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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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潜在意識による願望実現は可能かNo12 

 前回は言葉とイメージの連結の重要性について記述した。

 イメージは潜在意識下の言語であり、何も映像情報だけに限らない。というのは私たちが五感で受け取る情報に含まれる「フィーリング」こそ潜在意識で用いられる言語だと思うからだ。だから、視覚情報だけではなく香り、音、触感、味覚などそれら全てがイメージだということができる。

 だから視覚化が苦手な人はそれだけで挫折する必要は無い。自分の得意な感覚を用いてビジュアライゼーションを行えば良いわけである。

 

 これに対して言葉は表層意識の言語である。だから私たちが言葉を発する時、それは私達の思考経路の表現ということに他ならない。実はこのことは非常に大切なことなのだ。

 アファーメーションと一口に言うが、それは宣言文自体を示しているわけではない。宣言文を考え出す過程の、あなたの「思考経路」がそれに現れているに過ぎない。いくら宣言文が立派でも、その思考経路が今までと何ら変わらないものであれば、恐らくその宣言文はあまり役に立たない。

 

 単純に言って、今のあなたの人生は過去のあなたの考え方に因っている。それなのに思考経路(考え方のパターン)を変えずに言葉だけを変えてもあまり意味が無いのは自明だろう。いきなり180度思考経路を帰ることは無理だとしても、今までとはちょっとだけ違う考え方をしてアファーメーションを作成するように薦めたい。

 そうすれば、そのアファーメーションはあなたの中に新しい思考経路を作り出し、因って新しい人生が開けるはずである。

 

 今もそうかもしれないが、私が子供の頃は「根あかな人間になろう」とか性格を変えよう、、、などという本が流行していた。でも、その手の本を読んだ人に聞いてみると、書いていることはわかるけど自分にはできない。。。という意見が大半を占めた。

 殆んどの本は「こういうときは、こうしよう」みたいに、結局、怒るな!善意で受け止めろ!笑顔を絶やすな!みたいな事しか書かれていなかった。それはわかるが、それが出来ないから悩むわけで、、、かえって自分の性格が余程悪いんだと失意のどん底に叩き込まれる^^;

 私はよく思うが、視点が変われば人は自然に考え方が変わる。これは当たり前だろう。そして、考え方が変われば性格も自然に変わるものだと思う。だから、最も大切なのは色んな視点があることを学ぶことなのだ。そしてその数ある視点の中から、最も感銘を受けた視点ならば人は自然と吸収できる。つまり思考経路が変わってゆくのだ。

 

 さて、前置きが大部長くなったが、イメージ、言葉とくれば、願望実現の要素にはもう一つ大切なものがある。それは「体」である。マーフィーは演技法と言っているが、願望が達成したと仮定してその様に振舞うというものである。

 簡単に言ってしまえば、成功したければ成功者のように振舞え、病気を治したければ健康な人のように振舞えというものだ。

 

 日本の精神界で大きな実績を残した中村天風という人も末期の肺結核に侵され、何とか救いを求めて世界中を旅をして歩いた。その時偶然知り合ったインドの聖者カリアッパ師の弟子となって修行をすることになる。だが師は中村天風を病人としては扱わず、一人の健常な人間として扱った。

 天風は最初それが不満だったらしい。聖者と呼ばれる人が微塵の同情もかけないように思えるのだから無理も無い。そればかりかカリアッパ師は天風に病気の事など気にかけるなと暗に示し、またその様にさせている。その結果余命数ヶ月といわれた天風の肺結核は完治していたのである。

 天風も途中から病を気にかけてはいけないと気が付いたようで、それを無視するかのように普通に行動したようだ。その行動とカリアッパ師が天風を健常者と信じた信念が影響したのだろうと思う。本人が信じてその様に行動し、周囲もそうだと信じる。このような所には強大な共振現象が作用する。

 

 イメージを描き、思考経路を変え、その如くに行動する。願望実現の三大要素はここに尽きると思う。だから、思い通りに行かないという人は、この三つが目的達成という一点にきちんと協力し合って向かっているかを点検してみると良いだろう。願望実現のテクニックとは詰まる所、如何にその三つを統一的に使うかに限ると私は思う。

 

 ところで「イメージ、言葉、行動」という三大要素は古くから知られている。それを仏教では「身・口・意」という。密教の三密加持と呼ばれるもので、密教の法力が世界で冠たるのも、この辺りに理由がありそうだと思う。

 これを同時に実践するのはかなり難しい。しかし、それだけに雑念の湧く隙は全く無く、一点に集中できる。同時実践するには相応の鍛錬が必要だろうが、念頭に置くだけでも内容的に大部濃密なものになるのではないかと思う。

 

 日本では私達の心のことや霊魂のことを「みたま」という。これは「三玉」で肉体、意識、無意識のことではないかと思う。またそれだから人間のことを「みこと」というのだろう。これは「三事」で三つのものが行う。または、事を成すことだと思う。そうすれば、それは「まこと・誠(言葉が成る)」になる。

 だからこの三大要素は気が遠くなるほど古くから知られていたのではないかと思うが、さしあたって願望実現の三密加持を楽しんで頂ければ何よりだ。

 

 

2006/09/30 14:57|心象房:願望実現TB:1CM:6
 

潜在意識による願望実現は可能かNo11 

 今回から願望実現の実際的なテクニックについて考察してゆきたいと思う。そこで、今回はアファーメーション。言葉による願望実現を取り上げてみたい。恐らく願望実現に取り組んだ人なら、アファーメーションとか単語法というのはとても馴染みのあるテクニックだと思う。

 アファーメーションは前向きな宣言文で、例えば「私は、○○を達成しつつある」と、願望を短い簡潔な言葉にして唱えるというものである。また、単語法はもっと短く願望を単語にして繰り返す。例えば「富、成功、勝利、歓喜」などがマーフィーの著書などで紹介されている。

 

 アファーメーションは現在進行形または過去形で作る様にと言われる。潜在意識は本人が信じていることと現実のギャップがあるとそれを埋めるように人生の出来事を作り上げるためだ。だからもし「○○がうまくいった」と宣言した場合、現実がまだそうなっていないと、潜在意識はそのギャップを埋めようと「うまく行った」経験を創出しようとするわけなのだ。

 しかし過去形で宣言した時に、自分の心の中に「本当はそうじゃない」という思いがあると、潜在意識はその本音の方を実現してしまう。これを避けるために「うまく行きつつある」という現在進行形を使うのが次善の策として勧められている。

 

 これに対して単語法は進行形も過去形も関係ない。単語には状況は含まれていないからだ。しかし、その単語を何度も繰り返すことによって、潜在意識の中に刻み込まれた単語は、いわゆる「核」のようなものとなって、それ自体が力を持つようになる。そうなると潜在意識は、その単語にまつわるものを引き付け、またそのような状況を創出するというものである。

 これはアファーメーションに比べると文章を作り上げる難しさも無く、状況を考える必要も無いので良く使われる。

 

 ところで、私は言葉についてよく思うことがある。私達の使う言葉は一応全ての人にとって共通の概念のはずである。「りんご」という時、それは誰にとっても同じ「りんご」だという認識が誰にでもあるだろう。そうでなければ意思疎通の言葉としての役目を果たさないので当然だ。

 しかし、考えてみると同じ「りんご」でも人によっては赤いりんごかもしれないし、他の人にとっては青いりんごかもしれない。つまり同じ単語であるはずなのに含まれているイメージは様々なのである。

 しかも単語に対するイメージには必ず周辺情報が付きまとう。それはりんご=すっぱい、しゃきしゃきするというイメージであったり、好きとか嫌いという感情であったりする。また人によっては「りんご」にまつわる過去の出来事を想起する人もいるだろう。

 ある人にとって「りんご」は入院中に食べたものという出来事と関連付けられているかもしれないし、ある人にとってはお子さんが好きな食べ物で子供と関連付けられているかもしれない。

 こう考えてみると同じ「りんご」という言葉であっても、人によって千差万別な全く別な言葉であることがわかる。このような状況だから、意味をもう少し限定する形容詞や動詞の使い回しは非常に重要になる。

 

 潜在意識の思考言語?はイメージとか雰囲気の類のものだから、このような状況が起こるのだが、意思疎通のツールとしての言葉が決して共通語ではないことが御理解頂けると思う。もし本当に意思の疎通を図ろうとしたなら、私たちは単語が相手にとってどの様なイメージを想起するのかまでをきちんと把握しなければならない。これは殆んど不可能なことだと思う。

 それでも多くの意見交換を繰り返すことで、少なからずこの溝を埋める事は可能だろう。言葉のキャッチボールはとても重要だと思う。

 

 話を戻すが、言葉を使った願望実現を行う際に、この事実は非常に重要な意味を持つ。前出の「富・成功・勝利・歓喜」にしても、例えば「富」という言葉がどのようなイメージや思いと結びついているか、きちんと理解せずに用いないと望んだ結果を得られないことになるからだ。

 このような場合、他の類似の単語を選ぶか、単語とイメージの修正をしなければならない。これは「富」とそれに相応しいイメージを結びつけるという作業である。この作業をしないと全く違った現実を引き寄せたということになるので、単調な作業であるが、とても重要である。

 これは、その単語を唱えながら、それに相応しい状況をイメージし、単語とイメージを結びつける作業だ。この作業が完了すると、その単語は驚くほどの力を持つようになる。それなら最初からイメージした方が早いじゃないかと思われる向きもあるだろう。しかし、この関連付けをしておくと「唱える=イメージの喚起」となるので、いちいち目を閉じてイメージングする手間が省けるから非常に便利なのである。

 

 言葉とイメージの関連付けの重要性は何も願望実現だけに留まらず、日常的に使っている言葉にも大きく影響している。私が良く体験することには、言っていることは理解できるのに気持ちが伝わってこないとか。とても前向きな言葉を使っているのにネガティブな印象しか受けないとか。逆にとても荒げた言葉遣いなのに優しさを感じるとか。。。そのようなことが良くある。恐らく多くの人が、そのような体験をされていると思う。

 これは、私たちが言葉を通してビジョンを受け取っているからだと思うが、このことも私たちが心の底で一つにつながっている証拠なのではないだろうか。イメージの力恐るべしなのである。

 

 さて、自分の願望に相応しいアファーメーションなり単語なりが見つかったら、後はそれを繰り返し唱えることだけである。この際には鼻歌を歌うような気持ちで唱えるのが良いといわれる。何とかその願望を実現しようという悲痛な面持ちで実行すると、それが心の緊張になって潜在意識に入らないし、刻まれても相当に歪んでしまう可能性が高いからだ。だから気楽に唱えるのが一番良い。

 

 最後にどうしても言葉とイメージの関連付けが面倒くさいという方には、とにかく唱えることをお勧めする。言葉にはそれ自体の固有の波動があること。また不思議と回数を唱える事で、言葉のイメージがより共通認識に近いところまで修正される機能があるからだ。恐らく集合的な無意識世界にある平均的な概念に修正されるのではないだろうかと思うが定かではない。

 もし、あなたが、その単語を間違ったイメージと関連付けているとすると、回数を唱えることによって正しい状態へと修正されることになる。その時には根強い印象として、言葉とイメージの修正が行われたと「解る」はずだ。是非お試し頂きたい。

 

2006/09/27 10:04|心象房:願望実現TB:0CM:6
 

最年少総裁安倍晋三氏 

 9月20日に安倍信三氏が自民党の総裁に選出された。以前当ブログでも「どうなる総裁選?」ということで取り上げたが、占うまでも無く大方の予想通りという結果だろう。26日をもって最年少の総理となるわけで、同氏の若いパワーに期待がかかるところである。

 ところで干支暦での今月は9月8日の3:39白露をもって始まっている。四柱推命などを使って社会的な運気を見る場合、この時刻の四柱八字で命式を作盤して鑑定する。そこで、あらためてこの時間帯の干支暦を見ると。。。

 

三碧丙戌年 七赤丁酉月 三碧庚子日 七赤戊寅刻

 

 となる。3・7・3・7と対冲関係にある九星が並び、今月は特別な月であることが一瞥できる。日主は戦格にあたる「庚」がつき社会情勢はきわめて不安定であることを示している。

 このような時期に総裁となる安倍氏は、この運気に纏わり付かれる事を余儀なくされるのではないだろうか。

 タイでクーデターが起こり現行の立憲君主制となったのが1937年で干支暦は九紫丁酉年である。ちょうど今月の干支暦は七赤(九紫が暗剣殺になる)の丁酉月でタイに影響の出やすい月であったが、それは日本にとってもそう変わらない。というのも日本国憲法が可決された年が九紫丙戌の年で、日本は九紫の影響を受けているからである。

 もっとも今年九紫には悪気が掛かっていないのではあるが、20年大運との同会法で見ると五黄同会となるのが気に掛かる。五黄は独裁、テロ、クーデターを示し、実際タイでそれが起こっている。日本でもそれが起こるとは言わないがもっとも気になるのがテロ国家北朝鮮の動向だ。

 早くも北朝鮮は不快感を表明しているが、安倍氏の拉致問題に対する今までの活動を見れば、それも致し方ないだろう。しかし、今後も同国との緊張関係は続きそうだと九星盤に出ている。

 いずれにしても日本憲法可決から今年はちょうど60年。干支も丙戌と同じ干支の年を迎えた。つまり還暦である。そういう節目に安倍氏が選ばれた意味は大きいと思う。

 

 安倍氏は本命星、月命星ともに一白を持っており、日命星は五黄土星という構成である。社会的に一白の影響を免れず今年は暗剣殺、来年は歳破、再来年は中宮となる。特に2008年は安倍氏の日命星が歳破となり、この三年間は安倍氏にとって過酷な年になると予想される。

 特に来年は安倍氏の本命星が遠方を表す巽宮で歳破となるため、諸外国との外交問題、貿易問題などが一層強まりそうだ。

 今回暗剣殺の力を味方につけ総理総裁となる安倍氏であるから、悪気の強力な力も味方につけて欲しいと思うが破殺の力だけはそう簡単に行かないだろう。安倍氏の日柱庚辰と今年の干支丙戌が天戦地冲となるのも気になるところだ。

 こうした「破」の力が悪しき慣習を破るとか、敵対国を破るという方面で発揮されることを祈るばかりである。

2006/09/23 10:27|卜術房:気学TB:0CM:9
 

ちょっと瞑想の話 

 最近はそれほどでもないが、昔は結構瞑想をよくしていた。特に太陽の瞑想が好きで我流の日輪観が多かった。昔から太陽は大好きで幼少の頃はじっと太陽を直視していると、その太陽が緑色に変わるのが面白く、事ある毎に太陽を眺めていたのを思い出す。今にして思うとよく失明しなかったものだとぞっとする^^;

 それでも懲りずに真夏日でも原っぱに寝転がって、よく昼寝をしたものだ。暑くて全身汗が吹き出ているが、それでも太陽の光を浴びるのは心地よかった。

 

 そんな風だから、私が瞑想に入る導入編はいつも日輪観だったわけである。ちょうどおでこのあたりに太陽をイメージし気の向くままそれを眺めていると、次第に太陽は大きくなってくる。いつの間にか自分の身体を包むほどに大きくなる頃には、全身がぽかぽかと暑いくらいになる。そのせいか私は真冬の外出時でも四枚以上は着た事がなかった。

 今では温暖化のせいか北国といってもかなり暖かくなった。それでも、子供の頃はマイナス10度は結構当たり前にあったのだが。Tシャツとワイシャツ、それにベスト。外出時はジャンパーで十分事足りた。

 特段寒いときでも、ゆっくりと呼吸をしてリラックスすると身体が温まって平気なのである。寒い寒いと肩をすぼめて小さくなる人がいるが、そういう緊張した体勢は寒さに向かないと今でも思う。

 

 さて、そんな夏のある日、夕焼けを見ながら散歩をしていると不思議な現象に出くわした。ちょうど太陽をおでこに置いて座禅を組んでいる人が見えてきたのである。立派な王冠をつけていたので大日様だと思いつつ、ちょうどそちらのほうへと向かって歩いているうちに、どうも顔が変だと気が付いた。何が変かって、その顔はどう見ても自分の顔になっていたからだ。

 まさか自分が大日様だとは夢にも思わないし、今でもそんな大それたことを言うつもりは毛頭ないが、その出来事はそれからというもの随分と長く続いた。当時は様々な神秘体験を重ねていたときだから、そんなこともあるのだろうと思っていたのだが、大日様の力を受けてか益々数が増えていった。

 当時、私の家から夕日の方向には三戸という友人達の町があるのだが、その友人達がお前昨日はお日様になっていただろうと言われることもしばしばだった。ちょうど私が大日様を見ていたときに、友人達も気付いていたらしかった。時間的にも全く一致していたので、面白いシンクロもあるものだと感心したものだ。考えてみると、こういうシンクロはこのときを境に増えたような気がする。

 共時性といえば聞こえはいいが、要は精神感応だと思わざるを得ず、人の心が深いところでつながっていると確信を深めた体験である。だからありがたいことに「全ては一つ」だと、何の抵抗も無く信じるに至った。

 

 友人などが泊まりがてら私の部屋に遊びに来ると、部屋の四隅には光の柱が必ず立った。最初は光っていると思っていただけだが、それがどうやら四天王のような守護者であると気が付くのに、そう時間はかからなかった。

 私達の話題はいつも真理についてで、一般の高校生が話す話題は全くといっていいほど出なかった。夏休みというせいもあり、随分と遅くまで話し込むことが多かったが、その光の柱が立つときは全く疲れず眠気もささなかった。それが一般的な話題になると、途端に光の柱は消えて、どっと睡魔が襲ってきたのだから、これもなかなか面白い体験だった。

 真摯な話題では必ず天が支援してくれる。私は今でもそう思っている。

 

 そんな体験を続ける中、私はいつものように散歩に出て太陽を抱く自分を見ていた。それがいつもに増してリアルだったからか、すぐに私は瞑想をしなければならないと感じた。

 急いで家に帰ると部屋に篭って胡坐を組み、座り始めた。いつもなら導入編から入るのだが、この日はすぐに気持ちが落ち着いて、ちょうど覚醒と眠りの中間地点に到達した。もっとも、そこに到達すると意識がスーッとスッキリとして頭の中に宇宙が見えてくる。その状態でしばし味わっていると目を閉じているのに周囲の様子が見えてきた。

 部屋の壁がガラスのように透き通って家の外まではっきりと見える。家の前にある道を走り抜ける車、人。。。猫^^;

 もっとも、それが本当かどうか確認のしようが無いのだから本当の所はわからない。

 

 それは初めての体験だったので、些か興奮しそうになったが、興奮すればすぐに終わると思い、とにかく気持ちを一定に保って静かに観察することにした。

 すると今度は自分の体がグーッと大きくなり始めた。家の壁を突きぬけ、どんどん体が拡大して行くのだ。やや下を見ている私の目の前に、遥か下方にある自分の体が映った。

 街並みがずっと小さくなり、私の住んでいた青森県が全望できた。気が付くと私の頭は雲を突きぬけ、胸の辺りを入道雲が動いている。丸い地球の地平線が殆んどボールのように見え、東北六県と北海道が視界に納まった。

 

 あちこちにポツリポツリと光る点が見えた。光の大きさも色も、輝きの度合いもそれぞれ、一点一点異なっているが、大地を覆う光点のネットワークのように見えた。その中の一点に意識を移動すると顔と同時にその人の一生らしきものが見えてくる。今抱えている悩み、そしてその原因、その人の心の中のつぶやき、、、、それらがちょうど映画の映像を重ね合わせたように出現するのだ。過去、現在、未来の映像が折り重なるように見えるが、その一つ一つの映像はそれぞれきちんと識別できた。

 一枚のスクリーンにいくつもの映画を映しているのに、一つ一つの映画をそれぞれ別々に見ているかのように解るのである。そして時間の筋が過去から未来へと流れてゆく。。。

 あちらこちらを意識を動かすと、それに応じて様々な人の人生が見えてくる。一人一人を見ることを止めて、意識をスーッと引いてより大きな枠をイメージしてみた。。。

 と同時に、頭の中に、多分その視界の中に入っている人たち全てと思われる人々の声が聞こえてきた。喜び、悲しみ、叫び、、、私の頭の中は一瞬にして数え切れない人たちの言葉で埋め尽くされたのである。勿論それは、瞑想中の幻覚だったのかもしれない。私自身、リアリティーはあったものの幻覚ではないという確信は全く無い。どの様なものかも未だに理解できてはいない。

 

 多くの人の悩み、苦しみ、悲喜交々の思いが入り混じって私の頭の中も引き裂かれそうになったが、気持ちを落ち着けると、それでも、全体としてバランスが取れていると気が付いた。

 私たちは悩みや苦しみ、喜びや楽しみに右往左往しているが、それは見かけだけなのだと思う。勿論、それらは渦中にある人にとっては重大事だし、身を焼かれる思いで過ごしていることだろう。でも、私たちはその深いところで、全てを理解し、その人生経験を見守っている。

 人生経験が一人一人違うとはいっても、その人生経験は一人では作れない。仲間役、敵役、仲介役、、、と、様々な人の支えがあって、その人生は演出されている。そのことに気が付くのは難しいかもしれないが、それでも、私達の人生は造られているのだと思う。

 だから、ちょっとだけ視点を変えると、その人生は新しい役をもともめて、新しいステージに移ってゆく。多くの人はその新しいステージの一歩手前で踏み止まっている。本当にもう一歩前に踏み出すだけで、人生は変わってゆくだろう。

 

 多くの人の人生を垣間見て、一人物思いに耽っていた時、階下から私を呼ぶ母の声が聞こえた。「ご飯だよ〜」って^^;

 気が付くと既に2時間以上も過ぎていた。私の中ではちょっとした時間でしかなかったのに。。。

 同じような体験はそれから10年以上もたった頃にもう一度体験することになるが、今でも、あれはなんだったのだろうと思う。。。

 

2006/09/17 20:30|山術房:瞑想TB:0CM:11
 

飲酒運転を考える。。。 

 最近事ある毎に話題にあがっている飲酒運転。今に始まったことではないはずなのに、飲酒運転に関するニュースの急増は逆にマスコミの主体性の無さのように感じてしまう。もっとも、様々な不幸の原因となっている飲酒運転を考える機会が与えられるのは良いことではあるが。

 

 ところで、ここまで飲酒運転に関する話題が盛り上がるのも、今年の九星の影響だろうと思う。三碧中宮の今年はお酒を象徴する一白が暗剣殺となり、しかも支合が付いて、その意味合いを強めている。

 水害だけではなく、飲酒問題までクローズアップされるとは予測していなかったが、なるほど得心の行く話ではある。

 三碧は若者を象徴しているので、若者にとってお酒は本来鬼門なのであるが。。。

 

 ところで、お酒が私たちにどのような問題を示すのかと、あらためて一白中宮盤を作ってみると以下のようになる。

一白中宮盤

 ┌─┬殺┬─┐
 │9│5│7│
 ├─┼─┼─┤
 │8│1│3対冲
 ├─┼─┼─┤
 |4│6│2│
 └─┴暗┴─┘
                        
 まず、六白金星が暗剣殺となるのが一番に目を引く。六白金星は車を象徴する星で、飲酒は交通事故を誘発するとはっきりと出ている。

 また五黄殺が離宮(法律・警察)に巡っていて、取り締まりなど警察の頭を悩ませる問題であるとわかる。

 発展力を表す三碧木星は定位対冲となって力が弱まっているから、酒の飲みすぎはやる気が阻害され、言語障害の元になるかもしれない。また三碧は電気信号を象徴してもいるが、これが弱まるのは思考力の低下、記憶力の低下につながると考えても良いだろう。

 このことは離宮の五黄殺にも暗示されている。離宮は明智を表すので、スッキリとした思考力を持てなくなるのだ。

 

 適度に用いれば酒は百薬の長とされるが、それも九星盤に現れている。たとえば九紫は木生火の関係で巽宮に支援されている。巽宮は調うの象で、九紫は血液も象徴しているので、適度なお酒は体調を整え、血行の促進を果たす。これは良く知られているところだ。

 また、七赤は坤宮に支援されているので、酒の席は喜び、和合を促す役目もある。坤宮は労働、疲労を表すので、疲労回復にも良いし、食欲を増進する効果もあるだろう。

 といっても、過ぎれば離宮は闘争、三碧は喧嘩・喧騒となるのは皆さんよく御存知の通りである。

 

 何事も程ほどにと言いたい所だが、精神や霊性を示す離宮と坎宮に殺気が入るので、この点は十分に注意されたいと思う。

 

2006/09/15 11:43|卜術房:気学TB:0CM:7
 

潜在意識による願望実現は可能かNo10 

 前回に引き続き、今回もこの話題を書く予定はなかったのであるが、少々思うところがあって書いておきたいと思う。

 

 潜在意識による願望実現が可能かどうかはさておいて、私達の考えが現実を作り出していることに異を唱える人はそういないだろう。

 なぜなら、私達の行動は「考え」によって始まるからだ。何でも良いが、あなたが何らかの行動を起こすとき、そこには必ず考えがあるはずだ。だから、その後の偶発的な出来事はともかく、私達の考えは十分に私達の現実に影響を与えている。

 ところで、私たちは物事を考えるとき、言葉を使って考える。言葉を使わないで考えることが出来るという人はまずいないだろう。

 思考は現実を作り、思考が言葉でなされるとしたら、現実を作っているのは言葉だと言い換えることが出来るのではないだろうか。。。そんなことに思いをめぐらせていた時に、ふと思い出したことがある。

 

 私はずっとコンビニの店主をしていて、随分と大勢のアルバイトと接してきた。殆んどは大学生や高校生だったから、年々乱れてゆく日本語を感じてもいた。

 もっとも、私の日本語も正確だとは言い難いから、それを嘆く気持ちはない。言葉は時代と共に変わってゆくものだし、常に年長者の口癖は「今の若いものは」なのだ^^;

 この口癖は今も、1000年前も変わっていないのではないかと思う。。。話がそれたが^^;

 

 そんな私でも、若者達の言葉遣いで妙に気になる言葉があった。

 仕事をしていると、何処でもそうだろうが備品の一つや二つ必ず壊すものだ。私は一度もそんなことを咎めた事はないのだが、彼らは決まってこう言う。

「オーナー、これ、壊れちゃいました。。。」

 

 さて、皆さんは、この言葉遣いが明らかに間違っていることに気づかれるだろうか?

 私は備品や商品を壊されることよりも、この表現が気になって仕方なかった。そのからくりはこうだ。。。

 

 「壊れました」これ自体は立派な言葉である。でも、壊した本人が言うとどうだろう?

 つい「お前が壊したんだろ?」と突っ込みたくなりませんか(笑)

 そうなのだ。「壊れました」は、あたかもそれが勝手に、または独りでに壊れたという言い方なのである。この言葉の影には「自分は関係ありません」が「勝手に壊れました」という意味が込められている。この場合は「壊しました」が正しい。だって、備品が勝手に壊れるわけがない(笑)

 だから、どうにも「自分は関係ありません」みたいな言い回しが気になってしょうがなかったわけである。

 

 この手の言い回しは年々増えていったので、古い言葉に馴染んでいる私はついつい突っ込みたくなる(笑)

「へえ〜、こいつが勝手に壊れたんだ(笑)」と突っ込むと

「あ、いえ、自分が壊しました。。。(泣)」と言い直す。

 だから、みんな正しい言い回しを知っていた。にも関わらず、このような言い回しをする。。。

 

 多分、どっちの言い回しでも意味は通じる。でも、中身は全然違ったものになる。まして、それが現実を作るとしたら、自己不在の現実を作ってしまうことになるんじゃないかと、そんな心配が頭をもたげる訳である。まさか自分のいない願望実現を望む人はいないだろうから^^;

 マーフィーの願望実現では、願望を簡潔な言葉(祈り)にして繰り返せと教えている。でも、こんな日本語でそれをやったら。。。また、何かの行動を起こす際に、このような言葉遣いで思考していたとしたら。。。^^;

 マーフィーの願望実現を試してみたけど全く効果がなかったという方は、正しい言葉遣いと文法をチェックしてみては如何だろう^^;

 

2006/09/09 21:36|心象房:願望実現TB:0CM:11
 

潜在意識による願望実現は可能かNo9 

 英国の科学者が面白い実験を開始した。誰かに電話をしようとしたら相手からかかってきたとか、電話に出る前に誰から来たか解ったとか、、、電話にまつわるテレパシックな話は意外に多い。それを実験で証明しようという試みがなされたらしい。

 実験は誰から電話が来たか当てるというもので、かなりはしょって書くが正解率は45%だったらしい。もし確率どおりなら25%の正解率になるはずなので、45%の正解を得る偶然の確率は1兆分の1の可能性しかないらしい。

 この数字が高いと思うか低いと思うかの判断はお任せしたいが、残念なことにこの実験ではまだまだ検証回数が不足している。今後も継続して実験を行うということなので成果が楽しみではある。

 

 ところで、もしテレパシーなるものが存在するとしたら、どのような原因が考えられるだろうと思ったことがある。取り敢えず私の推測は下記のようなものだ。もちろん仮定の上での推測だ。

 

  1. 相手の微妙なしぐさから、気持ちや思考を感じ取ることが出来る。ただし、この場合はすぐに近くにいないといけない。
  2. 人間から脳波など、何らかの電磁波が出ており、敏感な人はそれがキャッチできる。ただし、テレパシーは距離に影響されないと言われるので、物理的な電磁波ならこのこととは一致しない。
  3. 私たちから距離等に影響されない何らかの波動が出ていて、テレパシストはそれをキャッチできる。もっとも波動は距離の自乗に比例して弱まるのが常なので、そのような波動があればということになる。
  4. 集合的な無意識を通してつながっている。この場合距離等は全く無関係で、問題になりそうなのは、その人が感じている親和性ぐらいだろう。

 

 私が一番可能性として高いと思っているのは、集合的な無意識を通過して以心伝心が起こるという考えである。集合的な無意識の実体が明らかではないので、その点はなんともいえない。が、もし集合的な無意識があるとすれば、距離や物理的な障害に関係なく何らかの信号が伝達される可能性が最も高いと思える。

 

 マーフィーなどの願望実現の奇跡的な成功体験を読むと、ありえそうもない偶然の一致によって誰かを引き寄せるという現象にしばしば出くわす。しかもその人物は、あらゆる面で願望を達成するのにぴったりの人である。それまでは全く見ず知らずの関係であるのに、都合よく、本当に都合よくそのような人物を引き寄せる。

 もし、この偶然の一致を全面的に肯定し説明するとすれば、以下のことが推測できるだろう。

 

  1. 集合的な無意識は存在している。
  2. 集合的な無意識を通して、私たちは意志の疎通を図ることが出来る。
  3. 世の中には無意識にでも、他人の願望の実現を手助けしたいと思っている人がいる。
  4. 集合的な無意識では、相手を全く知らなくても探し出すことが出来る。

 

 と、なるだろうか?

 

 潜在意識には様々なレベル(深度)があると思える。そしてもし、以上のような機能が潜在意識にあるとすれば、願望の実現はかなりの分野で可能だと考えることが出来そうだ。

 となれば問題は、いかにして自分の願望を集合的な無意識.のレベルまで下げてゆくかということになるだろう。

2006/09/07 23:35|心象房:願望実現TB:0CM:9
 

親王の誕生に思う 

 三碧丙戌年 八白丙申月 五黄戊戌日 二黒丙辰刻 閏七月十四日 頤・復

 今日は朝から祝賀ムードに湧いている。言うまでもなく41年振りに親王がお生まれになったからである。

 昨年暮れあたりにはあれほど騒いでいた皇室典範改正問題という二千有余年の大事も、これをもって、そう急いで議論する必要もないだろう。どのような結論が出されるにせよ、歴史の重みを十分に議論できるのはありがたい。

 

 ところで、41年ぶりというのはとても意味深な数字である。聖書を読んだことがある人なら、イエスズ・キリストが荒野で受けた40日の試練を思い出されるかもしれない。偶然の一致といわれれば、ことさらそれを否定する気はないが、その数秘から言えば、41はまさに試練を超えた第一日目である。神の一日は1年という記述もあるので、41年振りにお生まれになった親王というのも私にとっては感慨深い感がする。

 

 また41という数は日本の数霊理論では神の数とされ、天之御中主尊を表す数として扱われる。同尊は日本八百万神の初発の神であるから、親王がこの数をもって生まれたということに深い関心を覚えざるを得ない。

 この数が神の数と言われるのは九九81の中心数だからであるが、9は最大の単数であり、それが重なる81は森羅万象の全てを表している。その中心にある数が41で、これは九星で言えば五黄中の五黄なのである。奇しくも今日は五黄の日であり、このようなシンクロもなかなか興味深いと思う。

 

 親王は8:27にお生まれになったとのことであるが、干支暦では立春をもって一年の始まりとするが、今年は2月4日の8:27に新年が始まっている。このような共時的な出来事に思いをはせると、なかなかに重大な運命を背負ってお生まれになった親王ではなかろうかと思い至るのだ。実際、これは干支暦にも如実に現れている。

 

 天皇家の重大事にはいつも木星が絡んでいる。そのこともあって親王の誕生時間は木星が地平線に来る8〜9時の間か、15:30頃になるのではないかと思っていた。帝王切開となれば、手術の開始時間とうを鑑みて15:30だと思っていたのだが、何故か朝の8:27という時刻。これには些かの疑問も残るが、木星が東の地平線からまさに上ろうとしている時刻ということに一応の納得も行く。

 ともかく、占星術で言えばアセンダントに木星が入るという、もっとも幸運な運気を持ってお生まれになったということになる。現状の皇位継承問題から言って、これは日本にとってもとても良い兆しだといって良いだろう。

 

 占星術における親王の際立った特徴は、第4室の海王星と月の完璧な合である。四室は通常は家庭環境を示すが、マンディンという手法では国そのものを表すハウスでもある。

 そこに海王星と月という、共に無意識、霊性、心霊を表す星が完全な合をもって納まっている。しかも、その海王星と月の180度正反対の位置には、土星がこれまた1度程度の誤差の中に納まっているので、この配置が非常に気になるのである。

 この配置は心霊能力者となってもおかしくはない配置だと思うが、一方で日本そのものを表しているとすれば、とても不安定な国情を暗示することになりかねなない。

 それ以外の点では、まさに天皇家に生まれるべくして生まれた星回りだと思う。どのような命名がされるのか、感心を持って見守りたいところである。

 

2006/09/06 23:11|命術房:占星術TB:0CM:5
 
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