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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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三箇日の日時方位 

 今年1月21日にブログを立ち上げ、ちょうど1年が経つことになります。その間多くの方々に御縁を頂き、沢山の事を学ばせて頂きました事は喜びに絶えません。 

 東洋占術をベースにスピリチュアルや願望実現など随分と独断と偏見で綴って参りましたが、皆様の御寛容を頂き一年を締めることができました事を心から感謝いたします。来年も今年同様お付き合い頂ければ無上の喜びと存じます。

 

 さて新年の御来光を頂きに参られる方も多いことでしょう。先般「太陽を食む」と題した記事を掲載いたしましたので、天照様と良き新年を皆様が迎えられる事を祈り、御参考までに下記記事を掲載いたしまして本年の締めくくりに致したいと思います。

 それでは皆様、良いお年を。。。


日の出時刻

札幌 6:50  仙台 6:53  山形 6:55  東京 6:50  大阪 7:05  高知 7:10

鳥取 7:12  福岡 7:22  鹿児島 7:17

となっております。また正確な時刻が知りたい方は下記URLをご参照下さい。国立天文台のページへと飛びます。

http://www.nao.ac.jp/koyomi/

 

 以下は三箇日の方位吉凶表です。暗剣殺、五黄殺、時破、日破の方位を避けて元旦のお参り等をされますようお勧めいたします。推奨方位は奇門遁甲八門をベースに記載してあります。

 出発時刻を基準にご覧下さい。

1月1日 五黄乙未日 時庚九星 暗剣殺 五黄殺 時破 日破 推奨方位
子の刻 23:00〜01:00 四禄丙子 南東 北西 北東 南西・北
丑の刻 01:00〜03:00 五黄丁丑 なし なし 南西 北東 東・南東・南
寅の刻 03:00〜05:00 六白戊寅 北西 南東 南西 北東 南西・西
卯の刻 05:00〜07:00 七赤己卯 西 西 北東
辰の刻 07:00〜09:00 八白庚辰 北東 南西 北西 北東 南・西
巳の刻 09:00〜11:00 九紫辛巳 北西 北東 なし
午の刻 11:00〜13:00 一白壬午 北東 南東・西
未の刻 13:00〜15:00 二黒癸未 南西 北東 北東 北東 北西・南
申の刻 15:00〜17:00 三碧甲申 西 北東 北東 北・北西
酉の刻 17:00〜19:00 四禄乙酉 南東 北西 北東 北・西
戌の刻 19:00〜21:00 五黄丙戌 なし なし 南東 北東 東・南西
亥の刻 21:00〜23:00 六白丁亥 北西 南東 南東 北東 南・南西・西

 

1月2日 六白丙申日 時庚九星 暗剣殺 五黄殺 時破 日破 推奨方位
子の刻 23:00〜01:00 七赤戊子 西 北東 なし
丑の刻 01:00〜03:00 八白己丑 北東 南西 南西 北東 東・西
寅の刻 03:00〜05:00 九紫庚寅 南西 北東
卯の刻 05:00〜07:00 一白辛卯 西 北東 南西
辰の刻 07:00〜09:00 二黒壬辰 南西 北東 北西 北東 なし
巳の刻 09:00〜11:00 三碧癸巳 西 北西 北東
午の刻 11:00〜13:00 四禄甲午 南東 北西 北東 なし
未の刻 13:00〜15:00 五黄乙未 なし なし 北東 北東 東・南東・南
申の刻 15:00〜17:00 六白丙申 北西 南東 北東 北東 北・西・東
酉の刻 17:00〜19:00 七赤丁酉 西 北東 南東・南西
戌の刻 19:00〜21:00 八白戊戌 北東 南西 南東 北東 北・東
亥の刻 21:00〜23:00 九紫己亥 南東 北東


1月3日 七赤丁酉日 時庚九星 暗剣殺 五黄殺 時破 日破 推奨方位
子の刻 23:00〜01:00 一白庚子 北西
丑の刻 01:00〜03:00 二黒辛丑 南西 北東 南西 北西
寅の刻 03:00〜05:00 三碧壬寅 西 南西
卯の刻 05:00〜07:00 四禄癸卯 南東 北西 西 なし
辰の刻 07:00〜09:00 五黄甲辰 なし なし 北西
巳の刻 09:00〜11:00 六白乙巳 北西 南東 北西 南・南西
午の刻 11:00〜13:00 七赤丙午 西 北東・南東
未の刻 13:00〜15:00 八白丁未 北東 南西 北東
申の刻 15:00〜17:00 九紫戊申 北東 北西
酉の刻 17:00〜19:00 一白己酉 なし
戌の刻 19:00〜21:00 二黒庚戌 南西 北東 南東 北西・西
亥の刻 21:00〜23:00 三碧辛亥 西 南東


2006/12/31 09:29|開運についてTB:0CM:3
 

太陽を食む 

 今回別な記事を予定していたのだが、思い至る事があり「太陽を食む」話を掲載しておきたい。

 

 スピリチュアルな世界では人間の心が平和と調和に満ちた時に、世の中が大きく変わると考えられている。その一つが地上から肉食がなくなるというもので、人間はもとより動物達も弱肉強食の呪縛から開放されるという考えが伝わっている。

 そして更に、人の心が本来.の自分に目覚めた時、私たちは食べる事さえ必要がなくなると言われている。

 

 このような話がにわかに信じられないのは十分に承知しているが、この考えは一部の人達に根強く信じられている話なのだ。ところが嘘か本当かは私も確認した訳ではないが、何年も、時には何十年も何も食べずに生きている人たちが実際にいるのだという。その数は知られているだけでも3000人にも及ぶという。

 中には水さえも摂取しない人もいるというのだから、不食の可能性を少しは信じている私ですら驚嘆してしまう。

 

 スピリチュアルな世界では彼らは太陽からそのエネルギーを獲得し生命力として活用するといわれる。気功などを行じておられる方の中には、不食とまでは行かないまでも極端に小食になる場合もあるといわれる。仙人が霞を食べて生きていると言われるのも、この様な事実があったからなのかもしれない。

 ところが近年NASAが不食者を科学的に調査したという話を聞いた。そして4ヶ月間その人は完全に何も食べなかったというのである。

 もちろん一週間程度なら誰でも何も食べずに生きては行けるだろうし、断食などの経験を積んでいる人なら数週間は大丈夫かもしれない。けれど4ヶ月ともなればまず不可能だろう。

 

 ところで第二次世界大戦中にロシアの捕虜となってシベリアに抑留されたある人の記事を以前読んだ事がある。極寒の地シベリアは真夏でも平均18度ほどで、冬の平均気温は−20度ほどだ。−73度なんてとんでもない気温を記録した事もある。

 そのシベリアで捕虜となり、僅かな配給の中で食べるものも儘ならず、毎日の過酷な重労働を課せられた。60万とも100万とも言われる人たちがそのシベリアに送られて40万人近い人たちが亡くなっているという。

 私が子供の頃−20度を超える寒さを体験したことがあるが、ちょっとした風が吹くたびに頬が文字通り切られる痛みが来るのを知っている。しかも十分な防寒設備などあろうはずもないその時代の事であるから、まさに想像を絶する過酷さだろうと思う。

 

 私が呼んだ記事は、その様なシベリアから帰還したとある人の話であった。その苛酷な環境、そして食事情の中で如何にして生き延びたのかを語った手記であったのだが、その中に「太陽を食む」という習慣が自分を救ったと書いてあった。

 極寒の獄舎の中では夜寝ることもままならない。少しでも油断しようものなら凍死してしまうからだ。だから、その人は夜も寝ずに過ごした事も度々あったという。それぐらいだから日の出の頃には当然いつも起きている。それで少しでも温かい朝日の光で身体を暖めたというのだが、その時に太陽をじっと見つめ、大きく口を開けて太陽の光を食べる真似をしたのだという。

 何故、そのような事をしたかというと、お天道様を食べると元気が出て健康になると母親から聞かされていて、懐かしさに母を思っていた時に、その話を思い出したからだったらしい。

 最初は少しばかりの暖を採るために祈るような気持ちで始めたことであったが、やってみると不思議に疲れにくくなり空腹感もあまり感じなくなったという。それでシベリア抑留から開放されるまで続けた訳だが、それが自分の命を救ったと確信している。。。という話であった。

 

 その方の母親がどこからその様な話を得ていたかは解らない。けれど当時「太陽を食む」を連想させる出来事があった。それは教派神道十三派に数えられる黒住教の開教にまつわる話である。

 黒住教の教祖となった黒住宗忠は30歳の頃肺結核にかかり余命幾ばくもないと宣告される。けれどとある冬至の朝、朝日を浴びていた時に至高体験に見舞われ、天照大神と同魂同体になったとされる。もちろん長年宗忠を苦しめていた肺結核は跡形もなく完治していたという。

 恐らくこの話が伝えられたのではないかと思う。

 

 最近では美容にばかり注目が集められて陽に焼けるのを嫌う人が増えてきた。またオゾン層の破壊から有害紫外線が取り上げられるようになり、まるで太陽は悪者扱いされるようになってしまった感がある。しかし太陽の光は私たちの想像を超えた超人力をもたらすのかもしれない。

 「光」は私たちの松果体を刺激する事が知られているが、その松果体はホルモン分泌の司令塔の役割を果たしている。この松果体は年齢と共に石灰化してゆく小さな器官であるが、精神作用や健康に重要な各種のホルモンを分泌するように命令する役目を果たしているのだ。

 この松果体は一説には第三の眼のある場所とも言われ、最も注目されるチャクラでもある。

 だから、もし本当に太陽凝視によって松果体が刺激されるなら、精神的な安定や、やる気ホルモンの分泌等による積極的な姿勢が現出するだろう。またホルモンバランスの安定は免疫機能を高め健康に一役買ったとしてもなんら不思議はないだろうと思う。

 

 神秘学的には「光」とは私たちの精神そのものであると考えられている。光の謎はいまだに解明されてはいないが古来からの神秘学ではある程度の答えは既に出されているといって良いだろう。その陽光を意図的に自身の中に取り入れるなら、それは私たちの精神活動を充実させる事になる。

 光とは私たちの意識そのものであり、霊そのものであるからだ。余談であるが、従って聖書の創世記にある「光、在れ」とは、「魂よ、存在せよ」という意味に等しい。だから秘教的な創世記第一日目に私たちの魂が作られたという解釈もなされている。

 さて、その様な光の摂取は、従って私たちの霊的側面を充実させる事になる。この充実は私たちの霊的身体を確固としたものにし他者の介入を防ぐ効果がある。他者とは、ここでは霊的な他者で、即ち憑依等の現象を防ぐ効果があるともされている。

 

 精神を充実させ、霊的側面を堅固にする太陽の光。。。にわかには信じられないという人も多かろうが、冬至を過ぎて新年を迎えようという今、皆様も太陽を食まれては如何だろう。

 霊云々はともかくとして、陽光の下で過ごす時間はとても心地良いものである。もし、興味が湧かれ、ちょっと試してみたいというお方は、その際には「あまてらすおおみかみ」と口ずさむ事をお忘れなく。

 ちなみに、私のデスクトップの壁紙には太陽の写真がいつも飾られている(笑)

 

2006/12/29 19:22|山術房:心行TB:0CM:4
 

自灯明、法灯明 

 綾小路殿のコメントに出て来た「大死一番」があまりにも懐かしい。高校生の頃、何度となく読み返した本である。「大死一番」というこの言葉は禅宗の言葉であるが、まあ、簡単に言ってしまえば覚悟を決めよということにでもなるのだろうか?

 覚悟を決めるとなれば二つのことが思い浮かぶ、一つは否応なく切羽詰った状況に追いやられて、死んだ気になってぶつかってゆく。。。もう一つは、何かに取り組もうとした時に、最悪の状態をも想定して覚悟を決めて取り組んでゆく事だ。

 同じように思われるかもしれないが、前者は不測の事態の中での出来事で、後者は予測済みの中であらかじめ覚悟を決めて行く事になる。どちらが肚を据えられるかと問えば、多くの人は後者だというだろう。でも、こればかりは前者も後者も殆んど関係ないのではないかと思える。

 何しろ覚悟するという日頃の習慣が無ければ、どっちだろうと一朝一夕に覚悟なんて決められるものではないのだから。。。

 

 ところでこの「大死一番」の「死」とはエゴの死を意味している。我大事と思う心を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれという意味なのである。

 自分の事ばかり考えていると人の心は萎縮する。傷つくまい、敗れまい、自分だけは生き延びようと我大事という思いがあると、かえって心も身体も萎縮して動きが小さく、ぎこちなくなる。だからかえって危ういのである。

 これは戦も人生も同じ事ではなかろうかと思う。。。だからこそ先人は誰もが「執着を捨てよ」と教えていた。

 

 その覚悟は「吾が心に目覚める」と書く。だとすればこの「吾が心」とは「我心」であろうはずはない。それでは「吾が心」とは一体なんであろうか。。。

 その心が見付からないうちは「大死一番」など夢のまた夢。。。ということになるだろう。

 

 ところで題名の「自灯明、法灯明」という言葉も仏教の言葉である。お釈迦様が入滅する時に、一番弟子のアーナンダが悲しみのあまりお釈迦様にこう訴えかける。

「お釈迦様がお亡くなりになったら、私達は誰を心の拠り所として生きていったら良いのでしょうか」と。

それに答えてお釈迦様が

「自分を拠り所とし、法を拠り所として生きてゆきなさい」と。

これが自灯明法灯明である。

 

 だからこれも「自分」とは決してエゴのことではないと解るだろう。簡単に言ってしまえば「良心」と解釈されている。けれどもここでは上記の「覚悟」があるから、もう一歩踏み込んで「自我」ではない「吾が心」の事だろうと推測しておきたい。

 お釈迦様は全てのものには仏性が宿るといっているから、吾が心とは「仏性」の事なのかもしれない。我心を捨てて吾が心に至れば「大死一番」生き切る事が出来るのだろう。

 

 新年を控えて「大死一番」生まれ変わった自分と再会したいものである。

 

2006/12/25 20:10|山術房:心行TB:0CM:6
 

2006年12月冬至 

 明日22日9:22が冬至となる。黄経270度の位置に太陽が来る瞬間だ。

 占星術では今回の冬至、春分、夏至、立秋の時刻の天体図を作成して、その次節の社会事象を占うという事をする。それで、この時刻の天体図を四季図と呼んで重視する。特に春分図は一年を占うとされる重要なホロスコープである。

 今回冬至を控えて、その天体図を作図すれば春分までの期間の出来事が推定されるわけである。

 

 ところで、冬至が終わるとすぐにクリスマスが来る。小さなお子さんを持ちの方はサンタクロースとしてのお役目に頭を悩ませておられるかもしれない(笑)

 このクリスマスはイエス・キリストの誕生日とされてきたのは皆さん御存知だろう。しかし実際のところイエス・キリストの誕生日は不明であり、それなら何故キリストの誕生日とされたのかと疑問が湧いてくる。

 その理由にも諸説があって定かではないのであるが、私見としても最も有力なのが当時一大勢力を誇っていたミトラ教の影響だと考えるのが妥当ではなかろうかと思っている。

 

 ミトラ教はアーリア人の宗教とされ、その実体の殆んどは謎に包まれたままだ。ただインドのヴェーダなどに名残を残すに留めている。

 そんなミトラ教であるが、同教では冬至を神聖な一日として記念し、その日に洞窟内で儀式が行われるとものの本で読んだことがある。その儀式は最も太陽の力が衰える冬至に始まって三日間続く。三日目に太陽が新生すると考えられ、選ばれた牛を祭壇に捧げて太陽の復活を祈るのである。

 この神事は、どうやらイエス・キリストの復活としてキリスト教にも取り入れられたのかも知れない。イエス・キリストがゴルゴタの丘で処刑され墓に埋葬されて三日後に復活したというあれである。それが、事実かどうかは私には知る術はないが、上のミトラ教の神事を思い出した時になかなか面白い話ではないかと思う。

 面白いといえば、日本の天照大神様の岩戸隠れの神話も上の話を髣髴とさせて面白い。

 これほど神話の中で取り上げられる冬至であるから、実は春分よりも当時の方が重要だったのではないかと、根拠のない思考に駆り立てられたとしてもおかしくはないだろう。

 

 ところで、その日、日本では東の地平線から水瓶座が上昇してきている。これをアセンダントというが、単純にこれだけを見ても、日本では価値観が大きく変わり始める事になるようだ。もしかすると精神世界が大きなうねりになってくるかもしれない。

 それがすぐさま実感できるかどうかは解らないが、目に見えないものが多くの人に影響を与えるだろう。アクエリアスの時代と叫ばれる現在、とても重要な時期になるのではないだろうか。江原さん活躍の時かな(笑)。。。江原さんの誕生日は調べていませんけれど^^;

 

 けれども、少々気にかかるのが現在は惑星直列状態にあるということだ。射手座から魚座にかけて土星以外の惑星が全て集まっている。唯一つ土星だけが対向の獅子座に位置し、冥王星と120度のアスペクトを形成している。権威や各階のトップを暗示するここに抑圧の星土星が入り、極端、破壊と再生をしめす冥王星が強くアスペクトしているからだ。

 2007年がどのような幕開けをするのか少々不安であるが、経過を見つめつつホロスコープの解釈に勤しんでみようと思う。

 

2006/12/21 01:03|暦の話TB:1CM:15
 

潜在意識による願望実現は可能かNo16 

 心と現実の完璧なバランス

 今日はそのことを少しく考察してみたい。

 神秘学の考え方に現実は私達の思考の完全な表現だという考え方がある。もうちょっと神秘学的に言えば「私達は心の内にあるものを外に見る」という事である。

 

 私達は何らかの願望を常に持ち、それを叶えたいと奮闘努力する。思いから現実へと流れるそこには様々な心の法則が働いている。自分の心を見つめることもなく、がむしゃらに願望を成就しようと頑張っても、いつかは願望を成就する事はできるだろう。

 けれども「心の内に在るもの」を無視してがむしゃらに努力したとしたら、それは上流に向かって泳ぐようなものである。

 人生は常に私達の味方であるが、そう信じている人は少ない。この世のもっとも力のある真実は「あなたの信じる如くに成れ」なので、人生は困難で、自分の戦うべき相手だと信じている限り、それがあなたに力を貸す事はないだろう。

 

 願望実現の最大のテクニックは「在る」ことである。「目標を達成しよう」という考えは「まだ達成されていない」という暗黙の認識の上に成り立っている。その暗黙の認識それが「在る」という事だ。だから目標を達成できない人は「達成できない」という暗黙の認識から出発していると気が付くべきなのだと思う。

 その暗黙の認識から動機が生まれ、行動が生まれ、発言が生まれる。私達の思考はすべからく「認識」するところから始まる。その認識の根底に「困難」があれば、その人の行動、発言、思考は全て困難に立ち向かうという発想に限定される事になる。

 だから困難そのものが実在する訳ではない。困難に直面していると認識しているあなたが存在しているだけである。

 

 もし、あなたが困難という認識の中に「在る」とき、あなたの周りには次々に困難が生じるだろう。もし、あなたが幸福という認識の中に「在る」ならば、あなたは瞬く間に「幸福」に囲まれるだろう。

 宇宙の真実は私達の認識や考えに全く関係なしに存在していると多くの人は考えている。だから、私達が何をしようと、どう考えようと、宇宙はそれに関係なく、どこ吹く風で淡々と機械的に営みを繰り返していると、そう信じている。しかし、結論から言ってしまえば、私達がそう信じているからこそ、宇宙はその様に動いているだけである。

 

 この考え方を非科学的なばかげた理屈だと思われるのも結構だ。また、私が信じるものと、誰かが信じるものが違うのに宇宙はどうやってチョウヅリを合わせるのかといぶかしむのも良いだろう。

 けれども、この認識の問題があなたの琴線を揺り動かし、「在る」ということにあなたが取り組み始めたなら、あなたは奇跡を体験すると断言しても良い。

 

 あなたは今、どのように「在る」だろうか?そして、これからどう「在ろう」としているのか?人生が私たちによこす問いかけは常にその一点である。

 そして、あなたが「在る」事を選べば、宇宙がそれを現実にするだろう。聖書にはこう書かれている。

あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

 私達は髪の毛一本すら創造する事が出来ない。私たちに出来るのは「それが私です(しかり、しかり)」か「それは私ではありません(否、否)」だけなのである。だから、私達がこれが私ですと「在り方」を選べば、神がそれを創って下さる。

 創造は神の御業なのだから、何の不可能があろうか?

 

2006/12/13 14:48|心象房:願望実現TB:0CM:6
 

天使と悪魔の戦い 

 あれはもう25年ほど前になる。当時正しさを求めて議論しあった仲間達が一堂に会した時、誰かが空の異変に気が付いて見入っていた。その様子に気がつきみんながその視線の方へと目をやると、スクリーン状に空を覆っていた雲の様子が何やらおかしい。

 「空に誰かがいる・・・」

 当時私たちは、いつとも無くオーラ視が出来ていたからか、そこに対峙した二つの軍団を見ることになった。向かって左側に天使の軍団。右側に悪魔の軍勢。。。その二つの軍団は地平線のかなたまで空を覆い尽くしていた。

 私一人ではなく、その場にいた大勢が見たのだといっても多くの人はいぶかしむに違いない。あれは本当だったのかと自分でも思うのだから、何が何でも本当なのだと主張するつもりはさらさらない。けれども、それはあの時に始まっていたと今でも思っている。

 

 当時は20世紀末という事もあってノストラダムスとか聖マラキの予言だとか、様々な予言がブームになっていた時代だった。だからきっとそういうこともあるに違いないといつの間にか、心のどこかで信じ込んでいた。結局何事もなかったのであるからと今では笑い飛ばせそうな気もするが、それに反してどうもどこかに引っかかるものを感じてしょうがない。

 予言の類は年代を明確にしないものが多い。これには秘密があって年代を読むというのはなかなか困難な作業なのだ。それでも今、この時代の中に立ってみると、当時に思い描いていた予言の通りに世間は突き進んでいるとしか思えない時がある。

 例えば北朝鮮の現状も私がその予言に触れたのは30年近く前の事である。当時、北朝鮮が核兵器を持つなどと誰も想像しなかったに違いないが、それでも予言の中で警告されていた。昨今の世界事情を見渡せば、現代は人類の歴史が始まって最も危機の高まっている時なのではないだろうか。

 以前、予言の内容を記事に書こうと何度も試みた。けれど、そのつど記事にまとめる事ができなかった。ブログで記事を公開している方なら解ると思うが、何も考えなくても文章が浮かんでくる時と、そうでない時がある。通常、ありがたいことに私の場合文章をまとめられないという事はまずないのだが、いくつかのどうしても書けない記事がある。その一つが予言の詳細だった。

 

 天使と悪魔の対峙もずっと子供の頃に見たものであり、久しく頭の片隅に追いやられていたものなのに、最近はそれを思い出す機会がめっきりと増えた。しかしだからといって安直に人類の末期だと主張する気持ちにはなれない。

 霊的な次元で起こる事は、ほぼ間違い無く現象界に起こる事になるだろう。けれど、それがいつになるのかは誰にも解らない。私達が見たものがこの世に出現するのは明日かもしれないし数千年後かもしれない。もしかしたら、その間に人々の思考が変わり、それは回避される可能性もあるだろう。そしてもちろん、それを願ってもいる。

 霊的次元における天使と悪魔の対峙は、そのまま私達の心の中の出来事でもあろう。何かのテレビに出てきそうな天使と悪魔の囁きではないが、私達は誰でも心の中に二つのメッセージを抱いている。喩えこそ荒唐無稽なビジョンを引き合いにしているが、その中身は私たち一人ひとりの心の中で、たった今も起きていることなのだと思う。

 

 人の心は三千世界に通じると言った人がいる。あらゆる次元、あらゆる世界に人の心、思いは飛んでゆく。そして、その思いに見合った世界をこの世に引き出すことになる。

 私達は自分の心は誰にも解らないと思い込んでいる。相手が超能力者でもあれば別かもしれないが、普通は心の奥底には誰も気付かない。だから、どんな事を考え、思っても、顔がニコニコ笑っていれば世間はうまく渡ってゆけるのだと思い、いつの間にかそれが当たり前になっている。

 けれども、人の心が三千世界に通じ、その思いが現実を引き起こすなら、私達の身の回りに起こっている事は、私たち一人一人に責任がある。私達の行いは、すでに心の段階から始まっているのである。そして、思った事、考えた事も行為なら、その結果として現れる現実は私達の責任において起こるという事を確認する必要があるだろう。

 

 私達の目の前に広がる広大な世界。一見すると私たち一人の手にはとても負えなさそうに見える。けれど、私達の思いは何処までも飛んでゆく。思いを届けようなんて思う必要すらない。何故なら私達は一つだから。だから、今の自分の心に平和を取り戻すだけで良い。優しさと、いたわりの気持ちを取り戻して静かでいよう。

 あなたが天使でいる時、世界は天使に覆われる。

 

2006/12/10 11:34|心象房:霊学TB:0CM:2
 

モーゼの奇跡と我がビジョン 

 私はよく何かを考えたい時は車に乗る事がある。何の目的も無く車を走らせていると不思議と考えに集中する事ができるからだ。
 先日、ちょうどそのような時に目の前に9889というナンバーの車が止まった。9889かぁ〜と苦笑いをせずにいられなかった。
 というのは九星気学では9は「火」を表し、8は「山」を表している。このナンバーからは「火山旅」という卦が立つが、ちょうどその時に考えていた事がまさに「火山」の事だったのである。
 何故火山の事など考えていたかというと、幼い頃に見たあるビジョンが気になっていたからだ。

 

 そのビジョンが現実のものだったのかどうかは全く確信がない。過去世の記憶なのかと思う事もあるが、そうであってもそうでなくても、そう大きな問題ではない。
 ただ、何でその様なビジョンを見たのか、、、それが知りたいのである。勿論、全く意味がないと言うなら、それそれで勿論構わない。全く意味がないと解るだけで良いのだ。。。

 

 そのビジョンの中で私は舟の中から巨大な山の噴火を見ていた。その火山は海の中にある島のようで、激しい噴火によって殆んど跡形も無く島が消し飛んでいたようだった。立ち上る真っ黒な噴煙と飛び散る火の粉を、私は手前にある島越しに船の上から見つめていた。
 といっても勿論のんびりと見ている余裕などはない。その火山島の方向に高波のように見えていたのだから、私達は一刻も早くそこを立ち去らねばならなかった。
 私達はちょうど手前の島影に隠れるようにして対岸を目指したが、しばらくすると高波に押しやられ舟は波に飲まれた。
 気が付くとバラバラになった木切れと数人の人達が砂浜に打ち上げられていた。焼けるような日差しにようやく眼を覚ますと、打ち上げられた数名の人達と砂漠の方へ向かって歩き始めた。

 

 このビジョンは瞑想中に数枚の連続写真のように見たものである。けれど、とてもリアルなものだった。私はとっさにそれがサントリーニの噴火だとずっと思っていた。確信はないのだが何となくそう感じたのだ。
 だから手前にある島はきっとクレタ島だとずっと思っていたし、打ち上げられた浜辺は地理的な位置関係からアフリカ大陸、恐らくはエジプトあたりだろうと思っていたのである。

 

 しかし考えてみるとクレタ島からアフリカ大陸までは最短でも300kmほどはある。海の上にいたわけだから、もうちょっと近かっただろうとしても1〜200Kmはあるだろう。その様な距離を高波に襲われて生き延びられるものだろうかと疑問は募る。

 そんな事を、9889のナンバーを見かけたちょうどその時、私はそのビジョンのことを考えていたところだったのだ。だから「火山旅」の卦とは何ともタイミングが良すぎたのである。実際そのビジョンの中では、浜に打ち上げられたあと私はエジプトあたりを放浪する事になったらしい。だから「旅」、、、これも可笑しいぐらい壷にはまっている。

 

 それ以降のビジョンは見ていないのだが、私はそのあと、どこかにある山を目指したという思いがずっと頭から離れない。長い砂漠の旅路の果てに、遠くに連なる高い山々を遥かに見ているという思いがするのだ。

 

 ところで私は昔からモーゼが好きだった。何の理由があるわけではない。何故か好きだとずっと思っていたのである。そのせいもあって、上のビジョンを勝手にサントリーニ島だと思い込んでいたのかもしれない。
 しかし、考えてみるとサントリーニの噴火とモーゼの時代はかなり近いとはいえ、史学的には数百年の隔たりがあると長い事されてきたので、やっぱり思い込みのビジョンに過ぎないのだと言い聞かせてきた。

 ところが近年、サントリーニ島の噴火とモーゼの時代は完全に一致する可能性が出てきたのである。聖書史学の研究が進むにつれて、聖書に書かれている出来事が考古学的な見解と一致を見せてきているというわけだ。
 勿論、それがすぐさまモーゼの時代の証明にとはならないが、それでも随分と面白い仮説が立てられている。
 その全てをここで解説する事は出来ないが、モーゼが出エジプトの際にエジプトの神官達を相手にした10の奇跡なるものがある。その極め付けが、かの有名な紅海を二つに割る話だ。その仮説によるとモーゼの奇跡はサントリーニ島の噴火で科学的に説明が出来るというものだ。
 そして実際にサントリーニ島とモーゼの時代が同じだという物証も見つかっているらしい。

 

 ここまで来ると思い込みもはなはだしいと思われる方も多かろう。けれど実際の所はどうであれ、この流れは何を教えたがっているのだろうと、そんな事をつらつらと思案していた次第である。そんな訳でなんとも苦笑いせずにはいられないシンクロがあったわけだ。。。

 果たしてビジョンが先かシンクロが先か、、、それともこの話が何がしかの進展を見せるのか興味の尽きないところなのである。

 

2006/12/05 20:04|心象房:霊学TB:0CM:18
 

東洋のアナグラム測字占法 

 東洋の占術の中に測字占法なるものがある。これは何かについて知りたい時に、心を鎮めて一文字だけ思い浮かべ、その文字を分解、組み立てなおして占うというものである。

 占いの暦はおろか、一切の道具も必要がないので便利といえば便利な占法なのであるが、漢字の知識が必要なのは言うまでもない。

 現代では漢字が示す意味もだいぶ変わってしまったから、その辺はどうなのだろうと思うが、まあ、なかなか面白い占法なので一つ紹介してみようと思う。

 その前に測字占法の概要を知って頂くために、この占法にまつわる逸話を簡単に紹介しよう。測字占法の達人といわれた人の話である。

 

 ある日、中国の皇帝が宮中を抜け出して町に出て山野を散策していたという。するとそこに例の達人がいた訳だが、まあ測字占法の達人という看板を持っていたので、どれほどのものかと近付いていった。天下一の達人かと皇帝が訪ねると、その男は嘘だと思うなら、ここに何か一文字書いてみろという。

 皇帝は言われるままに「一」とだけ書いたのだが、するとその男は急に姿勢を改め「皇帝陛下とは露知らず、御無礼仕った」と言う。何故にばれたのかと怪訝に思い、その男に尋ねてみる。

「あなたはそこに立ったまま、土の上に『一』と書かれた、土の上に一だから『王』という文字になる」と説明した訳だ。

 

 皇帝はなるほど天下一と感心しながら後にしたが、その様子を天界から見ていた仙人がいた。様子を見ていて仙人も、その男の腕前を試したくなって平民の姿になって近寄っていった。

 「占ってもらいたいけれど、私は文字を知らないから、書かなくても解るか」と訪ねたところ、

 男はまたまたひれ伏してしまった。相手が仙人だと気が付いたからである。これも如何にと訪ねると、男は答えた。

 「あなたと私はこうして口と口をつき合わせて話をしています。とすると口と口から、どうしても呂という字が浮かんでくる。だからあなたは呂洞賓仙人に違いない」という訳だ。

 

 またも的中という事で、王と仙人に認められ測字占法の達人として天下になを轟かせる事になったという話なのだが、測字占法がどの様なものかお分かり頂けると思う。

 占法としてははなはだ簡単な占いではある。が、数ある漢字の知識に精通していなければならず、なかなか奥が深い。付け刃ではとても占えない占術であるが、これを肴に遊んでみるのも面白いかもしれない。

 

 漢字は部首や造りからなるが、そのため一つの文字を組み替えて別な文字を作ったり、分解する事で文字の真意がわかるという特徴もある。最近の子供達は漢字に弱いといわれるが、こんな教え方をしたら案外面白がって覚えるのではなかろうか(笑)

 例えば占いで使う吉凶という文字、これも分解するとなかなか面白い。

 吉という文字は士と口からなるが、元は士(蓋)と口(壷)からきている。つまり壷を一杯にして蓋をした形が「吉」という訳で、物事の充実した様を表している。では「凶」はというと凵+×(印)で、落とし穴に落ちてもがいている様を表している。また、穴だから空虚という意味もある。

 吉は良い事、凶は悪い事と単純に考えていた方にはなかなか眼から鱗ではあるまいか(笑)

 

 先般も「良」の解釈を書いたけれど、正式な「良」の解釈は穀物を水で洗って穢れが無い事を言う。良いというと「善い」「好い」なども使われるが、「善」は「羊+口(または言)」で、丸々と太った羊が善。もしくは「言」と見た場合は、丸々と太った羊を供えて祈る事を示している。

 「好い」は勿論「女の子」で大事にして可愛がる事を表しているから、「よい」という言葉は、純粋で一番大切な丸々と太った羊を神様に捧げる事なのである。

 羊を神様に捧げるなどと聞けば、どうしてもユダヤ教を思い出してしまうが、中国にもその様な風習があったのだろうか?善が羊の言葉と解釈すれば、これは羊(イエス)の言葉という意味になる。

 

 ちょっと話はそれるが、そういえば「義」という文字は「羊+我」で。しかも「我」とは「戈・槍」の事なのだ。だから、羊の我となれば、何とも神の子羊イエスを彷彿とさせるが、羊に槍でもイエスを思い起こさせる。何しろイエスはゴルゴタの丘でロンギヌスの槍に刺されたのだから。

 

 羊といえば「美」もそうだ、「大きな羊」と書くが、スリムな事が美人の条件と考えられている方にはショッキングな話かもしれない(笑)

 ちなみに「祈」という文字は「示+斤」で、斤は「斧」のこと。斤はあるものに刃を近づけて切ろうとする様を表す象形文字で、そこから「ぎりぎりまで近付く」という意味がある。「示」は供え物を置いた祭壇の事だから、祈るとは祭壇にぎりぎりまで近付くこと。つまり、神様に近付く事を表している。

 だから「斧」も父に近付くという意味だが、父って天にまします我らの父のことか?と思ってもしまう。

 日本でも斧は家紋に使われるが、斧というとどうも西洋系の感じがする。確かクレタとかエジプトあたりの紋章だったと思うが、いまいち定かではない。

 

 嘘かホントか、漢字の中には何故かキリスト教とかユダヤの思想がふんだんに込められているが、こればかりでは申し訳ないので最後にもう一つ二つ取り上げてみよう。

 先般悠仁様がお生まれになり、男系天皇の歴史が断たれずに済んだ天皇家である。その「皇」という文字。これは「白+王」と思っている方も多いかもしれないが「自+王」で作られている。「自」とは「鼻」のことで、昔の人は「私」と自分の鼻を指差したところから来ている。

 だから天皇の「皇」の字は「鼻の王」という意味なのだ。記紀神話を読まれた事がある方ならピンと来るはず。記紀神話で鼻といえばスサノオの尊を表している。イザナギの大神が黄泉の国からウツシヨに戻った時に、日向の橘の小川で禊をし、鼻を洗った時に現れた神様がスサノオの尊だからだ。だから「皇」の字はスサノオの尊を表していことになる。また「皇」には「開祖の王」という意味もある。

 

 その天皇様はご自分のことを「朕」と呼ぶが、この文字は「月」と「咲」の口がないもので、両手で持ち上げている様を表している。天にチョン・チョンで、月を拝する姿にも見えなくはないが、だとすれば月読尊という事になるだろうか。月読の尊は一説にはスサノオの尊と同一神という人もいるので、何とも不思議な話だが、そればかりでは実はない。

 朕の月編は元は「舟」なのである。つまり「朕」は「舟+両手で持ち上げる」という意味で、天皇家が南方系の民族という節を思い出されたなら、あなたは正統派だ(笑)

 

 実は、この故事にはもう一つ面白い話がある。というのは、トンデモな事に私はこの漢字からモーゼの出自を連想してしまうのだ^^;

 モーゼは葦舟に載せられてナイル川に流されてしまうが、エジプトの王女ベシアに救い出される。。。どうもその光景が脳裏に浮かんでしまう。モーゼには二本の角があったという伝承があるが、朕の天にちょん・ちょんはそれを連想させもする。

 

 ちなみに、ここで書いているスサノオの尊は、前回書いた丑寅の金神(国常立の神)と同一神とされている。つまり鬼なのであるが、皆様はどう思われるだろう。。。

 ところで「朕」という言葉は始皇帝のあたりから使われていたと聞くが、中国の皇帝に何故「舟」が付くのか、はなはだ興味深いところである。また「皇」の文字は和製漢字だと聞いた事があるが、となると全く持って厄介な文字という事になる。何しろ、皇室のというか日本の祖神は天照大神様なはずだから。。。

 

 測字占法という占いの紹介のつもりが、あらぬ方へとそれてしまったが、漢字の持つ面白さを知って頂ければ嬉しい限りである。東洋のカバラ漢字を皆様はどう解釈されるだろう?

 

2006/12/03 17:17|相術房:姓名判断TB:2CM:1
 

2006年12月節入り 

 12月7日15:27大雪より、干支暦の12月(四禄庚子)が始まります。残すところ後5日ほどなので何事も無く通過しそうだと思っていたら、フィリピンで台風(四禄象意)被害が拡大しているとの報を見ました。五黄月は後半に大きな事件が起こりやすいと思っていたのですが、何とも言葉に詰まります。。。

 フィリピンでの台風は30日(一白癸亥)に始まったようですが、干支暦による陰遁から陽遁へ変わるまさにその日でした。被害者の救出と早い復旧を祈ります。

 先月の出来事をざっと振り返ってみると、まず取り上げたいのは自殺予告。先月は全部で43通の自殺予告がありまだ増えている模様です。それに連動するように子供達の死が報道されました。自殺は一白象意ですが、死そのものは五黄の象意です。以下日々の事象を取り上げます。11月は四禄、五黄、六白に関する事象が生じやすいと書きましたが。。。

11月 7日(六白庚子日)佐呂間町で竜巻被害。

11月 9日(四禄壬寅日)警官による郵便局(四禄)強盗。

11月10日(三碧癸卯日・四禄合)日航機の着陸トラブル(四禄)。

11月12日(一白乙巳日)ノースウエスト機がエンジントラブル(六白象意)

11月15日(七赤戊申日)鹿児島線(四禄)でポイント切り替えのトラブル

 〃  (  〃  )輸入豚肉協畜が100億円の脱税(豚は六白)

 〃  (  〃  )鳥類(四禄)絶滅の恐れがあると発表される。

 〃  (  〃  )兵庫県で運送会社6社(四禄象意)がスピード違反黙認

11月16日(六白己酉日)ノロウィルス集団感染(五黄象意)

 〃  (  〃  )川崎重工でごみ焼却炉談合。ゴミは五黄象意。

11月17日(五黄庚戌日)京都の男性が狂犬病発症。22日には横浜でも。。。

11月18日(四禄辛亥日)イノシシ(六白)に襲われ重傷。14日にも。。。

11月19日(三碧壬子日)JR津山線で脱線事故(四禄象意)

 〃  (  〃  )関門海峡で船舶(七赤象意)事故

11月20日(二黒癸丑日)航空自衛官(四禄象意)がわいせつで逮捕

 

 この他にも九星と関係する多数の事件がありました。しかし、中途半端で済みませんが、ここまで書いて気が滅入って参りました。。。感心のある方には申し訳ありませんが、検証はこの辺で終わらせて頂きますm(__)m

 

 さて、7日から始まる12月度の月盤は以下のようになります。

 暗─┬破┬─┐
 │3│8│1│
 ├─┼─┼─┤
 │2│4│6│
 ├─┼─┼─┤
 │7│9│5│
 └合┴子┴─五

 

 四禄が中宮に来て、先月に引き続き風、遠方、道路、空路、海路など道に関する事象が出やすいようです。先月から引き続いて四禄の事象は強く出ていますので、皆様も風邪、インフルエンザ等には十分にお気をつけ下さい。

 三碧が暗剣殺となり、11月は小規模な地震が多発していましたが、今月はもう少し注意が必要になるかもしれません。また三碧の象意は若者、音、雷を象徴していますので、それらにまつわる出来事が多くなりそうです。

 八白には月破が付いていますが、八白は山、アパート、マンション、宿泊施設などを象徴しています。

 九紫には月建が付いていますので火災の多発、火山の活性化などや官公庁に関係した事件が事象となりやすいようです。また、教育に関する問題も一つのテーマとなります。

 七赤は支合となりますので、上記の事象は七赤がらみで起こることが多くなりそうです。

 年盤から引けば年盤で中宮となっている三碧が暗剣殺となっていますし、太歳神のつく四禄が中宮に来ていますので、三碧、四禄に関することは注意が必要で、事態も拡大する恐れがあります。

 

 個人的な運勢では先月同様南東に玄関がある人は、口論、喧嘩などのトラブルが起こりやすいときです。焦りや性急な判断は失敗の元になりますので注意して下さい。信用問題へと発展する恐れがあります。

 こちらは先月同様、赤系の玄関マットや衝立などで凶意を緩和できます。絵を飾るのもOKです。

 

 真南に玄関のある御家庭では運気の変わり目に来ています。これまで順調だった人は低迷運へと向かいやすいので注意して下さい。こちらは白系の玄関マットや金属の置物を玄関に持ってくると凶意は緩和できます。

 

 北西に玄関のある御家庭では今月は病気、不注意からの事故に注意が必要です。病気は高熱が出やすいので予防を万全にしたいところ、御注意下さい。

 こちらも白系の玄関マットや金属類の置物で凶兆を緩和できますので、7日以降は準備されるようお勧めします。また、特に玄関の掃除には気をつけましょう。

 

 総じて今月は落ち着いた一ヶ月になりやすいですが、四禄・七赤の人は後半に向けて忙しくなってきます。体調を整えて対処してください。三碧、八白の人は焦らず、怒らず、のんびりと対処するよう心がけてください。六白の人は過労からの病気になりやすい時ですから、時にはのんびりと休むことも大切です。

 それでは良い年末をお迎え下さい。

 

2006/12/02 13:47|卜術房:気学TB:0CM:0
 
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