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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
 最近当ブログの記事に関連性の薄いトラックバックなどが急増しています。
 該当TB等は管理人の判断で削除させて頂いておりますので、あらかじめ御了承下さい。

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ナグハマディ文書覚書 

トマスの福音書より。

 

日々を重ねた老人は、生後七日の小さな子供に命の場所について尋ねる事をためらわないであろう。そうすれば彼は生きるであろう。

 

あなたの面前にあるものを知りなさい。そうすれば、あなたに隠されているものはあなたに現されるであろう。なぜなら、隠されているもので、顕にならないものはないからである。

 

人間に食われる獅子は幸いである。そうすれば、獅子が人間になる。獅子に食われる人間は忌まわしい。そうすれば、人間が獅子になるであろう。

 

もしあなた方が女から生まれなかったものを見たら、ひれ伏しなさい。そして彼を拝みなさい。その者こそ、あなた方の父である。

 

私はあなた方に、目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、手がまだ触れず、人の心に思い浮かびもしなかったことを与えるであろう。

 

あなた方のために五つの木がパラダイスにあるからである。それは夏冬揺るがず、それらの葉も落ちないのである。それらを知る者は死を味わうことがないであろう。

 

彼らは彼に言った「私たちが小さければ王国に入るのでしょうか」。イエスが彼らに言った。

「あなた方が、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなた方が、男と女を一人にして、男を男でないように、女を女でないようにするならば、あなた方が、一つ目の代わりに目をつくり、一つの手の代わりに一つの手をつくり、一つの足の代わりに足をつくり、一つの像の代わりに一つの像をつくる時に、そのときあなた方は王国に入るであろう。

 

あなた方がこの世に対して断食しないならば、あなた方は王国を見出さないであろう。あなた方が安息日を安息日としないならば、あなた方は父を見出さないであろう。

 

二人の者が、同じ家でお互いに平和を保つならば、山に向かって『移れ』といえば、移るであろう。

 

この世を知った者は、屍を見出した。そして、屍を見出したものに、この世は相応しくない。

 

苦しんだ者は幸いである。彼は命を見出した。

 

あなたがたが生きている間に、生ける者を注視しなさい。あなた方が死んで、彼を見ようとしても、見ることができないことのないように。

 

彼が同じである時に、彼は光で満たされるであろう。しかし、彼が分けられている時に、彼は闇で満たされるであろう。

 

私は私の秘儀にふさわしい人々に私の秘儀を言う。あなたの右の手がしていることを、あなたの左の手に知らせるな。

 

全てを知っていて、自己に欠けている者は、全てのところに欠けている。

 

あなた方があなた方の中にそれを生み出すならば、あなた方が持っているものが、あなた方を救うであろう。あなた方があなた方の中にそれを持たないならば、あなた方があなた方の中に持っていないものが、あなた方を殺すであろう。

 

一つの身体によりかかっている身体はみじめである。そして、この両方に寄りかかっている魂はみじめである。

 

この世を見出し、裕福になったものは、この世を捨てるように。

 

 

マリヤの福音書より。

 

いかなる本性も、いかなるつくり物も、いかなる被造物も、存在しているのは彼らの互いの内に共に組み合わせられてであり、それら個々のものそれ自体が再び解消されようとしているのは、それらの根へとである。何故なら万物の本性が解消し果てるのはその本性のもの、それだけへとだからである。

 

罪というものは存在しない。本性を真似たこと、(例えば)姦淫をあなた方が行うと、罪と呼ばれるが、存在するのはその罪を犯す人、つまりあなた方なのである。このゆえにこそ、その本性の根のところへと本性を立て直そうとして、あなた方の領域に、いかなる本性のもののところへも善い方が来たのである。

 

人の子がいるのはあなた方の内部なのだから、あなた方は彼の後についてゆきなさい。彼を求める人は見出すであろう。

 

第一の権威は闇であり、第二のは欲望、第三のは無知、第四のは死ぬほどの妬みであり、第五のは肉の王国であり、第六のは肉の愚かな知恵であり、第七のは怒っている人の知恵である。これが怒りの下にある七つの権威なのである。

 

 

 グノーシス系の福音書といわれるナグハマディ文書からの抜粋です。今回はあえて注釈をつけずに掲載したいと思います。肉体に因らず、エゴに因らず理解されます事を。。。

2007/01/28 00:24|心象房:霊学TB:0CM:4
 

霊・魂・エゴ・体 

 古来から多くの先賢たちは「人間」というテーマに取り組んできた。現在では宗教として扱われていいるそれらや多くの哲学はこのテーマに多大な時間と人知の限りを尽くしてきたと言える。

 私たちが生きてゆくうえで自分を知る事が大切であるように、人が至福に至るために人間そのものを知る必要があったのだろう。

 これらのテーマは現代において諸科学や哲学等にその道を譲ったかに思われるが、長い年月をかけて構築されてきた古来の叡智は視点こそ違えども、決して現代の科学・哲学に劣るものではないと思う。

 そうした中で卓越した感性によって、先賢たちは人間自身を探求するために知恵を残してきたが、その中に人間の構造を大きく三つに分類するものがある。それを一般には三分説というが、私見を織り交ぜて考察してみたい。

 

 まず私達は肉体、魂、霊の三つからなると仮定されている。ところがややこしい事に、魂とか霊とかいっても、その意味合いは明確ではなく、知恵の出所によっては意味が逆転している場合すらある。また心理学などで用いられる定義と相まって非常に解り辛くなっているのが現状だろう。

 そこで、時折り当ブログでも記事中でこうした用語をしばしば用いている事もあり、私見としてそれらが何を意味しているのかをあらためて定義してみたい。恐らく、上記の現状によって私の定義が必ずしも適切だとは言えないだろうが、管理人がおおよそこのようなことを念頭に記述していると御理解願えれば幸いである。

 

 まず、私達は大きく霊、魂、体の三つによって構成されていると言われている。この「体」の中に自我が入る場合もあれば、魂の中に「自我」を入れている場合も見受けられる。

 自我に関する問題は私たちに直接関係していることであるから、今回は四分説的な立場をとって『体・自我・魂・霊』として考えてみたいと思う。

 

 「体」に対しては説明の必要はないだろうから、まず、自我について書いてみたい。

 私達の自我は一般に知性、感情、本能(欲求)、あるいは意志によって成立しているとされている。秘教的な教えでは自我には意志がないとするものも多いのではないかと思うが、恐らく多くの人はこの時点でまず疑問を抱く事になるだろう。

 他の三つに対しては同意できたとしても、意志がないと言う見解は私達の実感からは遠く離れているという印象を持たれるに違いない。しかし、このことを書くと非常に長くなるので、この点はいずれ別に記述してみたいと思う。

 

 さて、私達の自我は、上記の三つ「知性・感情・本能」からなっていると考えられているが、この三つのいずれに重点が置かれているかは当然個人差がある。しかし、自我の完成はこの三つを等しく進化させることであり、この三つのバランスを保つ事なのであると思う。その三つの調和的な発展は「理性」の出現によって測る事ができる。

 知識、知性、理性はとても混同されやすい関係にあるが、私見にて分類してみると知識は言ってみれば記憶そのものであるということも出来よう。知識自体は学びや体験によって増えてゆくが、それが知性と直結しないのは、持っている知識を如何に応用できるかにかかっている。

 過去の体験や学んだ事を、ある問題の解決などにきちんと活かせる事が知性の多寡を測る要素になる。従ってこの場合の知性は学問的なものではない。

 

 また、その知性は発展するに従って、私達の欲求や感情をコントロールし始めようと試みる。それが「理性」だと思ってもらえば解り易いのではないだろうか。もちろん、感情や欲求のコントロールは別な要因から発生する事もあるが、ここでは混乱を避けるために言及しない。

 だから自我の三要素「知性、感情、本能」は理性の出現を待ってコントロールされ始め、また完成されてゆくことになる。

 

 以上の様な事から、厳しい言い方をすれば私達の多くは未だに自我を完成させておらず、それ故に暴走する自我に翻弄されてしばしば困難や不幸を生み出す結果を招いていると言えるだろう。

 神秘学的な考えでは、自我の三要素にはそれぞれ固有の身体が与えられている。それは本能や欲求を司るエーテル体、感情を司るアストラル体、知性を司るメンタル体とされ、その霊的な身体が肉体に折り重なるようにして存在して自我を形成していると考えるわけである。

 

 これらの三つの身体はそれぞれに折り重なりながらも独立して存在しているために、それぞれに自己の主張を繰り返している。それ故に考える事と感じる事、行動する事はまったくちぐはぐなものとなりえる。

 例えば、誰かに相談をされた時に、私達はすぐさま問題の本質を掴んでアドバイスを提供できるのに、いざ自分の事となると解っていても延々と悩む事が多いのも、このことに起因する。

 というのは誰かにアドバイスする時は純粋にメンタル体が活動しているけれども、自分の事となると感情や欲求が絡んでくるからである。

 

 ところで自我は本当の「私」の反映である。それは合わせ鏡のように出来ており、本当の私にも三つの要素がある。これを私は「魂」と呼んでいる。

 魂は叡智、慈愛、意志の三つを要素として持っている。これはそれぞれ、コーザル体(叡智)、慈愛(ブッディー体)、意志(アートマー体)と呼ばれている。

 お気づきになると思うが、この反映を纏めると次のようになる。

自我の三つ組み      魂の三つ組み

知性:メンタル体  ⇒  叡智:コーザル体

感情:アストラル体 ⇒  慈愛:ブッディー体

本能:エーテル体  ⇒  意志:アートマー体

(この魂の事を自我という言葉に対比して「真我」と呼ばれることがある。)

 

 私達の自我の三要素が、調和的に完成されたとき、初めて私達は自我を持つ事になる。つまり現在、私達は不完全な状態の自我しか持っていない。けれども、その自我が完成されたとき、その自我は魂(真我)との連結子としての役目を果たす事になる。

 

 この時、私達は自分が何者であるかを知る事になるだろう。

 

 さて、では「霊」とは何であろうかとなる。巷の心霊特集に出てくる「霊」はいわゆる幽霊などの意味合い程度でしか認識されていないが、こうした秘教的な意味で使われる場合「霊」は最も崇高な私達の根源である。

 自我が魂の写しであるように、魂は更に崇高な精神の写しであり、究極的な意味では、それがまさに本当の私たちだということも出来る。

 

 お釈迦様は私達の中には仏性が宿っているといったし、奇しくもヒトラーは「我々は発展途上の神である」といったが、まさにその「神」の性質を私達は最も中心に宿しており、それを此処では「霊」と称して用いている。

 「霊」の三要素は「神・善・美」であり、コーザル体(叡智)は善を反映し、ブッディー体(慈愛)は美を反映している。残りのアートマーは「真」の反映である。

 つまり霊の三位一体は魂の三位一体として反映され、魂の三位一体は自我の三要素に反映されていると考えられる。

 

 私達が自我の三要素を調和的に完成させるなら、自我は私たちを本当の自分「魂」に繋げる事になるだろう。私達の自我の三要素がそれぞれに自己主張していることは、簡単な喩えで説明する事ができる。

 例えば昨今は気持ちの暗くなるニュースが多いが、そのニュースを聞きながら、今晩の夕食の事を考えている。感情は同情を生み出そうとしているのに、思考は夕飯の事を考えているのだ。その一方で肉体はトイレに行けと急かす。

 こうした事は当たり前のことのように行われているが、実はそれこそが私達の自我が未だに完成されていない状況の反映なのである。

 しかし、自我が完成された時には、そのような事はなくなり、考える事、感じる事、行動する事は一本の線で結ばれるだろう。つまり、内的な矛盾は消失し、何をするにも心の内部に葛藤が生じることはなくなる。

 

 こうした道筋を歩いてゆくためには、自分が「今」何を考え、何を感じ、何をしようとしているのかに気が付かねばならない。それらに気が付かない限りは、調和的に統合する事は不可能だからである。

 それ故に、世界は私たちにそれを気付かせようと様々な出来事を送ってくる。それは一般に「苦悩」とか「苦労」として体験される事が多い。

 

 いずれにしても、このような構造が私達の内部にあり、それを統一して自我の完成を見ることが今の私達の課題だと言えるだろう。

2007/01/23 22:52|心象房:霊学TB:0CM:35
 

2007年1月大寒 

 本日20:01に太陽は黄経300度の位置に来て、中気、大寒となる。二十四節気の中では最も寒さの厳しい時期という意味だ。

 昨年は旧暦の7月に閏月があったのだが、それで昨日の19日から旧暦での12月が始まっている。古老に尋ねると、この様な年は寒さも遅れてくるというが、今のところその様な気配は濃厚で本当に暖かい冬になっている。

 ちなみに大寒時の九星干支とホロスコープは以下の通りになる。

 三碧丙戌年 三碧辛丑月 六白甲寅日 八白甲戌刻

Art012.GIF

 気学などでその月の出来事を推測するには年盤や月盤を用いるのが一般的な方法だ。けれども、もう一つ手法があって私がよく使うのは節入り日、あるいは中気の日時の干支暦を用いる方法である。

 当ブログでは混乱を避けるために、セオリーに従って年月盤からその月の社会的な出来事を推測し、それのみを掲載している。気学関係のHPなどを覗いてみても、この手法について言及している所はとんと見当たらないので、もしかして公開してはいけないのだろうか。。。と思ったりもするが、まあ、私はプロではないし、どの流派にも属していない私流なので問題ないだろう(笑)

 四柱推命などでも流運を見る際には国家などの命式を作成し、そこから干支の関係を見てその年の動きを探ってゆくのが一般的だと思うが、同様に節気時刻の干支暦を用いて命式を作成し推測するという方法もある。

 日時を使った社会的な事象の気学鑑定や推命の鑑定も、もし感心があるなら是非試されてみるとよいと思う。

 こんな事を公開して良いのか?と言われそうだが、今日は当ブログの一周年に当たるので(正確には明日だけれど)手法のみ公開ということで検証は皆さんにお任せしたい。

 

 多分、当ブログを今までご覧頂いた方なら、私の月運の見方などおおよそご推察頂いていると思うが、今日は出血大サービス?で少し纏めておきたいと思う。多分こうした見方もあまり公開・説明されていないと思うので、皆さんに検証して頂いて気学が進化発展してゆくことを祈りたい。

 

 私は通常月運、日運を見る際には、より上の盤から見てゆくのを基本にしている。つまり月運を知りたいなら、まず年盤を見るという事である。経験的にその方が的中率も上がるようだし、社会事象の特性もつかめるので混乱が少ないと思う。

 だから今年であれば二黒丁亥の年で年盤は以下の通りになる。

 ┌破┬─┬─暗
 │1│6│8│
 ├─┼─┼─┤
 │9│2│4│
 ├─┼─┼─┤
 合5│7│3│
 五─┴─┴亥┘

 そこで、この暗剣殺(八白)、太歳神(三碧)、歳破(一白)、支合(五黄)と中宮星(二黒)を重く見る。

 この重い九星が月盤で中宮に巡ったり、暗剣殺や月破、月合、月建と重なると、その月は重大な事件が起こりやすい。もちろんその事象は九星の象意に該当する事は言うまでもない。

 同様の方法で更に月盤から日盤の九星を見れば、その出来事が何日に起こりやすいかもおおよそ特定できるだろう。

 

 三碧丙戌年    三碧辛丑月    八白丁未日    二黒丁未刻

 ┌─┬─┬─┐  ┌─┬─┬破┐  ┌─┬合┬未五  ┌─┬合┬未┐
 破2│7│9│  │2│7│9│  │7│3│5│  │1│6│8│
 ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤
合暗1│3│5五  暗1│3│5五  │6│8│1│  │9│2│4│
 ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤  ├─┼─┼─┤
 │6│8│4戌  │6│8│4│  │2│4│9│  │5│7│3│
 └─┴─┴―┘  └丑┴合┴─┘  暗破┴─┴─┘  五破┴─┴─┘

 例えば上の四盤は先日13日に起こった千島沖地震が起こった時の九星盤である。マグニチュードも8.2と特筆すべき地震であったが、その日は八白丁未の日であった。現在はまだ三碧丙戌年であるが、今月はその中宮星の三碧が月盤の中宮星にもなっている。

 では問題の日はというと八白丁未であるかが、月盤では八白に支合がかかっており、まさにその日に起こったわけである。ついでに時間は13:24であるから二黒丁未の刻に当たる。時刻星の二黒はその日の暗剣殺且つ日破のかかっている星だった。時刻の干支が日の干支と同じというのも興味深いだろう。年月盤では一白が暗剣殺となっているので、津波が生じやすい状況だと読み取れる。

 マグニチュードの巨大さの割りに被害がでなかったのは、破壊とか死を象徴する五黄に歳破や支合、月破などが付いていなかったからである。もし、年盤や月盤で五黄にこれらの星が巡っていると、被害が大きくなる傾向になるようだ。興味のある方は過去の事件を紐解いてみていただきたい。

 

 この辺の予測法を書いてしまうと今後私のブログで書くことはなくなってしまいそうだが、気学もなかなか当たるかも。。。と、関心を持っていただけると私も嬉しいし、研究次第ではまだまだ的中率のアップがはかれるのではないかと思う占いである。その様な楽しめる余地が気学にはあるのではないだろうか(笑)

 

 当ブログも明日を持って一周年という事で、だいぶ出血大放出?をしたので、明日からのネタに詰まりそうな状況ではあるが(^_^;) 私の主観、私見、憶測にも関わらず沢山のコメント等を頂き誠にありがたい事だと感謝に絶えない。

 2006年1月21日17:15が当ブログの誕生日であり、その日を選択したのは大寒を越えて占星術で言えば水瓶座に入宮したからであった。アクエリアスの時代といわれる昨今に状況に相応しかろうという考えと、水瓶座の守護星、天王星のもたらす変革を願ってのことでもある。

 この日の九星干支は二黒庚戌日、四禄乙酉で、二黒は(地)、四禄は(風)でもあり易卦にすると地風升という伸び行くという卦、ないしは風地観という「観る」という意味があった。

 

 当日太陽は水瓶座の1度に位置し、この水瓶座0〜4度の度数はサビアンでは『理想の具現化』の度数とされている。中でも1度は「自分の理想が周囲からの予期せぬ出来事によって、本物であるかどうかを試される」という意味がある。これも私にしてみれば、当ブログ誕生の日としてはなかなか気に入った理由だった。

 アセンダントは獅子座の6度で5〜9度は『創造と破壊』古い習慣を壊して作り上げる度数域であり、特に獅子座の6度は『恒久的な価値あるもの』を示す度数である。

 

 当初、占術に特化したブログ作りを意図していた。スピリチュアルなどの記事は『山術』として自己修養のカテに五術の一部として記載してゆく方針であったが、いつ頃からかかなりのウェートを占めるようになったと思う。これも上記のような星の影響かもしれないと思いつついたが。こうして一年間を振り返ると少なくとも自分にとってそれは恒久的な価値あるものなのだろうとあらためて認識させられる。

 ブログ立ち上げ時のホロスコープは以下の通りで、火星-木星-海王星のT字スクエア。それに対して金星が調停の座相を形成している。金星は価値観を示すとともに愛情を示す星。まさに当ブログを立ち上げた際に得た「風沢中孚」の真心を象徴しているようで面白い。

Art013.GIF

 今後もあいも変わらず好き勝手な事を綴って行くのだろうとは思うが、一層のご愛顧を賜れれば幸いである。

 

2007/01/20 14:00|占術全般TB:0CM:8
 

笑い飛ばす 

 誰が言ったのかは知らないが、人間だけが持っている感情、それが『笑う』という事だという。なぜ人は笑うのか、否、笑えるのか。。。そんなことを真剣に考えた事があるだろうか?

 人にできて、他の生き物にできないことはもう一つある、それが『考える』という事だ。。。でも、人間以外に考える事ができる生き物がいるよと言われたとしても、私は驚かないだろう。けれど、人間以外にも笑える生き物がいるよと言われたら、私は天地がひっくり返るほどビックリするだろう。

 考える事よりも、笑えることの方が、私にとっては驚嘆に値する。それは何故だろうと時折り考えてみるが一向に理解できない。理解できないけれど、それほど笑う事は大切な事だと、私の心が言っている。

 

 もちろん誰かを皮肉って可笑しいとか、ブラックな言い合いで面白いと思う感性は私にはあまりない。どうしてそれが笑えるのか、時折り分からなくなることすらある。

 そんな自分がどんな時に笑うのだろうと思い返してみると、、、

 悩んでいる時。。。フッと可笑しくなる。何でこんな事で悩んでいるんだろうと、あまりにも滑稽に思えてしまうから。。。

 とても尊敬できる人間を見たとき。。。笑いたくなる。愉快になると言った方が正しいかもしれない。

 もちろん微笑ましくて笑う時もある。。。。

 もちろん漫才だって面白いと思うときがある。。。自分はそんな見方はできないと思うときだ。

 だからきっと、自分にないものを誰かが持っているとき、妙に愉快になり笑いたくなる。

 

 悲しいも、苦しいも、憎いも、怒りも解るが、何故笑うという感情があるのかが理解できない。それって、何処から来るんだろう?

 他の感情は理解できるのに、いまだに唯一理解できない感情、それが『笑う』。。。だ。でも、だからこそ、笑う事は百万巻の経典を書いたり、思索を極める事よりも、ずっと価値があると感じているのかもしれない。。。。

 理解はできないけれど、どこかで良く知っているもの。

 

 はて、笑いっていつ生まれたんだろう、、、どうして笑うんだろう。。。?

 

2007/01/13 01:38|山術房:心行TB:0CM:20
 

霊的結婚 

 17世紀の後半スウェーデンに類稀な天才が生まれている。11歳で大学に入り、数学、物理学、天文学、生理学などを自在に操り政治家にして有能な鉱山技師でもあった。ニュートンとも親交の厚かった万能の天才が最後に向かった先は霊界の探求だった。彼は稀代の霊能力の持ち主でもあり、その能力を如何なく発揮して霊界に参入し詳細な観察ノートを残している。彼とはイマヌエル・スウェーデンボルグその人である。

 彼の観察は非常に多岐に渡っているが、その中から今日は思うところあって霊的結婚について書いてみたいと思う。

 というのもいくつかの過去世を思わせる記憶を辿っていった時に、結構な重みを持って女性の存在が自分の人生に大きく関わっていた事らしいと最近思い当たったからである。いつもなら気学や易を使って紐解くところであるが、これもまた面白かろうと思う。

 

 スウェーデンボルグは天界の結婚について次のように記述している。 「天界と地獄」からの抜粋(青文字)。

 

「心は二つの部分からなり、その一つは理解と呼ばれ、他は意志と呼ばれている。この二つの部分が一つのものとなるとき、それらは一つの心と呼ばれる。その時、夫は理解と呼ばれる部分を作り、妻は意志と呼ばれる部分を作る。内部の連結であるこの連結が彼らの身体に属したものの中へ降りるとき、それは愛として認められ、また感じられ、そしてこの愛が結婚愛である。・・・中略・・・この事は天界では共に住むことと呼ばれ、彼らは二人ではなくて、一人であると言われ、それで、天界では二人の配偶者は二人の天使とは呼ばれず、一人の天使と呼ばれている。」

 この一文のメモ

  • 彼の観察した天界では霊は「天使」と呼ばれている。また天使とは人間の事だとしている。
  • 男性は理解から考えるように生まれ付いていて、女性は情愛的で意志から行動するように生まれ付いていると別項に書かれている。
  • 真理と信仰は理解に属し、善と愛は意志に属している。

 

「何故なら一方は他の一方のように、引いては相互的に、または交互的に意志し、考える事を愛する以上、妻の意志は夫の意志であり、夫の理解はまた妻の理解であるから。このように彼らは連結して一人の者となっている。この連結はまことの連結である。何故なら妻の意志は夫の理解に入り、夫の理解は妻の意志に入っており、この事は特に彼らが互いに他の顔を眺めるときに行われる。・・・中略・・・一方はその者の全てのものが他方の物になるようにと願い、しかもそれが交互に行われているのである。」

この一文のメモ

  • つまり夫は妻に理解(真理と信仰)を与えようとし、妻は意志(善と愛)を与えようとする。
  • 見詰め合う事で情報交換をしている。
  • 別項には思考と情愛とが伝達されると書かれている。

 

「二人の配偶者がこの様に連結するに応じて彼らは結婚愛におり、同時に理知、知恵、幸福にいるのである。何故なら理知と知恵と幸福の全ての発生してくる根源である神的善と神的真理とは第一次的に結婚愛に流入するからである。従って結婚愛はまた善と真理との結婚であるため、神的なものが流入してくる面そのものである。

・・・中略・・・

 何故なら人間が意志する(欲する)ものは、その者には善であり、彼の理解するものは、彼には真理であり、・・・」

この一文のメモ

  • 善とか真理とかはその人の理解力に応じている。
  • 高いレベルでの真理(夫)と善(妻)の結合は神的なものの入り口になる。
  • 別項には善と真理の連結は、天界と地上にいる全てのものに対する神の愛に起源がある。
  • 善と真理に居る者によらなければ、真の結婚愛が何であるかを知る事は出来ない。
  • 「イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女に造られ、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、二人のものは一体となるべきである。彼らはもはや、二人ではなく一体である。だから、神は合わせられたものを、人は離してはならない。」マタイ福音書19

 

「宇宙のあらゆるものは善と真理に、またその善と真理との連結に関連しており、それゆえ、二人の結合の状態はその心を形成する真理と善の状態に全く似ており、従って純粋な諸真理と諸善から形作られた二人の心の結合は最も完全である。

 二つのものであって、真理と善以上に互いに愛し合っているものはない事を知らなくてはならない。

・・・中略・・・誤ったものと悪いものもまた、互いに他を愛しあっているが、しかしこの愛は後に地獄に変化する」

この一文のメモ

  • 愛は良いものの中にも悪いものの中にも存在する。
  • 最も強い愛は真理と善の中に存在しており、男女(夫婦)はこの表象である。よって、真理と善に目覚めた夫婦の愛は最も強く、その中に天国を映し出す。
  • この愛は心の最も深いところから湧き出ている連結する力である。

 

 「すなわち・・・善に連結している諸真理が純粋であるに応じて、結婚愛も純粋である。・・・何人も主(神)と主(神)の神的なものを承認しない限り、真の結婚愛にいることは出来ない。何故ならそのことを承認しないならば、主は人間の中の諸真理に流れ入って、それと連結させる事はできないからである」

この一文のメモ

  • 神の愛を受け入れるかどうか、その選択権は私たちの側にある。

 

「真の結婚愛の祝福の変化は数千も数えられる事ができるのに、その中の一つさえも人間には知らされておらず、また主から善と真理との結婚にいない者によっては把握される事はない。」

メモなし。

 

「一人が他の一人を支配する事を求める愛は結婚愛とその天界の幸福を取り去ってしまう。」

メモなし。

 

「天界は以下の点で地上の結婚とは相違している。即ち、地上の結婚は子供を生むためのものであるが、天界では、そうした出産の代わりに、善と真理とが生み出される。」

メモなし。

 

 今回は思うところがあって霊界での結婚を取り上げてみた。スウェーデンボルグは数十年にわたって霊界を訪問したとあるから、その情報量は莫大である。

 彼は天界を大きく三つの階層に分けて観察しているが、霊的結婚を果たし一つの心となった霊は一段高い世界に昇華して天界に花を添える。

 もちろん、真理と善は私たち一人一人の中にも存在しているのだから、必ずしも結婚が必要とされるわけではない。けれども、二つの個性が互いに認め合い、一つになるほどに心を同化させるのは天界においても稀な事だといわれる。

 別項ではスウェーデンボルグが出合った霊が、霊の結婚を数千年ぶりに見たと証言するシーンも出てくるが、それほど稀なのも心を一つにすることの難しさを考えると妙に納得してしまう。天界には様々なイベント?があるといわれるが、とりわけ霊の結婚は素晴らしく天界のダイアモンドとまで賞賛される。

 もし私たちが自己の内部において真理と善を合一させる事ができるなら、そしてその真理と善がより純粋なものであるなら、かような美を自身の内に表す事ができるのかもしれない。

 

 ところでスウェーデンボルグは、理解は「真理・信仰」であり、意志は「善・愛」であると言っている。

 信仰というと些か宗教色が強くなるが、例えば私たちは地球が太陽を回っていることを知っており、朝になれば陽が昇り、夕方には沈むと知っている。「知っている」という事は疑う余地無く、信じている事に等しいと言っているように思えてならない。

 あるいは知る事、理解する事は信念を強めるものであると言い換えることが出来るだろう。この事は当ブログでもシリーズとして扱っている「潜在意識による願望実現は可能か」にも大いに関係してくる点だ。

 というのも願望を実現する能力を身に付けるためには、心の働きと現実の関係の理解を深める必要があるという示唆として捉える事ができるだろう。だから「信じれば実現する」。。。もちろんそうだが鰯の頭も信心からの類では少々心許ないという事になろう。

 

 理解と意志の結婚は私たち自身の内でまず成就される事が必要に思う。というのも例えば私たちは誰にでも優しく、寛容で、忍耐強くあるべきだと知っている。だからそうすることを意図し、そうするべきだと思っているが、実際に誰にでもそうすることはなかなか困難な話だ。つまり理解と意志は、いまだに私たちの内部で結婚していない訳である。

「霊的世界、心、現実」は一本の線で結ばれている。だから内的自己の統一はその人が知っている事が実際に出来るかどうかで推し量る事ができるだろう。それは自身を見つめる時の指標になりえると思う。

 

「知っている事が出切る」という事は、私たちが認識しているよりも遥かに難しい課題であると思う。そのような意味では「如何にすべきか」を私たちは十分に誰でも知っている。「あるべき」と考え付くには、そう難しい知識は必要ない。それよりも今「あるべき」と解っている事をできるようになる事の方がはるかに大切なのだといつも思う。

 ゆるやかにでも、理解と意志の結婚を自分の内に成し遂げたいと思う毎日である。

 

2007/01/07 03:21|心象房:霊学TB:0CM:4
 

2007年1月小寒 

 1月6日02:40小寒から干支暦での1月が始まります。この時刻の八字九星は

 三碧丙戌年 三碧辛丑月 一白庚子日 二黒丁丑刻

 となります。月盤は

 ┌─┬─┬破┐
 │2│7│9│
 ├─┼─┼─┤
 暗1│3│5五
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 │6│8│4│
 └丑┴合┴─定

 年の九星と同じ三碧の月で三碧と一白暗剣殺が重なります。これまで暖冬で雪も少なく来ましたが、ようやく寒さも戻ってくるかもしれません。水害、雪害は注意が必要です。

  また、三碧が重なる事でこれまで通り地震は多くなりそうです。やや気になることはあるもののそう大きな災害には至らないでしょう。 比較的穏やかな一ヶ月間になりそうです。

 

 本命星に九紫、一白、五黄を持つ方は少々注意が必要です。

 九紫の方は忍耐不足に陥りやすいので短気を起こさず着実に進みましょう。また文書上の間違いやトラブルには注意が必要です。

 一白の方は気分的に落ち込みやすい時期に入ります。前向きに頑張ってゆこうという気概はありますが、自分の予想通りには行かない事が多くリズムが狂いやすいためです。

 五黄の方は良く考えつつ進むよう心がけてください。喜宮に入っていますので喜び事も多いでしょうが、勢いに乗じすぎると悪い癖が出やすい時期となります。

 

 東の玄関のご家庭では悩み、病気などが生じやすい時期です。玄関には青色のマットや観葉植物などを置いて凶象を和らげてください。木製の置物なども凶象緩和に一役買います。

 南西に玄関があるご家庭では、短慮からの対人関係のトラブルが生じやすくなっています。また不注意からの火災などにも起きやすい時期ですのでくれぐれも注意されるようお勧めします。黄色の玄関マットや陶器製の置物で凶象を緩和してください。

 西の玄関のご家庭では白の玄関マットや金属製の置物、丸いものなどを置いて凶象の緩和に努めてください。

 年盤と同じ九星になる今月は東西に玄関のあるご家庭では特に運気の乱れが強まりますので注意されたほうが宜しいでしょう。

 

  東、西、南西にお風呂がある方、今月はどんどんお風呂に入ってください(笑)。いつの間にか染込んだ凶運を洗い流す効果があります。

 また、この三方に水場があるご家庭でも、今月は特に力を入れて掃除される事をお勧めします。

 

 それでは皆様のご幸運を祈ります。

 

2007/01/06 12:14|開運についてTB:0CM:4
 

孔雀飛ぶ慶賀の日 

 皆様、あけましておめでとうございます。今年も更なる精進を目指して行きたいと思いますので、本年も宜しくお願い申し上げます。

 

 本日初詣に行ってまいりました。もちろんこの地の氏神様であります八幡様でございます。お名前をお借りしているご挨拶を兼ねての初詣。

 参詣いたしますと五色の鈴が並んでおりましたので、何色にするかと甥っ子達と話になりまして私は紫雲の思いを込めて「紫」が良いと思いましたところ、ありがたく辿り着かせて頂きました。

 参詣の為に家を出たのは少し遅めの11:11でしたので、お賽銭も「承りました」との思いを込めて111円と致しました。1111円だろと突っ込まないで下さい(笑)

 神様が4桁を使ってお示し下さったので、私は一歩引いて3桁でお礼申し上げた次第ですから(笑)

 

 御祈願はいつもと同じく家族が無事一年を過ごさせて頂いたことのへ感謝と、 全ての方々が心安らけく平和に過ごせます様にとお願いいたして参りました。どうも御神前で私事を頼むのは気が引けて致し方ない習性を持っていますので、毎度この様に祈願させて頂いています^^;

 家族一同無事に参詣を済ませ駐車場につきました頃が13:30頃でしたでしょうか。まだ陽も高いというのに空に紫雲をおびた孔雀の羽そっくりの雲三本が南北に走っておりました。

 周囲を見渡すと誰も気が付いていない様子。。。少し残念と思いながらも、神様に心の内にて感謝申し上げ帰途についたしだいです。

 

 孔雀は古来から毒蛇や毒虫を食らう霊鳥として崇められる鳥であり、身体の毒、心の毒、厄災を食らい尽くして浄化をもたらす鳥とされています。それが仏教では孔雀明王としてあがめられるようになりました。

 密教においては孔雀明王を本尊とする孔雀明王法は国家鎮護の大法とされておりますので、年明けた日本が平和と調和に向けた一年となりますよう心から祈念いたします。

 また、古くは役の行者が孔雀明王法を修して空を自在に飛んだともされ、浄化と飛翔をもたらすものとされています。ありがたいことに私も孔雀明王とは夢にてご縁を頂いていますので、本日の初詣は感極まる思いがいたしました。

 

 仏母大孔雀明王の御顕現に合掌。オン マユキラティ ソワカ。。。

 

2007/01/01 17:28|雑記TB:0CM:13
 
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