは変わってくる。そこで、現在私が検証中のものも含めて画数解釈として考えられることをまとめておきたい。

 

【十干として解釈する方法】

 画数の第一位の数を基準に象意を観る方法は多くの鑑定家の方々に使われているようだ。この方法は以前にも言及したが改めてまとめると。

1=甲(陽の木)   2=乙(陰の木) 

3=丙(陽の火)   4=丁(陰の火)

5=戊(陽の土)   6=己(陰の土)

7=庚(陽の金)   8=辛(陰の金)

9=壬(陽の水)   0=癸(陰の水)

 となり、例えば25画ならば、第一位の数が5なので戊の陽土に相当することになる。

 また、十位の数を考慮するなら上記の25画は2=乙、5=戊なので25画は「乙−戊」の組み合わせを持つ象意と考えることが出来るだろう。

 

【十二支として解釈する方法】

 十干同様に、この場合は12進数で画数を数えることになる。つまり

1=子(水) 2=丑(土) 3=寅(木) 4=卯(木) 5=辰(土) 6=巳(火)

7=午(火) 8=未(土) 9=申(金) 10=酉(金) 11=戌(土) 12=亥(水)

 となり13で子に戻る。だから上記の25画なら「子」の象意を持つ画数と言うことになる。

 

【六十干支として解釈する方法】

 十干と十二支を合わせると60の干支が出来上がる。干支歴はこの60干支のサイクルで構成されているので、中国占術を習った人なら馴染み深い組み合わせだろう。この方法で画数を解釈すると、

1=甲子 2=乙丑 3=丙寅 4=丁卯 5=戊辰 6=己巳・・・・・60=癸亥

 となり、61で甲子に戻る事になる。

 

 例えば前述の25画は戊子となり。子は水、戊は土で「剋」の関係だが、子の本気は「癸」で干合の関係となるのが25画と考えられる。だから、25画を持つ人は、表面は土剋水の緊張感が漂っているが、内面的には干合で結びつきバランスが取れている。もし、化すれば火となるので、火の強まる状況では激情型に変化することがあると読むことが出来るだろう。

 

【九星として解釈する方法】

 この方法は、しばしば当ブログでもその年の運気を観るために用いてるので、皆さんには馴染みのある方法だと思う。この方法で解釈すると、画数を単数化したものが九星を示すことになるので、比較的計算しやすいと言うこともある。例えば、

38画は3+8=11となる。さらに1+1=2となり、38画は単数2なので二黒土星に対応していると解釈してる。

 上記の25画なら2+5で単数7となり七赤金星が割り振られる。七赤金星の中宮盤では六白金星が定位対冲、九紫火星が暗剣殺となるので、25画の人の弱点はこのあたりにあると見ることが出来るだろう。つまり、六白金星の象意父親、事業、乗り物、、、などに弱いとなり、九紫火星の示す文書上のミス、美人には注意、などと解釈できるかも知れない。

 

【八卦として解釈する方法】

 この方法は上記の画数を九星としてみる方法と同様、ネット上で姓名判断のサイトを覗いてもなかなか出てこない。十二支として解釈するのも出てこないので、かなり異端な方法なのかもしれないが、数を紐解くときの方法としては十分考えられる方法だと思う。

 この方法では画数は8進数で分類することが出来る。なので

1=乾(天)  2=兌(沢)  3=離(火)  4=震(雷)

5=巽(風)  6=坎(水)  7=艮(山)  8=坤(地)

 となり9で乾(天)にもどる事になる。

 

 以上を総計すると、以下のような姓名図が出来上がる、

 安6:六白己巳・水┐
          |16:七赤己卯・地:水沢節 四爻変
 倍10:一白癸酉・沢┤
          |20:二黒癸未・雷:兌為沢 二爻変
 晋10:一白癸酉・沢┤
          |13:四禄丙子・風:沢火革 初爻変
 三3:三碧丙寅・火┘
――――――――――――――――――――――――――――

 

 さて、これが私が姓名判断で使用している要素の全てだが、東洋占術に詳しい人なら一見して姓名が四柱を構成していることに気付くと思う。姓名判断が四文字を基準としている理由がここにあるとも思えるし、もちろんそうした判断も可能だと思っているが、現実的な問題として一文字で60画を超える漢字はないので一考の余地がある。また画数の分解方法によって鑑定の中身を変えるなど棲み分けが必要となるかも知れない。

 

 この画数の採り方は多くの課題を残すが、同じ画数だからといって同一の現象が出るとは限らない、いわば例外を説明し得るのではないかと期待してもいる。

 もし、四柱推命などの知識がおありなら、是非一度検証していただきたい。その際はご意見を伺えると幸いだ。

 

2006/07/29 11:16|相術房:姓名判断TB:1CM:0
 

純粋本能 

KC350007.jpg

 当家の新しい家族となった子犬「リュウリュウ」と母犬「ペコ」の図。

 生後2週間ほど経ってようやく目が開き始めました。当初3匹がおなかに入っていたのですが、2匹が逆子で日の目を見ることはありませんでした。無事生れたのが「リュウリュウ」。母親のおっぱいを独り占めしているせいか、図体は今にも母犬に迫る勢いです(^_^;

 

 母犬のペコはとても気位が高く、我が儘でしたので、子供が出来たときは絶対面倒をみられないだろうと誰もが思っておりました。

 しかし、いざ生れてみると初子にもかかわらず、なかなかの母親ぶりを発揮しており、一同感心して見守っております。片時も離れず面倒を見る姿は感動的でもあり、子犬が鳴くと何をさておいてもご覧の籠に駆けつけます。

 この時も深夜の授乳に疲れ果てながらウトウトしているところをショットいたしました。

 

 絶対にほって投げるに違いないと思っていた私たちは、犬とはいえ母性本能の偉大さに感服する事しきりなのです。

 実はペコの脇腹は、授乳のためにずっと同じ格好を保ち続けるため、既に床ずれが出来ています。元々、シーズー種は肌が弱いのですが、この母犬は特段弱くアレルギー持ちなのですが、それでもリュウリュウが無くと何事もないかのように授乳の姿勢をとります。

 

 この子育ての様子をうかがうと本能のもつ偉大さに感服し、同時に、本能の善良性を感じずにはいられません。

 純粋な本能はかくも美しと思うのです。

 

 ちなみに、この子が生れる朝、私の母親が二匹の犬が空に続く道の脇にいる夢を見ました。犬は全部で三匹で、一匹が竜に変わったそうです。

 まさにその通りになったのですが、その夢にちなんでこの子は「リュウ」と名付けました。最も、それじゃかわい気がないらしく、誰ともなく「リュウリュウ」と呼んでいます。

 

2006/07/24 16:02|雑記TB:0CM:4
 

潜在意識による願望実現は可能かNo6 

 私たちの意識は表面意識、前意識、潜在意識、共通の無意識に分かれるとされている。このうち前意識とは思い出そうとすると何とか思い出せる記憶のある領域のことを言う。表面意識と潜在意識の中間にある意識ということになるが、このことは潜在意識が思い出せない記憶の領域だと言うことを認識させてくれる。

 表面に上ってこない記憶。これが潜在意識だから、この意識にメスを入れるのはなかなか骨の折れる作業と言うことになる。

 お釈迦様は瞑想を通して一生どころか過去世の出来事までも思い出たとされるが、全て思い出すことが出来れば、もはや潜在意識は無くなってしまう。

 

 しかし、本来潜在意識は思い出せない記憶だから、これを独力で何とかしようというのは論理的には無理な話だ。そこで、軽い暗示誘導によって核になる出来事を思い出させてもらおうと言うのがダイアネティックスであった。

 この誘導者は被術者がどのような核を持っているのかはわからないので、何かを思い出すようにと暗示を掛ける。すると不思議なことに潜在意識は被術者自身の問題となっている出来事を意識に上らせて来る。もちろん最初から根本的な核を出してくることはなく、その核に付着している後続的な出来事を出してくるのであるが、それでも十分な手がかりを得ることになる。後はそれを手がかりに更に探ってゆく事になる。

 潜在意識の特異な性質は私たちには一つの光明だと言えるのではないだろうか。つまり、潜在意識は私たちの問題を認識しており、更にそれを表層意識に上らせたがっていると考えることが出来るからだ。

 

 話はずれるが、潜在意識のこの機能が実は私たちの様々な問題を生んでもいるのではないかと私は思う。というのも、もし潜在意識が現実を作り出す能力が本当にあるとしたら、内在する問題を修正させるために現実化して私たちに突きつけていると考えることも可能だからだ。

 もし、そうだとしたら、逆にこの機能は光明となる。つまり、潜在意識が修正させたがっている問題に気付いてあげること。ただそれだけで私たちの現実は変わる可能性があるからだ。

 実際、私はこの現象を何度も体験している。自分の周囲で起こっている出来事、又は、自分が置かれている状況の中で、不本意な出来事に注目する。そして、

「もし、それがメッセージだとしたら、それは何を伝えたがっているだろうか?」

 と考えてみるのである。そこから導かれた答えが的を射るものならば、その途端に状況は変わり始めるのである。

 

 潜在意識は非物質的な世界で活動している。だから答えも純粋に精神的なもの以外にはない。しかし、そのことに気付くことで、物質世界の状況はみるみるうちに変化し、正常な状態へと変わってゆく。

 この「気づき」は精神世界では良く言及されることであるが、多くの人が想像している以上の効果があると指摘しておきたい。

 

 潜在意識からのメッセージは、その人個人によって大きな幅があるだろう。それでも、メッセージに共通の概念を抽出することは出来る。それは、

 ここで何度も繰り返してきたように「全ては一つである」こと、「全ては完全である」こと、「誰でも全く自由である」ことなどをあげることが出来るだろう。

 

 「全ては一つである」とは、

 潜在意識の最も深い部分では、共通の無意識と呼ばれるものがあるといわれる。これは、潜在意識の深い部分では自他の区別がないことを示している。だから、あなたが誰かに対して抱く考え、思いは、自分自身に対して抱く考えに等しい。

 もし、あなたが心から誰かを思いやるなら、それは自分を愛することに等しい。また、誰かを助けようとするなら、自分をも救済するだろう。

 私たちは誰かを否定することで自分を否定し、あいつは○○な奴だとレッテルを貼ることで、自分をも規定している。このレッテルは相手を裁く行為に等しい。誰かを裁くことで自分をも裁くのである。

 

 全てが一つであるとは、何も人との関係ばかりとは限らない。「あなたは全てである」なら、あなたは全てを持っている。あなたが必要とするものは全てあなたの中にあるのだから、何も求める必要がないとわかる。私たちは求めることによって、それを持っていないと表明しているのだ。

 だから、自分自身がどこまで全一であると思えるかによって、あなたが持てるものも変わってくる。また、全一であるということは、赤の他人も実は自分自身なのだから、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」といったイエスの言葉は潜在意識的にも真実なのだ。

 

 もし、あなたがこの様な考え方から程遠いところにいるなら、それらは困った事象をあなたの周りに起こし、それを修正してくれと、あなたに訴えかけてくることだろう。

 

全ては完全である」とは

 全てが完全なら必要なときに必要なことが起こるだろう。私たちは自分の周りに不本意なことが起こっていると、とても完全なことが起こっているとは思えない。しかし、それがメッセージなら、それによって気付くことで完全な輪が出来上がる。

 欠けているのは、私たちの「気付き」だけなのだ。それが、完全な輪を断ち切っていると考えることは出来ないだろうか?

 

 私たちは完全とか完璧とか、絶対、無限などといった言葉は知っているが、その概念には精通していない。つまり、「完全」を知らないのであるが、「完全」の欠如、つまり「不完全」な状態に捕らわれて抜け出せないでいると思うことが良くある。

 完全は必ず喜びを生み出す。もし、あなたに許し難い誰かがいたとして、互いに理解し合い、許し合ったとき、喜びが生れないだろうか?

 許し難いと思っているとき輪は完結していない。しかし、許すことで輪は完結し喜びが生れる。

 

 だから、全てが完全であるとは、一連の輪が完結することなのだと思う。完結していない時点では、それは不完全にしか見えないし、まして、完結させなければいつまでも不完全さしか見えない。

 だが、不完全さしか見えないということは、完全ではないということとは全く違う。私たちは誰でも、完全な輪の中にいる。だが、その輪をつなぐのはその人自身に任されているのだと思う。

 

 だからもし、輪が完結しない状況の中にいるなら、輪を完結してくれと潜在意識は困った事象を起こす。

 

 「完全に自由である」ということ

 全ては一つで、あなたが本当は全てを持っており、完璧な輪の中にいるとしたら、そこに不自由な何かはあるだろうか?

 あなたは何でも出来、いつでも輪を完結することが出来る。ここではもはや問題や困難は喜びへ至る糧に過ぎない。

 唯一あなたが自由であると認めない時を除いては。

 

 元々潜在意識は非物質的な働きである。そこにはどのような環境的な制限も、制約もない。私たちは環境的な制約で自分が縛られていると思いこんでいるが、もし、あなたが、完全な精神であったとしたら、何が制限や制約を加えるだろう。

 外的な条件を気に掛けることによって、あなたが不自由になる以外、何も制約はないはずである。潜在意識の視点はまさにここにある。

 

 だから、自分は不自由であると考えていることに気付くなら、何によって不自由であると考えているかに気付くなら、潜在意識は自由な状態に置かれ満足するだろう。

 

 さて、私たちは相手を自由にすることをとても恐れる。相手に自由を許せば何をしでかすかわからないし、自由イコール堕落、怠惰だと信じ込んでいる。

 だから常に相手に要求を突きつけ、それが叶わなければ、要求を受け入れてもらえないと、憤慨し自分を縛り付ける。だから自由の根本には信じることがあるかも知れない。あなたがどこかで相手を縛ろうとしない限り、あなたはいつでも自由でいられるはずである。

 

 

 この作業を連綿と続けて行けば、逐次状況は好転するだろう。それでも、本質的な核に至るには相当の時間を労力を要することになる。一気にその「核」に至ることが出来れば話は早いのであるが、こればかりはどのような手法を用いてもタマネギを一枚一枚はがしてゆくしかないようだ。

 次回は瞑想によって核に迫る方法を考察してみたい。

2006/07/20 10:55|心象房:願望実現TB:0CM:4
 

畠山 鈴香 

 この手の判定を公開するのはどうも気が引けるのだが、現代の問題を浮き彫りにし、多くの人に一考の余地を残す事件ではないかと思い掲載することにした。

 

26   19    |35←八白戊戌(離卦)
 ┌―−─−─┐ |
  13 16 22  |
 ┌―┬─┬─┐ |
 畠 山 鈴 香 |
 ● ○ ○ ○ |
 10 3 13 9 |
 水 火 火 水 |
 └―+―┘ | |
   |   | |
   └―――┘ |
  23  12  25|

  • 接続部衝突
  • 天地同格、天地格同格、天外格同格、たすき同格
  • 天格・地格=太歳神、外格=暗剣殺、名第一字=太歳神、内運B=中宮

 

 基本となる姓名の構成は「10+3:13+9」で陰陽は「●○:○○」となる。一陰全陽で一つの陰が三つの陽から押し上げられる形になっている。一陰が三陽に押しやれ行き場を失い、排斥されようとしている構成だ。

 また、一位の数が0は陰の水、3は陽火、9は陽水となるが、画数を五行で示すと「水+火+火+水」となり、火が上下の水に挟まれ行き場を失っている事が解る。

 

 基本的な性格を示す「鈴13画」は火で、熱しやすく冷めやすい傾向を表し、表面を飾ること流行などに縁がある。その火行が「山3画」の火と衝突し、重火となって激情型の様子を強めている。

 その火が両脇を水に挟まれて行き場を失っているのだから、内面に葛藤を作り出している。火は性質上必ず表面化しようとするから、はけ口を求めて葛藤する形となるだろう。

 元々、火は精神性を表す五行であるが、この様な形では、いびつな抑圧を生み出しやすい。

 

 名前の音は「す」で金行になる。金気は正義を表す五行であるが、非常に攻撃的な性質を持っている。名第一字の画数の五行火とは相剋の関係になり宜しくない。激情した感情は攻撃的な対象を求めてしまうだろう。

 火(精神)が正常な形を保っていれば、自分の過ちを正すという面で機能するだろうが、その火が抑圧されているので周囲に責任転嫁する、周囲を攻撃するという形で出たのかもしれない。

 

 3+13で衝突している人格16画(単数7)は、今年離宮といって火の宮に巡っている。悪気は掛かっていないのであるが、元々重火の象が出ているので、なお火宮に巡るのは宜しくないだろう。激情に任せて突発性の行動に出る可能性が高かったと思われる。

 総画数の35画、単数8は今年坎宮に巡っている。坎宮は水の宮で、抑圧している原因そのものの宮に巡っているのだから、葛藤も頂点を極めていたのだろう。坎宮は困難宮とされる場所である。

 35画は吉数で、私はずっと家庭的な数だと思っていたので、正直このことは些かショックだった。それが逆に家庭面が発端となって事件が起きたのだから。

 

 行動や子供運を示す地格は22画、単数4で今年は乾宮に巡り太歳神が付いている。四禄は今年定位対冲でもあるから、行動面では乱気流の年で中庸が必要な年だ。しかし、この22画は木行で人格16画の土行を刻す関係にあたる。

 対社会性を表す外格は19画、単数1である。19画は元々凶数で、犯罪に関わりやすい画数とされている。その19画が今年は暗剣殺となり、悪い点が最も出やすい年回りだ。

 犯行があった4月は三碧木星壬辰の月で、年同様、月盤でも19画は暗剣殺となっている。ちなみに彼女が逮捕された6月は一白中宮の月であった。

 

 今年の干支「丙戌」は、戌が火を支えるので丙火が強くなる年である。一方で4月の干支は「壬(陽水)辰」で辰が壬を支えるので壬水が強くなる。しかも壬と丙は「七殺」、戌と辰は「六冲」という凶の関係にあたる。暦上も水と火が衝突した時期だったのだ。

 また、今年は三碧木星の年であるが、三碧の五行数は3・8となる。彼女の衝突した人格3+13の一位の数3を示している。

 

 犯行のあった4月9日は、辰の月、辰の日である。

 彼女の名第一字13画を分解すると、四禄木星丙子(風卦)となる。辰はこの子と三合の関係にあたり、水の気を強めている。これに申があれば水局三合が完成するが、申は15:00〜17:00の時間帯を表しているので、その時刻が犯行時間だったのかもしれない。

 もし、この時間だとすると、干支暦は

 

  •  三碧木星丙戌年
  •  三碧木星壬辰月
  •  八白土星戊辰日
  •  三碧木星庚申刻

 

 となる。日の九星のみが八白となり、他は全て三碧なので、彼女の外格19画は日以外で全て暗剣殺となってしまう。また、実は八白の定位艮宮は先天定位では三碧の事なのである。

 

 調べてみると、この様に時と姓名の不思議な関係が重なっていることに気付く。同様の事は被害者にも現れているがここでは取り上げたくはない。

 しかし、このことは、星回りが悪かったので犯行が起きたなどと言うつもりはない。むしろ全く逆で、その人のカルマが姓名に現れ、相に現れ、時に現れていたと思っている。

 だからもし、姓名判断でも何でもかまわないが、占術などの象意から自分のカルマなどに多少なりとも気付いていれば、もっと違った結果となったのではないかと思うと悔やまれてならない。

 

2006/07/18 19:46|相術房:姓名判断TB:0CM:3
 

死の宣告 

 先日あるIT企業の社長さんのインタビューがTVで流されていた。何でも、胃ガンで余命三ヶ月と宣告されたらしい。そのインタビューで氏はこう語っていた。

 余命三ヶ月と宣告されると、どんなに働いても自分には何も残らない。自分には何も、残すことは出来ない。そうなると、意味のあることをしたいと思うようになり、気持ちに活力が出てきたと。それで氏は手記を出版し、自分と同じような境遇にある人たちに少しでも勇気を与えられればいいと。

 確か、そんな内容だった。

 氏には何をするにも十分な経済力もあるだろう。かといって美味いものを食いあさっても、遊びまくっても限りがある。死んでしまえば、それらだって何の意味もない。そうなったときに、自分のことよりも赤の他人のことを考えるようになったというのである。

 

 このインタビューを見ていて、私が28歳の頃に体験した事を思い出した。

 当時私はコンビニを経営していて、ちょうどその時もカウンターで接客中だった。といっても夜の8時で一通りのお客も引いて比較的暇な時間になっていた。

 そんな合間にカウンター周りの掃除をしていたとき、突然声が聞こえてきた。その声はとても厳かで重厚な男の声だった。

 

「あと一時間の命だ」

 

 それは、単なる幻聴だったのかもしれない。しかし、あまりにも厳かな声は信じるに余りあるものだった。

 もし、今、自分の寿命が尽きるとしたら、、、などと、考えたことは幾度もある。しかし、それはその時の確信に比べれば、単なるシュミレーションに過ぎない。現実味がないのだ。

 でも、その時ばかりは、理不尽な宣告を信じてしまった。もちろん、何事もなかった。冷静に考えれば、病気にすらなったことがなかった自分が、突然死ぬとは考えがたいことだが、その声はそんな理性を吹き飛ばすほど強力な威厳を持っていた。

 

 私はとっさに店を閉めて家に帰ろうかと思った。たまたま、アルバイトの子が学校の都合で遅れていたので私一人だったのであるが、勝手に店を閉めるのが契約違反だなどとは言ってはおられない緊急事態なのだから。

 頭の中がパニックになりながらも、あれこれ考えてみる。しかし、結局一時間という時間では何も出来ない。つらつらと時間だけが過ぎ、ついには急いで家に帰っても間に合わない時間となった。

 もう、家族にも会えない。。。そう思うとあきらめの気持ちが出て、逆に気持ちが落ち着いた。

 私に出来たことといえば、結局家に電話を入れ、家内と子供達の声を聞くことだけだった。それでも、それで十分に満足だった。同時に、人の幸せは案外そんなところにあるのかもしれないと感じたものだ。

 まだ小さかった子供達や、自分がいなくなれば、子供達を抱えて苦労するであろう家内のことを考えると、無力な自分に対する悔しさはあったが、その時の自分に出来ることは彼らが乗り越えて行けると信じることだけだった。

 でも、信じようと思ったとき、そして信じられると思ったとき、意外にも死の恐怖は何もなかった。

 

 そして、宣告の時間が過ぎた。。。。。

「やられた!」

 それが、死から帰還した?私の第一声だった(笑)

2006/07/14 22:57|山術房:心行TB:0CM:4
 

潜在意識による願望実現は可能かNo5 

 私たちの意識はあるショックや、無意識のうちに受け入れた概念や思考、感情的な記憶などが核となり、その後の思考や行動に大きな影響を与えるようになる。これは最初から大きな核となっていることは希で、通常は他愛もないことから始まるケースが多いようだ。

 

 しかし、似たような体験や思考を繰り返すことで、この無意識下の核は徐々に肥大化し大きな影響力を持つに至る。こうなると、この核はある状況をきっかけに自動的に活動を開始し、私たちの意志を無視して独自の活動を始め、しかも強力に影響し始めることになる。

 困ったことに、こうした無意識下の活動は、なかなか私たちの意識には昇ってこない。私たちの表層意識は意味のないことを極端に嫌う傾向があるから、何にでも理屈や理由を付けたがる。これによって、私たちは自分の行為や思考を支配していると思いこんでいる。

 

 実はこのことが非常に厄介なのだと思う。というのも、理由付けをすることで全く意志とは関係のないところで自分の思考が支配されていることに気付くチャンスを失うからである。

 それ故に、私たちの意識は「鍵の掛かっていない牢獄に閉じこめられている」と揶揄されることになる。鍵は掛かっていないが、自分が牢獄に入っているとは気がつかないので、誰もそこから出ようとはしないのである。

 しかしこのままでは、私たちは自分の人生を自分自身の手に取り戻すことは出来ない。

 

 ダイアネティックスでは無意識下にある核を除去する事で、生きている実感がわき、活力に満ちて、頭の中が澄み切ったようになったと多くの人が報告している。

 ダイアネティックスでは施術者と被術者に分かれて、軽い暗示誘導によって無意識下の核を除去してゆくように導いてゆく。では、こうした療法を受けなければ独自には出来ないのであろうかと言うと、願望実現のテクニックの中に有効な手法があるのではないかと思うのである。

 

 ダイアネティックスでは施術者の誘導によって過去の出来事に焦点を当ててゆく。実はこの手法はお釈迦様が悟りを開いたとされる時の瞑想法に酷似している。

 お釈迦様は自分の過去を深く振り返り、人生の途上であったあらゆる出来事を思い出し、しかも無限の過去世までも想起したと言われている。もちろん、今ここで扱っているのは、私たちが生まれてから現在までの間に無意識下に詰まっている核という出来事であるから、過去世まで思い出す必要はないだろう。

 次回はいかにして、核を見つけ出すか、その辺を考察してみたい。

 

2006/07/12 14:55|心象房:願望実現TB:0CM:0
 

金運招来の図? 

Pim0001.jpg

 掲載の写真はとある写真仲間から頂いたマムシとツツジの写真。奥の方がマムシの頭部になっております。

 とっさに出くわしたマムシを撮ったものだということですが、この写真を見たとき妙なエネルギーといいますか、力といいますか、、、を感じたのです。それで、私にも一枚頂けますか?とお願いして頂いたものでした。

 写真では判り辛いでしょうが、かなり大きなマムシで、ピンクのツツジと妙にマッチしております。

 この写真を頂いてから何故か金運が良くなりました。時期的なものなのか、それ相応のパワーが本当にあったのかは正直判りかねますが、直感を信じて皆様にも紹介いたします。プリントアウトして財布の中にでも忍ばせておくと効果があるかもしれません。

 もし、不思議なことがあったよという方は、コメントなど頂ければ幸いです。

 

 ところで、よく金運と結びつけられる蛇。特に白い蛇は幸運や金運の兆しとして夢占いなどでも時折紹介されています。では、占い上はどうなのかというと、十二支の中に蛇(巳)があり、巳年生まれは金に困らないなどと巷でもよく言われます。

 占術では巳は南南東の方位を表し、三合(三つの十二支の組み合わせのこと)といって、巳・酉・丑は金の気が最も強くなる組み合わせなのです。金気=お金の気と見立てて、蛇は金運を招くと言われているのでしょう。

 実際にはその人によって金銭を表す五行は異なりますし、個人差を無視した場合には土気が財運を象徴することになります。金気は官位を象徴し、仕事運を表すというのが正確なところですが、仕事運が向上すれば金運も良くなると見れば、まんざら的外れでもないと言えるでしょう。

 もしかしたら財の字を冠せられている神様、弁財天が蛇体であるとされるところから、蛇と金運の繋がりが生じたのかもしれません。

 

 蛇が財を象徴すると考えるのは日本の特色なのかもしれませんが、世界の神話では、蛇は生命力を象徴するとされています。ヨガなどではよくクンダリーニを象徴する生き物として扱われていますが、蛇の生命力を思えばなるほど納得の行くたとえだと思います。

 ヘブライ神話では御存知のように、アダムとイブがエデンの園を追放されるきっかけとなったのが古き蛇と呼ばれるもので忌み嫌われる存在です。しかし、秘教的な考察では蛇は英知を象徴するものとして扱われることもあります。

 

 いろいろな象徴として扱われる蛇ですが、少なくとも日本人の意識の中では蛇は財と密接に関係しているようです。もし、私たちの潜在意識の中に、そのような関連付けがなされているとしたら、財を象徴する蛇を身の回りに配置することで、潜在意識の蓄財に関するシステムを刺激することが出来るかもしれません。

 実のところ、私は無意識と占いの関係を、占いで活用される象意は、無意識の中にある原型なのではないかと考えているのです。

 薀蓄はともかく、この写真で皆さんの無意識が活性化されるかもしれません。

 

2006/07/10 23:46|開運についてTB:0CM:2
 

潜在意識による願望実現は可能かNo4 

 今回は潜在意識の反応パターンについて書いてみたい。

 

 潜在意識の最大のテーマは生存することであり、しかもより良く生存することである。これは生命として当然の機能だし、生命が発生して以来ずっと追求されてきたテーマである。しかし、断っておくがここでの潜在意識とは個としての生理的な機能について考察をしている。

 一口に潜在意識といっても、その一番奥には集合的な無意識という「個」を超えた機能が想定されている。だからもし、そこまでを視野に含めるならテーマも大きく違ってくるだろう。しかし混乱を避けるために、ここでも「個」ということに限定して話を進めたい。

 

 さて、生存の確率を高めるためには大きく二つの方法がある。一つは強くなることであり。もう一つは危険を回避することだ。私たち自身の反応を観察すると、この機能は今でも私たちの精神活動を牛耳っているとしか思えない。

 高度な文化を築き上げた霊長類人科の生物が、最高の進化を遂げたと思っている向きには容認できないことかもしれないが、残念なことに私たちの精神活動はそれほど高度には出来ていない。私たちの精神年齢が平均10歳程度という事実もこれを裏付けているだろう。

 

●強さ

 弱肉強食の世界に生きる生物である以上、生き残るためには強くなければならない。知的な生物でなければ、強さとは肉体的な能力以外の何者でもなく、身体能力が高ければ高いほど生き残る可能性は高くなる。

 しかし、文明が発展するにつれて肉体的な強さが生存率に影響することは少なくなった。変わって私たちは知識や能力を主張するようになる。それらが「力」に取って代わってきた。人間は動物としての能力は低い。つまり、生存する可能性はそれほど高くない。それを補うために「集団」を作ることになるが、その中で中心にいるほど生存の確率は高くなる。

 

 最初は「力」の強いものがリーダーであり、次には知識とか経験とかが豊富なものが中心になり始めた。つまり、知識も経験も形を変えた「力」だと考えて良いだろう。

 これは、幼い子供達が最初は身体能力を競い、次いで人気とか、頭の良さを競うのを見ればわかるだろう。しかし実際には肉体的な能力以外のものは、どちらが上かなどなかなか明確な判断が出来るものではない。学力でも、実際の実務的な能力とは関係がないとしばしば言われることを考えてもわかる。

 そこで、ここにある方法が生まれる。つまり「見せかける」事である。身体的に強そうに見せかける、頭が良さそうに見せかける。。。この方法をとることで、より良く生きることが出来ると脳は学習しているのではないかと思う。この一連の流れは単純な行動として表現できる。つまり「注目を集めること」である。

 

 子供達を観察すると、彼らは実に様々な方法で両親の注目を集めようとする。「何で?何で?」と聞きたがったり、泣きわめいたり、無理難題を言ったり、何でも反対のことをしたり、自慢げに自分のしたことをアピールしたり、場合によっては黙々と何かに没頭する子供もいる。過去に何かを褒められたりすると、それに没頭することが両親から注目される方法だと学習するらしい。

 

 また、謎めいた雰囲気を保つことで注目を集める方法もある。無言でいたり(でも深慮している雰囲気は保つ)、曖昧に言葉を濁したりするのも注目を集める方法だ。こうすれば、相手は何を考えているのかと必ず気になる。また、無言でいることは自分の底を見せないので、相手に警戒感を抱かせるために危機回避にも役立つ。

 更に、虎の威を借る方法もある。これをするためには相手から好かれるようにしなければならない。これも、太鼓持風の態度で相手の気を引いたり、弱者を装って哀れみを引き出す方法とか様々だ。

 

 ところで、もう一つの方法、危機回避の最大のテーマは注目を集めないことである。注目を集めると確かに中心に立つことは出来る。しかし、出る杭は打たれるではないが危険も増大する。だから、この方法をとる事が出来るのは、少なからず自分の何かに自信がある人だけである。

 

●危機回避

 危機を回避するために一番必要な方法は目立たないことだと思う。授業中先生に当てられそうになると急に静かになるのはよく目にすることだが、これも本能的に注目されないことで危機回避を果たそうとしている結果だと思う。まさに蛇に睨まれた蛙の状態である。

 

 注目を集める事と、危機回避は正反対の方法であるが、この矛盾した二つの方法は不思議と人の中で両立している。つまり相手が自分より強いと思われる場合は危機回避をし、自分より弱いと思われる場合は自己を主張して注目を集める訳だ。

 この二つの態度は相手によってめまぐるしく入れ替わる。

 

 注目を集める(力の誇示)にしても、注目を集めない(危機回避)にしても、いちいち例を出すと枚挙にいとまがないが、この二つの中間にもう一つの方法「傍観者」がある。

 

●傍観者

 これは簡単に言えば無関心を装うことである。注目を集めたいが、危険も増大する。といって逃避をすれば底が割れるので、それ以降は注目を集めることが難しくなる。こうした場合、無関心を装うことで自分を守ることが出来る。つまり、やれば出来るかも知れないという可能性と期待を残すことが出来るわけである。

 また、傍観者が何らかの理由で強化されると、多重人格性が出てくるのではないかとも思う。もっとも、相手によって対処方法が変わるのだから、ある意味人間は元々多重人格だとも言えるだろう。

  

 基本的に私たちは誰でも上記の三つの対処法をベースに生活をしている。知識や経験の発達と共に、見かけは複雑化しているが、基本的なところは変わっていないと思う。これは言葉を換えれば人類が誇る知性が本能にこき使われているのと同じ事だ。

 そして、この三つは前の記事に書いたように、潜在的な記憶と結びついて現れてくると思われる。

 

 誰でも、この様な機械的な反応を内面に含んでいるが、この反応を克服すると第四の状態に至る。これはまた後述したいが、第四の状態に至るためには、自分がどのような反応をしているかを明確に知る必要がある。無意識的な空白を極力なくしてゆくことがどうしても必要だろう。

 

 これらの詳細は「聖なる預言」の権力闘争という項に詳しいので、関心がある方は一読されることをお勧めする。

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