東洋の占術の中に測字占法なるものがある。これは何かについて知りたい時に、心を鎮めて一文字だけ思い浮かべ、その文字を分解、組み立てなおして占うというものである。
占いの暦はおろか、一切の道具も必要がないので便利といえば便利な占法なのであるが、漢字の知識が必要なのは言うまでもない。
現代では漢字が示す意味もだいぶ変わってしまったから、その辺はどうなのだろうと思うが、まあ、なかなか面白い占法なので一つ紹介してみようと思う。
その前に測字占法の概要を知って頂くために、この占法にまつわる逸話を簡単に紹介しよう。測字占法の達人といわれた人の話である。
ある日、中国の皇帝が宮中を抜け出して町に出て山野を散策していたという。するとそこに例の達人がいた訳だが、まあ測字占法の達人という看板を持っていたので、どれほどのものかと近付いていった。天下一の達人かと皇帝が訪ねると、その男は嘘だと思うなら、ここに何か一文字書いてみろという。
皇帝は言われるままに「一」とだけ書いたのだが、するとその男は急に姿勢を改め「皇帝陛下とは露知らず、御無礼仕った」と言う。何故にばれたのかと怪訝に思い、その男に尋ねてみる。
「あなたはそこに立ったまま、土の上に『一』と書かれた、土の上に一だから『王』という文字になる」と説明した訳だ。
皇帝はなるほど天下一と感心しながら後にしたが、その様子を天界から見ていた仙人がいた。様子を見ていて仙人も、その男の腕前を試したくなって平民の姿になって近寄っていった。
「占ってもらいたいけれど、私は文字を知らないから、書かなくても解るか」と訪ねたところ、
男はまたまたひれ伏してしまった。相手が仙人だと気が付いたからである。これも如何にと訪ねると、男は答えた。
「あなたと私はこうして口と口をつき合わせて話をしています。とすると口と口から、どうしても呂という字が浮かんでくる。だからあなたは呂洞賓仙人に違いない」という訳だ。
またも的中という事で、王と仙人に認められ測字占法の達人として天下になを轟かせる事になったという話なのだが、測字占法がどの様なものかお分かり頂けると思う。
占法としてははなはだ簡単な占いではある。が、数ある漢字の知識に精通していなければならず、なかなか奥が深い。付け刃ではとても占えない占術であるが、これを肴に遊んでみるのも面白いかもしれない。
漢字は部首や造りからなるが、そのため一つの文字を組み替えて別な文字を作ったり、分解する事で文字の真意がわかるという特徴もある。最近の子供達は漢字に弱いといわれるが、こんな教え方をしたら案外面白がって覚えるのではなかろうか(笑)
例えば占いで使う吉凶という文字、これも分解するとなかなか面白い。
吉という文字は士と口からなるが、元は士(蓋)と口(壷)からきている。つまり壷を一杯にして蓋をした形が「吉」という訳で、物事の充実した様を表している。では「凶」はというと凵+×(印)で、落とし穴に落ちてもがいている様を表している。また、穴だから空虚という意味もある。
吉は良い事、凶は悪い事と単純に考えていた方にはなかなか眼から鱗ではあるまいか(笑)
先般も「良」の解釈を書いたけれど、正式な「良」の解釈は穀物を水で洗って穢れが無い事を言う。良いというと「善い」「好い」なども使われるが、「善」は「羊+口(または言)」で、丸々と太った羊が善。もしくは「言」と見た場合は、丸々と太った羊を供えて祈る事を示している。
「好い」は勿論「女の子」で大事にして可愛がる事を表しているから、「よい」という言葉は、純粋で一番大切な丸々と太った羊を神様に捧げる事なのである。
羊を神様に捧げるなどと聞けば、どうしてもユダヤ教を思い出してしまうが、中国にもその様な風習があったのだろうか?善が羊の言葉と解釈すれば、これは羊(イエス)の言葉という意味になる。
ちょっと話はそれるが、そういえば「義」という文字は「羊+我」で。しかも「我」とは「戈・槍」の事なのだ。だから、羊の我となれば、何とも神の子羊イエスを彷彿とさせるが、羊に槍でもイエスを思い起こさせる。何しろイエスはゴルゴタの丘でロンギヌスの槍に刺されたのだから。
羊といえば「美」もそうだ、「大きな羊」と書くが、スリムな事が美人の条件と考えられている方にはショッキングな話かもしれない(笑)
ちなみに「祈」という文字は「示+斤」で、斤は「斧」のこと。斤はあるものに刃を近づけて切ろうとする様を表す象形文字で、そこから「ぎりぎりまで近付く」という意味がある。「示」は供え物を置いた祭壇の事だから、祈るとは祭壇にぎりぎりまで近付くこと。つまり、神様に近付く事を表している。
だから「斧」も父に近付くという意味だが、父って天にまします我らの父のことか?と思ってもしまう。
日本でも斧は家紋に使われるが、斧というとどうも西洋系の感じがする。確かクレタとかエジプトあたりの紋章だったと思うが、いまいち定かではない。
嘘かホントか、漢字の中には何故かキリスト教とかユダヤの思想がふんだんに込められているが、こればかりでは申し訳ないので最後にもう一つ二つ取り上げてみよう。
先般悠仁様がお生まれになり、男系天皇の歴史が断たれずに済んだ天皇家である。その「皇」という文字。これは「白+王」と思っている方も多いかもしれないが「自+王」で作られている。「自」とは「鼻」のことで、昔の人は「私」と自分の鼻を指差したところから来ている。
だから天皇の「皇」の字は「鼻の王」という意味なのだ。記紀神話を読まれた事がある方ならピンと来るはず。記紀神話で鼻といえばスサノオの尊を表している。イザナギの大神が黄泉の国からウツシヨに戻った時に、日向の橘の小川で禊をし、鼻を洗った時に現れた神様がスサノオの尊だからだ。だから「皇」の字はスサノオの尊を表していことになる。また「皇」には「開祖の王」という意味もある。
その天皇様はご自分のことを「朕」と呼ぶが、この文字は「月」と「咲」の口がないもので、両手で持ち上げている様を表している。天にチョン・チョンで、月を拝する姿にも見えなくはないが、だとすれば月読尊という事になるだろうか。月読の尊は一説にはスサノオの尊と同一神という人もいるので、何とも不思議な話だが、そればかりでは実はない。
朕の月編は元は「舟」なのである。つまり「朕」は「舟+両手で持ち上げる」という意味で、天皇家が南方系の民族という節を思い出されたなら、あなたは正統派だ(笑)
実は、この故事にはもう一つ面白い話がある。というのは、トンデモな事に私はこの漢字からモーゼの出自を連想してしまうのだ^^;
モーゼは葦舟に載せられてナイル川に流されてしまうが、エジプトの王女ベシアに救い出される。。。どうもその光景が脳裏に浮かんでしまう。モーゼには二本の角があったという伝承があるが、朕の天にちょん・ちょんはそれを連想させもする。
ちなみに、ここで書いているスサノオの尊は、前回書いた丑寅の金神(国常立の神)と同一神とされている。つまり鬼なのであるが、皆様はどう思われるだろう。。。
ところで「朕」という言葉は始皇帝のあたりから使われていたと聞くが、中国の皇帝に何故「舟」が付くのか、はなはだ興味深いところである。また「皇」の文字は和製漢字だと聞いた事があるが、となると全く持って厄介な文字という事になる。何しろ、皇室のというか日本の祖神は天照大神様なはずだから。。。
測字占法という占いの紹介のつもりが、あらぬ方へとそれてしまったが、漢字の持つ面白さを知って頂ければ嬉しい限りである。東洋のカバラ漢字を皆様はどう解釈されるだろう?
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