皆様から頂いたコメントを通して、あらためて教育ということを考えておりました。私の娘達は既に社会人となっていますので、もはや教育という言葉とは縁が薄くなっています。それでも、以前考えていたことを振り返りあらためて考えてみると詰込み教育の是非に思い至ります。
詰込み方教育の弊害が叫ばれるようになって久しく、その反省からゆとり教育とか情操教育ということがクローズアップされました。そのゆとり教育のカリキュラムを組み込むために他の時間が削れら、また週休二日制が導入されてますます授業の時間が減りました。
当然授業に避ける時間は減り、それに合わせて娘達の教科書が年々薄くなっていったのを覚えています。
そんな中、詰込み形の教育は本当に間違っているのだろうか?と、考えたのを思い出します。当時から私はどうも本当の問題点が摩り替えられているような気がしてなりませんでした。多くの専門家の方々が検討し出された結論であるとは思いますが、私の疑問を少し書いてみたいと思います。
現代では印刷技術や流通経路が発達し書物は私達の周囲に氾濫するようになりました。とても豊富な情報が公開されているわけで、望めば多くの情報が手に入ります。その絶対量は印刷技術の発展する昔とは比べ物にはなりません。
紙が発明され、情報が後世に伝えられるようになっても、書物は長いこと、とても高価なものでした。一冊一冊が手書きでしたし、印刷技術が発明されてからも大量に生産し流通させるのは簡単なことではありませんでした。
そのため勉学にいそしむためには書を借りてきて書き写すか、丸暗記をするしかなかったわけです。反面、書が流通し始めた現代、私達は丸暗記をする必要はありません。調べれば済むわけですから。もちろん学校での試験の際は覚えておく必要はありますが。。。
近年このような丸暗記の勉強法で突出した偉人といえば真っ先に思い出すのが南方熊楠です。詳細は省きますが、慶応3年、1867年生まれの彼は、近所の裕福な家の土蔵に篭り、書を丸暗記しては家に帰って書き写すということをしていました。そうして作られた熊楠の本は本物と寸部も違わなかったといわれます。
彼ほどの偉人ではなくても、仏教の僧侶には仏典を何百巻何千巻も暗誦したといわれる人物が多く排出されています。またユダヤ教ではトーラー(聖書・モーゼ五書のこと)を子供の頃から暗誦させられるといいます。このような逸話を持つ偉人は洋の東西を問わず、過去には多く存在していたのではないかと思います。
人間の記憶力の限度の無い深みを思い知らされますが、この手の記憶量を獲得するには右脳の働きがとても重要であることが知られるようになりました。膨大な情報を記憶する回路は左脳ではなく右脳にあるといわれるのです。その右脳は情緒に関係し、日本における右脳開発の第一人者七田眞さんによりますと。右脳を開発すると人間は優しくなると明言しておられます。
膨大な情報を記憶するためには右脳の働きがどうしても必要です。右脳は論理的な思考とは無縁で、基本的に丸暗記の脳ということになります。詰込み形の教育というのは言ってしまえば丸暗記教育ということになると思うのですが、それの何処がいけないのか。。。
ところで、とても長い文章などを丸暗記しようと奮闘した経験がある方なら解ると思いますが、長文を覚えるために何度も何度も読誦していると、自然とリズミカルな節が付いてきます。文節ならぬ音節が出来上がるわけで、これが覚えるために一役買います。
お坊さんがお経を覚えるにも、この音節はとても重要な役目を果たしますが、リズム、音節は右脳を刺激する要素です。つまり、丸暗記は愛の脳である右脳を開発するということになります。
ユダヤ教でも聖書を暗記させるために面白い方法が使われます。言葉もわからない赤子の時から、その訓練は始まります。どの様にするのかというと聖書に蜂蜜を塗って赤ちゃんになめさせるのだそうです。「好きになる」が教育の第一歩というわけで、とても興味深い方法だと感嘆いたしました。
好き、嫌いというのは右脳の支配分野です。となれば、蜂蜜をなめさせて聖書を好きになると、聖書を暗誦する時、右脳は大活躍をするでしょう。実際、その様にして聖書は伝えられて来た訳ですから驚嘆に値します。
また大和言葉には言霊が宿ると言われますが、昔の日本人の言葉のスピードはとてもゆっくりとしたものだったそうで、同じ言葉を話すにも現代の3倍以上の時間がかかっただろうといわれます。3倍も時間をかけて、ゆっくりと話すのは恐らく現代人には容易に出来ることではないでしょう。ところが、ここにある秘密があります。
これも実際にゆっくりと話してみるとわかりますが、きわめてゆっくりと話すと言葉は唄になってしまいます。もちろん、唄(音楽)は右脳の司る分野です。つまり力の宿る言霊には右脳が関係していることが容易に推測されます。
さらに、ゆっくりと話す時、とても長い吐息が必要になります。これは瞑想で言う調息にあたり、気持ちを静め心身をくつろがせます。つまり、脳の状態をアルファ波にする効果があります。また、ゆっくり話すことがイメージを沸き起こらせることにも気付かれるでしょう。
このような習慣が右脳を開発し、言葉に力を持たせたのではないかと思えます。そして、実際日本人は世界でも類の無い右脳系言語の民族です。
さて、もう私が何を言わんとするか御理解頂けたと思います。丸暗記主体の記憶法は決して悪い方法ではないと言うことです。
記憶方法にも左脳型の記憶法と右脳型の記憶法があります。左脳型の記憶法は「意味」がとても大切になります。「意味」を覚えないと記憶できないのです。一方で右脳型の記憶法はもともとが丸暗記で意味は後から付いてきます。
左脳型の記憶法は理解しなければ覚えても意味がありません。一方で右脳型の記憶法は中身がわからなくてもとりあえず覚えておくという方法です。身近なところでは九九の暗誦などがどなたにも経験のあるところでしょう。
学校での記憶は「意味」に重点が置かれますが、恐らく、このあたりに「詰込み形教育」の弊害があると言われるのでしょう。前述したように左脳で覚えるためには「理解」が必要です。ところが左脳は右脳に比べ大量の記憶をするには向いていないのです。
学校で一日何時間も授業を受け、それを全て覚えておくなんて、どだい左脳には無理な話です。詰込む先が間違っているのではないかと思います。
日常を見ていても、自分のすること、人のすることの「意味」を知りたがる人が殆んどです。意味もなくすることは悪い事という感覚が出来上がっているとしか思えません。私達がなんにでも意味を求めてしまうのは、明らかに左脳の影響で、良くも悪くも学校教育の効果が現れています。
けれど、左脳はエゴの場所といっても良いくらいです。左脳の思考は相対性の中にあるので、何でも比べたがります。そして違いを見つけ出し、その違いの意味を理解する。これが左脳の思考法ですから、左脳の原点は「競争」といっても良いでしょう。
良い方向にむけられれば切磋琢磨の向上心となりますが、競争に負け続けると過大なストレスが貯まり、異常な判断を示し始めます。もし、詰込み教育を左脳に対して行えば、そのストレスは極限へと増大することになります。
それに、もともと左脳は「ゆとり」が苦手です。いくら教科書を薄くしても左脳主体の教育方針では「ゆとり」は生まれないと思うのですが。。。
このように考えてみると、詰込み形の教育は決して悪くは無いと思うのです。ただ、それを右脳にさせるか、左脳にさせるか、、、そのあたりが曖昧なのでは無いでしょうか。
だから、単純に学習量を減らせば良いという発想ではなく、授業の中身に見合った学習の仕方がとても大切だということ。右脳をうまく働かせるには「好き」という感情を上手に呼び起こすこと。。。が必要になってきます。皆さんも例えば好きな教科なのに先生が嫌いだから覚えられない。。。とか、あるいは逆の体験されているのではないでしょうか?
そしてその記憶の度合いを点数で判断する。。。このような判断基準こそ左脳的判断を中心に置いている事が解ります。左脳を働かせすぎると、自他の分離(自分勝手)、競争心、敗北感からの無気力化、ストレスに弱い人格が生まれます。
私が子供の頃は点数で判断されるのは中学校からでした。でも、今では塾だのなんだのと小学校や、ひどい時には幼稚園から篩いにかけられています。最も右脳的なものが育つ時期に、右脳そっちのけで左脳教育をされるのですから、その弊害は計り知れないとこそ思います。
実にそれが現代教育の問題点なのではないかと思った次第です。
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