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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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桃の節句 

 今日で2月も終わる。つい先ほど正月を迎えたと思っていたらもう三月である。年々月日の経つのは早くなっている今日この頃である^^;

 昨年も桃の節句に、桃太郎に関する記事をアップしているので、今年は少し趣向を変えて巷には流布していない話しを書こうと思う。

 

 桃の節句が日本で始まったのは平安期といわれている。元来は中国の上巳の節句に由来し、中国でも三月上旬の巳の日に川で身を清めて不浄を払う習慣があり、それが日本に伝わって髪で人型に切った形代に自身の不浄を写し取って川に流す風習へと変わったといわれる。

 この穢れを払う習慣が「流し雛」であり、平安期の貴族の雛あそびと融合したのがひな祭りという訳だ。

 

 ところで古事記等を読むと、イザナギの尊がイザナミの尊を追いかけて冥界下りをした際に、追いかけてきた黄泉醜女(よもつしこめ)を桃を使って追い払ったと書かれている。以来、桃はオオカムスビノミコトという神名を賜り、不浄を払う霊力を持つとして珍重されている。

 この桃は東洋占術では金気に当たり金気は戦いの気であること、また西の方位に相当している。古来太陽の沈む西は霊魂の方位であるから、西に桃が当てられていること自体黄泉の不浄を払うという意味にもなっている。

 

 昨年アップした記事中の桃太郎の話を少しく書くと、その桃の精である桃太郎は生粋の金気の精であり、付き従う猿(申)、雉(酉)、犬(戌)は全て西方を示す十二支である。専門的には方合といって、この三支が揃うと金の気は最強になるとされる。

 つまり、冥界の不浄を払う霊力が最も高められる訳で、その桃太郎が退治したのが冥界の獄卒とされる鬼であるのも、かような理由からである。

 

 ところで前述したように桃の節句は中国では上巳の節句と言われる。この巳(へび)とは本来火の気で金気を剋す働きがあるのだが、申とは支合という関係で仲がよく、酉とは三合という関係で金気を強める作用を持っている。

 このように考えると、巳の日に禊ぎをして不浄を払うのは理に叶っているかのように思えるのであるが、今回は少々趣向を変えて解釈してみようと思う。

 

 金気の敵、鬼とは大本教の中では丑寅の金神の別名とされる。正式な神名は国常立之神で、地球の正統な神であると言われている。それがあまりにも厳格な神であり、不正を嫌ったために邪神たちから煙たがられて、その地位を追われてしまう。

 その丑寅の金神が幽閉された場所が北東であったので、北東を示す丑寅の金神と呼ばれるに至ったらしい。元々は金神という名の様に、金気を示す神であったのだろうが、その西の地を追われてしまったということになろう。

 さて、その丑寅の金神には妻神様がいて、その名を未申の金神という。夫神、丑寅の金神は東北に幽閉されたが、妻神の未申の金神は真反対の南西に幽閉される事になった。これゆえに南西の方位を裏鬼門といって、北東の鬼門同様日本では不浄を忌む方位として恐れる事になる。

 このような理由から、先日の節分は豆をもって鬼を払う行事であるが、これは丑寅の金神が幽閉された時に「炒り豆に芽が出るまで出てくるな」と邪神に呪いの言葉の故事によるものである。炒り豆に芽が出ることなど有り得ないから、永遠に幽閉されていろという忌み言葉なのである。

 そうした本来の理由も知らずに、節分という行事に万民が加担して、本当の神様を幽閉し続ける呪術に加担させられているのだと王仁三郎は言っている。

 

 ところで、妻神の未申の金神、その申と巳は支合という関係だと記述した。支合の関係は、子−丑、寅−亥、卯−戌、辰−酉、巳−申、午−未と6種類あるが、その中の巳−申の支合は火と金の支合で、本来は巳(火)が申(金)を剋する関係である。

 つまり妻神を表す申を蛇が剋し誘惑する訳である。。。さて、皆様、何かを思い出されないだろうか(笑)

 そう、聖書の創世記によるとアダムの妻イブは蛇に誘惑されてエデンの園を追い出された事になっている。そして、国常立ちの神は地球に降り立った最初の神で、天津神から地球を統治するようにと命じられた神様だ。。。それが邪神の謀略によって地位(西)を追われて、東北に幽閉されたのである。

 その西は世界的に天上界、極楽、天国の代名詞なのだからエデンを髣髴とさせる話ではあるまいか。

 

 ある噂だと、くだんのアダムは二人いるという説がある。その最初のアダム(本当のアダム)を原初のアダム、アダムカドモンといい、その妻はリリスといった。

 リリスは全悪魔の母とも言われている魔女であるが、もともとはシュメール神話のリリトゥーという風を表す言葉だったという。東洋占術には先天盤と後天盤という魔方陣があるが、その先天盤で南西は「風」の宮なのである。

 

 さて桃の節句の話から、とんでもない所へと来てしまったが、時にはこんな話もどうだろう?王仁三郎は現代こそ正統神復活の時代だと言っているから、もしかしたら皆様もアダムカドモンに巡り会えるかもしれない(笑)

 

2007/02/28 22:52|暦の話TB:1CM:10
 

アンデスの太古の文明 

 金髪の巨人の伝説がアンデスにあるらしい。そのマチュピチュの近くにマルカワシ高原というところがあり、随分と古い遺跡があると聞いた。(詳細はこちら『アンデスの封印―秘かに伝承されていた「神々の予言」の真実』)

 失われた聖なる森マルカワシ高原は、そこを魔法使いの巨人の園と呼んでいるということである。そこにある石像にはライオン、象、ラクダ、ペンギンなど、そこにはいなかったはずの動物達の石像があらしく、それだけでも十分に不思議だが、さらにはイースター島のモアイ像にそっくりな石像やスフィンクス像まであるというのだから、とても怪しいところなのだ(笑)

 

 著者はパイチチという古代アマゾン帝国の都市の一つであったそこを1950年代に訪れている。インカ帝国には文字が無かったとされているが、その遺跡は象形文字で満ちていて、歴史的な記述が残っていたといっている。

 それによると、ムーやアトランティス時代のカタストロフィーが詳細に記述されていて、当時海岸線にあったティアワナコが天変地異によって現在の場所まで押し上げられてしまったと書かれているらしい。

 確かにアンデスの山々は地殻運動によって押し上げられる形で出来た山。ヒマラヤと同じ造山活動で出来た山であることは知られているが、それだって何十万年という緩やかな時間でできたというのが地質学の常識だ。古代アンデスの人たちが記録に残せるほどの短期間に起こったことではなないはずなのだ。だが、その記述が本当にあるとすれば、その記録は間違いではない。

 そればかりか、確かプレートテクニクス理論が提唱されたのは1900年代に入ってからだから、その様な記述があること自体驚異だと言わざる得ないだろう。

 

 この近くに現地の人たちもよく知らないマチゲンガ族という部族が存在しているという。彼らのいい伝によると、その天変地異があったときに、壊滅的な破壊を免れたのがアマゾン帝国で、インカの人々はその帝国の労働層の人々だったという。しかし、天変地異の後、彼らは堕落してしまった。。。

 同書によると、ムーが存在した場所は記述されていない。しかし、ムーと思しき大陸?は3万年ほど前から沈下が始まり、最後に残った場所をレムリアと呼んだと書かれている。その最後の王がアラム・ムルというらしく、彼は時の人々が忠告に反して「単に食べる、飲む、楽しむ」という快楽主義に陥り、末期には「聖なる道」に誰も見向きもしなくなったと記述している。

 そこでアラム・ムルは「七つの光の愛」に関する知識を世界の幾つかの場所に隠したといわれる。そこは聖所とか秘密の学校と呼ばれるところであるらしい。

 

 この辺まで読むとムーに関する記述とだいぶ重複していて面白いが、何故。こんな話を持ち出したかというと、以前Lyricaさんから教えてもらったウィング・メーカーの話を髣髴したからである。

 御存知のように現代科学は五大陸以外の大陸が存在した事には否定的であり、実際、そちらの知識を鑑みれば、こうした物語は荒唐無稽な話としか思えないのである。しかしそれでも、どこかで人の空想を書きたて、心のどこかに留まり続けようとする、これらの物語には何か大切な意味が込められていると思えてしょうがない。

 もしかしたらユングの言うような集合的無意識に関わるような何かのビジョンなのかもしれないが、実話であるにせよ空想であるにせよ、少しは追いかけてみたいという衝動に駆られてしまう。

 

 この知恵は、この類の話にお約束のように、時期が来るまで封印されていると言われる。その封印を解く鍵は人類の霊的進歩なのだそうだ。話はそれたが、少し元に戻そう。勿論、この話が荒唐無稽だと思われても、一つの物語として楽しまれても一向に構わない。私もこれは真実だなどとは主張するつもりはまったくない。ただ、なんか気になるな〜という気持ちで書いているのだから^^;

 

 そのムーの神殿には直径20mほどの半透明の黄金の円盤があったといわれる。この円盤はムーの末期までそこに保管されていたが、天変地異に伴ってアンデスのチチカカ湖近くに移された。この円盤は「宇宙の太陽」即ち「創造者」を象徴していて、波動を操る機能があったという。

 話から推測するに、物質の振動数を変える力があったようで、物体の物質化とか非物質化をコントロールする力があったように想像させる。だから、これもトンデモな発想だが、もしそれが誤動作でもすれば最悪ムーという大陸ごと非物質化してしまったのではないかとすら思えてくるが、まあ、あまりにも空想的過ぎる話だろう。

 しかし、同著を信じれば、その中にはアトランティスやムーの寺院が不可視のレベルに高められて今も存在しているという。それらは、私達の霊的なレベルが、それらを見ることが可能になるまで高まった時に姿を現すことになるという。

 聖書には最後の審判の時に、イエスが新しいエルサレムと共に来臨すると書かれていることを思い出させて面白い。

 

 ところで、そのムーの支配者?たちは実は宇宙人だという。彼らは約10億年前に地球に訪れていて、ムーの時代まで地球の進化に関わっていた。彼らの名前は「エル・レース」もしくは「エルダ」、「エルダ・レース」と呼ばれていた。

 彼らは身長4mほどの一つ目の巨人で、ギリシア神話等に残るサイクロプスである。私たちと同じ両眼も持っていたというが、彼らの特徴はいわゆる第三の眼と呼ばれる心眼だったために、一つ目の巨人として神話の中に残された。

 

 彼らは全宇宙を旅してきて、最終的に地球に到達した。彼らの目的はシータユニバース(第八宇宙)にステップアップする事で、言ってみれば私達の宇宙から解脱である。

 彼らの大半は目的に達してシータユニバースに旅立ったが、カルマとの兼ね合いによって地球に留まった人たちもいた。その末裔がアラム・エルたちであり、その彼らも現在は既にシータ・ユニバースに旅立ち種との合流を果たしている。

 聖なる光が注がれている場所が地上には二箇所あり、その一つがこのアンデス地方で、男性的な性質の光の影響を受けているという。そしてもう一つがヒマラヤ山系、チベットで女性的な光が注がれているところであるそうだ。

 その秘密の学校(リトリート)の活動は今日でも続いており、次回シータユニバースに至る人々のために門戸を開いていると言う。話はまだ続くのですが今日はこの辺で。。。関心があれば、続くかもしれません^^;

 もしかしたら、あなたの近くにもリトリートがあるのかもしれない(笑)

 

2007/02/27 21:10|心象房:霊学TB:0CM:8
 

胡蝶 

 胡蝶とは中国老荘思想の始祖の一人に数えられる荘子が見た夢の話である。ある日荘子は蝶になって自由気ままに空を飛んでいる夢を見た。自分が荘子だという事も忘れ、十分に大空を堪能して目が覚める。気が付いてみると自分は人間荘子であった。

 そこで荘子はふとこう思うのである。あの蝶は私が見た夢だろうか、それとも私が蝶の見ている夢であろうか。。。と。

 果たして私達が今ここにいることが夢ではないと誰が言い切れるだろう。私たちの現実がどれほどリアルであったとしても、それが、誰かが見ている夢ではないと誰が断言できよう。。。

 

 私も胡蝶ではないが昔おかしな夢を見たことがある。夢の中で自分は夢を見ていると気がついていた、その夢の中で私は眠気をもよおし、ごろりと布団に横になったが、その夢の中でまた夢を見ていた。勿論私はその夢の中で夢の中で見ている夢だと気が付いていた。。。ところがその夢の中でまた夢を見ていたのである。

 一帯幾重に重なった夢を見ていたのだろう。夢に中の夢、更にその夢の中の夢、またその夢の中の夢。。。と夢の中に入り込んでゆくと、ぽつんと抜け出したように自分がいた。それは起きている自分であり、確かに起きていると感じていた。

 その最も深い夢の中の夢の中で私は宇宙の中心にいて、宇宙ではないものとも一緒だった。宇宙であるものと、そうでないものがあって、それでも宇宙とそれは一つだった。宇宙が1ならそいつは0に違いないと感じていた。。。

 

 夢の中の夢から目覚め、更に目覚めた夢の中から更に目覚めて、、、と、目覚めが果てしなく続いた。。。いったい何度目覚めたのか自分でも解らなかったが、その都度地球が近付いてきて、ようやく本当に目覚めた時。ああ、私は此処にいて、そしてあそこにもいたと妙に得心していた。

 いつもの朝が私を包んだ時、私も自分が本当に目覚めたのだろうかといぶかしんだ。目覚めたと思っているのに、本当はまだ夢の中なんじゃないかと、そんな疑念が頭のどこかにこびりついていた。

 

 確かに私はいつもの日常に戻っていて、いつものような生活を始めたが、それでも自分が起きているとは信じ難かった。でも人生は夢のようなものかもしれないと考えた時、夢から覚めていようが、まだ夢の中にいようがどうでもよくなった。

 どこの世界にいようと、今、此処に、自分の意識があるのだから、そんなことは問題ではないと。。。妙に納得してしまったのだった。

 人生というリアリティーの中にいるつもりだった自分。。。でも、それすら本当は夢(幻想)なのだとしたら、その中で起こることにどれほどの意義があるだろう?

 悪夢だと知って悪夢を見るように、、、夢だと知って王にでもなった夢を見るように、、、夢だと知っているものにとって、どちらの夢もそう大差はない。喜び勇む自分も、苦悩にもだえる自分も、本当は夢にもだえ、また喜んでいるだけだ。

 そもそも、夢にもだえ、喜ぶ自分が私なのか?それとも、夢を見ている自分が私なのか。。。と問えば、一喜一憂する私は夢の中の私に違いないのだから、それすらも楽しめればいいんじゃないかと思える。

 

 はてさて、、、この世というところ、いったい如何ほどのリアリティがあるのだろうと思う。。。

 

2007/02/26 00:53|心象房:夢TB:0CM:8
 

言霊ラ・ムー 

 私が昔から気になってしょうがいないムー文明。その指導者は代々ラ・ムーと呼ばれていたらしい。エジプトのラーとおそらく同じイメージから来ているのだろうと思うのだが、今回はその言霊の話である。

 ラの言霊は日本神話の高皇産霊神を表す言霊と言われる。宇宙創造の根源的な創造力それがラの言霊である。天御中主神、高御産霊神、神産霊神の三神はカバラでいうところのケテル、コクマ、ビナーにも相当すると言われる創造の三柱の一柱である。

 

 そのラの言霊は出口王仁三郎の霊界物語より引用すると。。。

「めぐりめぐり果しも知らぬ神力はラの言霊より生れ出でけり」第73巻第6章「言幸比女(ことさちひめ)の神」より

「ラは左旋右旋の意にして婚(とつ)ぎの時の態(さま)をいふ。」第73巻第10章「婚(とつ)ぎの御歌(みうた)」より

 つまりラの言霊は螺旋、渦、波動の音で、そこから神的な力が生み出されると言っている訳である。また、その螺旋は左と右回転があり、その出会いが創造力となると言う意味だろう。

 

 では「ムー」はというと。。。

「ムは蒸し蒸して生(む)し蒸生(わか)し息子(むすこ)娘(むすめ)を生むの意也」第73巻第10章

「むしわかし結(むす)び連ぬる活動(はたらき)はムの言霊の活用なりけり」第73巻第6章

 「む」は結びを示す言霊である。蒸し蒸して。。。というエネルギーの注入、そして現出する息子、娘達。。。

 ある力は「結び」によって形を持ち始めると言う事であろう。

 

 したがってラ・ムーとは宇宙の根源的な神力、螺旋、波動が出会い、結びあって出現するものである。立ち上る湯気のように宇宙は始まっている。

 

 ラの言霊は頭頂のチャクラに対応すると言われる。頭頂のチャクラを開き宇宙の力を導きいれる事になろう。その力を凝集し蒸し蒸すほどに凝集する。すると。。。何が起こるであろうか。。。使ってのお楽しみと言う事で(爆)

 

2007/02/23 22:55|山術房:言霊TB:0CM:7
 

夢分析のポイント 

 のっけから本文に入ります(笑)

 

夢解読1:夢の中の「あなたの状況」を考えてみる。

夢解読2:夢の「登場人物」を考察する。

夢解読3:夢の中の「時間と場所」に注目してみる。

夢解読4:夢に出てきた「道具や動物など」に焦点を当ててみる。

夢解読5:夢の中のあなたや登場人物の「行動」を分析する。

夢解読6:夢で体験した「感情」を振り返ってみる。

夢解読7:もう一度夢の象徴から「連想」を広げてみる。

 

夢解読1:夢の中の「あなたの状況」を考えてみる。

 1.あなたの年齢は?

 夢で出てきたあなたの年齢の頃を思い出してみましょう。何がありましたか?もし夢の中のあなたが小学校の1年生でリコーダーを吹いていたとしたら、ためしに子供の頃に帰って、夢の通りリコーダーを吹いてみるのも良いでしょう。けれど、夢の中のあなたが実年齢より随分と若い(幼い)時は、何かの部分でとても幼い考え方をしているという忠告かもしれません。

 もし、実年齢より年上だったら、背伸びをしているとか、その年代になった時の何かの可能性を示しているかもしれません。もし、よぼよぼの年齢になっていたとしたら、現在の生き方に付かれきっている事を象徴しているのかもしれません。

 もし、現在の年齢のままなら、他の夢の象徴から現在の在り方について考察をしてみます。

2.どんなものを身に付けていましたか?

 あなたが着ていた服や、靴、帽子、アクセサリーなどにあなたの状況が反映されています。

 服装はペルソナを表し、靴は社会的な立場を、帽子(髪型とか)はあなたの知恵・知識の状況を、アクセサリーはセルフの象徴ですので宝石の意味や神話を調べてみてください。

3.あなたの性別は?

 もし、実際の性別と変わっていたら、その異性性について考えてみます。

4.身体的な特徴に変わったところはありますか?

 身体の部分は上に行くほど抽象的、精神的な意味合いを持ち、下に行くほど現実的な意味を持ちます。

 例えは「頭」は知識、知恵、精神性を表します。「心臓」は中心的な部位で、統合を表す事から愛や情熱、優しさの象徴です。「足」は現実的なことに根ざすテーマを扱うという具合です。

5.あなたは夢に参加していましたか?

 夢の中では時々映画を見るように、自分は夢には登場せずに眺めている事があります。夢の登場人物は全て自分の分身ですが、自分はそこに参加していないので、かなり遠い分身という事になります。なのでこのドラマに関するテーマに関わるにはまだ時間が必要かもしれません。

 あるいはあなた自身というよりも、あなたの周りの人達のテーマなのかもしれません。このような場合でも周りの人達がこのようなテーマに関わっていると知っておく事はとても意味があります。

 

夢解読2:夢の「登場人物」を考察する。

1.夢の登場人物の役割は?

 夢の登場人物は全てあなたの心の分身であり、一要素です。その人が表しているような性格をあなたも持っているわけです。

 もし、夢の中でその人と仲良くやっていたら、あなたの心は調和的です。反対に葛藤しているならそれは、その人物に象徴されるものが、あなたの中に葛藤としてある事を示します。

 登場人物を七つのアーキタイプで分類し、あなたとの関係をみてみると、夢の大筋が見えてくるでしょう。

2.登場人物を分析する

夢解読1で自分を分析したように登場人物を分析してみます。その人がどんなペルソナを持っているのか、今バランスを失っているのかとかをチェックしてみます。

3.見知らぬ登場人物はどんな人?

 知人が夢に出てくれば、そのイメージははっきりしています。けれども見知らぬ人が出てきた場合は、まだそこまで意識されていない心の要素を表しています。具体的ではないので見知らぬ人として登場してきている訳です。もしかしたらあまり親しくない人に、その登場人物に似た人がいるかもしれませんね。でも、あまり強引には結び付けないで下さい^^;

 

夢解読3:夢の中の「時間と場所」に注目してみる。

1.夢のドラマはいつ頃か?

 そのドラマの時間帯、季節、あるいは時代などに注目して下さい。

 例えば春なら全ての生命が芽吹く時ですから、何か新しい事が始まろうとしているかもしれません。夏なら真っ盛り、秋なら収穫のとき、冬なら休憩、こもり、忍耐の時、または無意識とのコミュニケーションの解きを表しているかもしれません。

 春=朝、夏=昼、秋=夕方、冬=夜は同じイメージを持っています。

 時代を隔てた夢は、現在のあなたから遠い状況を示しています。

2.あなたの居た位置と方向は?

 あなたが現在立っている位置(状況)や向かおうとしている事象を表しています。

 一般に右側&下側は現実的、具体的、生理的な状況を示しています。反対に左側&上側は精神的、抽象的世界を示しています。中心は四隅から色んな要素が集まってくる場所で活性化、活動などを意味します。

3.どんな場所にいましたか?

 場所は夢のドラマの状況を表しています。

 例えば「地」は現実的なこと、母なる大地というように育成や堅固さ、また土は器の素材なので作ること生み出す事を象徴しています。「水」は感情や情愛、感性を象徴しています。川や海などですね。「火」は直感的な意識や激しさ、またはストレートな道のりを表します。また急激な変化を表す事もあります。「風」は精神性、霊的なもの、魂、息吹を象徴します。飛行機も風(空気)が無ければ飛べませんから、しばしば上昇する力を示す事があります。

4.どんな天気でしたか?

 晴天、雨、雪、あられ、、、と天気は天から下がり来るものを象徴しています。つまり運命とか宿命、あるいは「上」は精神性を示すので現在のあなたの気分を表す事があります。例えば「雨」は大地を潤すと同時に、豪雨ともなれば洪水し大地を洗い流してしまいます。「雷」は強いエネルギーで創造力や意志力を象徴します。

 

夢解読4:夢に出てきた「道具や動物など」に焦点を当ててみる。

1.どんな動物や植物が出てきましたか?

 植物なら花言葉を参考にして見ましょう。動物ならどこで活躍する動物でしょうか?また、あなたはその動物に対してどの様なイメージを持っていますか?ちょっと連想ゲームをしてみて想像してみましょう。

2.何か特徴的な道具はありましたか?

 例えば「箱」は秘密を表したり、人によってはパンドラの箱を連想するかもしれません。「タンス」は物事を整理しておくものですし、「食器」は食べ物、つまり生命力の入れ物です。「紐」なら物と物を結ぶもので「刃物」なら切り分けるものという象徴になります。

3.気になる数字は?

 数字自体にも意味がありますが(数霊などを参照してください)、もしかしたら結婚記念日だとか、誰かの命日などかもしれません。もしそうなら、それが夢のドラマを解明する鍵になるかもしれません。

4.印象的な色はありましたか?

 色自体にも意味がありますが、あなたはその色から何を連想しますか?連想した個人的な意味づけを考えてみてください。

 

夢解読5:夢の中のあなたや登場人物の「行動」を分析する。

1.登場人物はどんな行動をしていましたか?

 夢の中では現実では出来ない行動が可能です。現実と夢の世界でしか出来ない行動との差に意味が込められている事があります。

 例えば乗り物に乗っている夢はあなたの行動方法を象徴していたり、「喧嘩」は心の中の葛藤を、「追われる」のは何かから逃げている象徴と見ることができます。誰がどんな行動を取っていたかで、その人が示す性質についてどうするべきかが解るかもしれません。

2.夢の中の行動に矛盾はありませんか?

 例えば下着一枚で町に出かける夢とか、普段出来ない行動や、海に泳ぎに行ったのに和服を着ていたとか、、、ちぐはぐな行動、矛盾のある行動の中に、あなたが気が付いていない問題点が示されている事があります。

 

夢解読6:夢で体験した「感情」を振り返ってみる。

 夢の中で感じた感情をチェックしてみましょう。例えばとても恐い夢を見たのに、夢の中での自分は淡々としていたとか、楽しい夢を見たはずなのにちっとも楽しんでいなかった。。。という矛盾点に注目すれば、もしかしたら好きでも無い事を無理してしていたと気が付くかもしれません。

 それに気が付けば、無理をするのをよそうとか、無理をしても、その分休憩や気分転換を十分に取ろうとか、、、大暑方法も見つかります。夢日記等をつける際は、その夢の中で感じた感情も忘れずに書いてください。

 

夢解読7:もう一度夢の象徴から「連想」を広げてみる。

 一通り夢をチェックしたら、もう一度連想を広げてみましょう。夢の中に出てきた人や物、動物から連想しても構いません。眼が覚めて終わった夢の続きを想像してみても良いでしょう。

 その様にして連想を広げてみると、いつも見る夢に共通点が見つかるかもしれません。ドラマ自体はまったく違うのに、分析してみると同じような事を示唆していたということもあります。

 それが見つかれば、新しい視点を手にすることが出来るでしょう。

 

 夢の読み方を一気に書いてしまいました。我ながら珍しい事だと思いますが、そのせいで少し解り辛かったかもしれません。象徴についてはさすがに書ききれませんのでご勘弁頂いて。。。^^;

 皆様が新しい自分、気が付いていなかった自分を発見される契機になりますように。。。

 

2007/02/22 01:57|心象房:夢TB:0CM:8
 

夢に接する時の心構え 

 前回で引用した『ユングが教える夢の心理判断』より、夢分析のポイントを御参考までに引用しておきたい。

 

 夢に接する時の心構え十か条

1.夢に興味を向ける

 私は夢を見ないという人もいるが、夢に関心を向けると断然覚えている機会が増えてくる。不思議と夢の側も関心を持ってくれていると思うと、記憶に残るようにしてくれるらしい。夢は私たちとのコミュニケーションを求めているのだ(笑)

 

2.夢を御神託と勘違いしない^^;

 夢には色んなタイプがある。いわゆる正夢などの予知夢や、夢枕に立つ。。。などと言われるので、どうしてもそちらの夢ばかりが多いと思い込んでいる人もいるようだ^^;

 けれど実際にはその手の摩訶不思議な夢はそう多いものではなく、99%は日々の心理状態やそれにまつわる忠告、あるいは解決方法を示唆する夢であるほうが断然多い。

 しかし不思議な事に夢で示唆された心の状態を改善する事で、不思議と物事がうまく行ったり、ふと解決法が浮かんだりという事もある。だがこれは、心の状態を改善した事による当然の結果だと考えた方が賢明だろう。思いと現実との間には因果律があるのだから。。。

 

3.夢の意味は一つではない

 夢を見たときに、どの様な意味だろう?と解釈したくなるのが人情である。それが目的で夢に関心を抱くのだから当然だが、この夢は絶対こういう意味だ!と決め付ける態度は取らないように忠告しておきたい。

 というのも見た夢は一つでも、そのストーリーの中には幾つかの解釈法が存在しえるし、実際にそういう場合が多いように思う。それに、この登場人物は『こう!』と決め付けてしまうと、夢の自由を奪う事になり、夢の方だってどう表現したら解ってもらえるか悩むに違いない(笑)

 だから、はっきりしない時は、可能性として考えておく事を進める。また、誰かに相談するのも良いだろう。

 

4.夢の世界と現実の世界を区別する

 これも夢をご託宣と勘違いしてしまうケースに似ているが、例えば夢の中で両親を殺してしまう夢を見たとしよう。自立心が芽生えてくる頃には意外とよく見られる夢なのだが、それを自分の中には何か凶暴なものが住んでいて、いつか本当に両親を殺してしまうかもしれないと思い悩んだとしたらどうだろう。。。

 実際には親を殺す夢は、親の保護下から自分が自立する事を示しているのだが、それを知らずに戦々恐々として夢に怯えることがないように。。。という意味である。

 

5.夢とはある程度の距離を持つ

 ?の続きではないが、夢に関心を持ち始めたときに、続けて悪夢でも見ようものならなかなか気になるものである。だから余計に意味を見つけようと躍起になるし、それがために日常の事がおろそかになったのでは元も子もない。

 そんな時はしばらくの間夢に対する感心を忘れるぐらいが丁度良い。

 

6.夢解釈には偏見が伴うと知っておく

 夢自体はとても客観的なものである。しかし、それを解釈するのは私達の側であり、誰でもものの見方というのは偏っているものだから、どうしても自分の先入観を通して夢を解釈してしまうものだと知っておく事が大切だろう。

 夢はしばしば私達の盲点を付いてくるものだから、その先入観がますます正当な解釈から遠ざけてしまう。そう知っておくだけで夢の正しい解釈がより可能になるだろう。

 

7.のんびり夢に接しましょう

 夢解釈をするために夢日記などをつける人も多いだろう。実際に長期にわたって夢を記録するのはとても効果的な方法なのである。そこで中にはなかなか夢を見ないと苛立つ人もいる。焦るほど夢は遠ざかってしまうのだから、気長に構えることも大切である。

 2〜3週間夢を見なくても、慌てず、苛立たず、諦めずにまいりましょう。

 

8.些細な夢も大切にする

 夢を先入観で判断するなという一例にもなるが、例えば昨日家族でカラオケに行ったからカラオケの夢を見たんだ、たいした夢じゃないと安易に決め付けてしまうのは禁物である。

 朝から寝る前までカラオケをしていたなら別かもしれないが、実際にはカラオケ以外のことも沢山していたはずで、その中からカラオケのシーンが取り出されたというところに意味があるわけだ。

 夢は意外とこういうことが多いが、「しょうもない夢を見た。な〜んだ!」と思わずに、些細な夢でも大切にしよう。

 

9.夢辞典に頼り過ぎない

 夢の象徴はある程度意味合いが決まっている。七つのアーキタイプなどがそれだ。しかし、実際には意外とその人が持っている印象やイメージが重要なケースが多い。だからあまりにもマニュアルに頼りすぎると、正確な分析が不可能になってしまうので注意したい。

 例えばA君を夢に見たとき、会社でのA君の評価「A君っておもしろいよね〜」よりも、あなたのA君に対する印象の方が重要だという事だ。

 夢辞典片手に「猫」の意味を調べるのも大切だが、猫好きのあなたと、猫嫌いのあなたでは当然意味が変わってくるのであるから。。。^^;

 

10.頭と心の両方で夢を読む

 夢は御存知のように私達の常識を超えています。だから常識の心、知性で判断しようとすると理解不能に陥ります^^;

 そこで重要になるのはあなたの感性や直観力、これが必要となってきます。特に夢の中で感じた印象を大切にして分析してみましょう。

 実際こういうプロセスを繰り返す事で直観力が磨かれてくる人も少なくないようです。夢はあなたのもう一つの可能性を開いてくれるかもしれません。

 

 以上、夢と接する時の十か条でした。次回、夢を分析するときのポイントを纏めたいと思います。時間があれば今日中にアップしたいところですが。。。それでは後ほど(^^)

 

2007/02/21 20:53|心象房:夢TB:0CM:7
 

アーキタイプについて 

 はせいんさんとの会話で、そういえば当ブログでは結構無意識のことを話しているのに、その無意識と直結している夢の解釈方法について言及していなかったことに気が付いた^^;

 なので、今回はちとまとめておきたいと思う。私がいたずらに説明するよりとても解りやすい本があるので、そちらを纏めた形で引用、掲載しておきたい。『ユングが教える夢の心理判断』より。

アーキタイプ(元型)について

 夢に出てくる人物や表象は七つのアーキタイプに分類できる。この分類がわかっていると、摩訶不思議な夢の登場人物に惑わされること無く意味がつかめるようになる。

 といっても夢に登場するものはみな、あなた自身の分身のようなものであり、アーキタイプはあなたの七つの側面を意味していると思っても良いだろう。では。。。

 

1.シャドー

 自分で気付いていない自分の影の面。例えば真面目な人は、真面目な部分にスポットが当たっているだけで、不真面目な部分がまったく無い訳ではない。このスポットの当たっていない自分をシャドーという。意識している自分と正反対の自分が無意識層の中に存在している訳で、この存在は殆んど成長せぬままに無意識層に潜んでいる。

 もしかして認めたくない自分かもしれないが、もし、夢を通してシャドーが主張を始めたら、少しは意識して開放してあげる(不真面目な自分を出してみる)事で、私達の人生はもっと豊かになるだろう。

 逆にシャドーの存在を無視して、抑圧する一方にしてしまうと、しばしばシャドーは暴走し、突発的に不真面目なその人を出してしまう。。。。こんな時、いつもなら、あんなことは絶対しないのに〜とあなたは思うだろう(笑)

 普段大人しい人がいきなりキレて大変なトラブルを起こすのも、シャドーを抑圧しすぎた可能性が高い。。。

 シャドーは一般に夢の中では同性の友人、兄弟・姉妹、見知らぬ人(殆んど年下)、暗い顔の人、怪獣やお化け、などとして登場する。何かに追いかけられるような悪夢などはシャドーがかなり抑圧された状態なので早い対処が必要。

 

2.ペルソナ

  ペルソナは一言で言えば「立場・らしさ」といっても良いだろう。私達はその時々の立場によって様々な仮面(ペルソナ)をつけている訳である。その際たるものが「男らしさ」「女らしさ」という事もできる。

 また、部長として、、、とか、父親として、、、あるいは、夫として、、、という具合に、人は幾つものペルソナを持つことが通常である。

 ペルソナは正常な社会生活を営む上では必要不可欠なものだ。しかし、例えば教師として生活している人が、家庭の中にも教師を持ち込んだりした場合、それが過度になると夢から警報が出てくることがある。

 この場合ペルソナはあなたの服装とか身の回りの品物、小道具などとして夢に登場する。つまりペルソナはあなた自身なのではなく、あくまでも身に付けている「もの」に過ぎないのであり、「自分」と「立場上の自分」を混同・同一化してしまうとはなはだ不都合なことになりやすい。

 

3.アニマ・アニムス

 アニマはラテン語の「魂・風・息吹」を表す言葉で、あなたの中の異性性を象徴している。

 例えば男性の場合は子供の頃から男として育てられ、男性的な性格を発達させて成長するため、女性的な性格は未発達なまま取り残されてしまう。それが、このアニマ・アニムスで、男性の場合はアニマ、女性の場合はアニムスと呼ばれる。

 私達は本来中性的存在だと考えても良いかもしれない。だから、片方の男性性あるいは女性性のみを発達させてしまうと、無意識の中でバランスを取るために異性性が解放を訴えてくるわけである。

 夢の中では異性の友人、恋人、異性の兄弟姉妹となって登場する。またアニマは情熱、優しさ、感情、気分として、アニムスは行動力、意見、論理性として夢の中で表現される。

 男性でも女性性の強い人、あるいは女性でも男性性の強い人は、アニマ・アニムスが逆転する事もあるようだ。

 

4.グレートマザー

 グレートマザーは母性原理を象徴しているもので、包み込んでくれるもの、生み出すもの、温かく育むもの、受け入れてくれるものなど、同情、共感を象徴する。

 夢の中では自分の母親、祖母、叔母さん、あるいは看護婦さん、保母さん、女教師、女性の上司、尼僧などとして登場する。

 しかし母性原理がうまく機能していない場合は、口避け女とか魔女、山姥、怪獣やドラゴン、渦巻き模様や迷路、洞窟、地下世界として登場する事もある。

 こうした場合、母性原理は育成ではなく愛情過多、過保護などによって子供をがんじがらめにしていることへの忠告などとして登場する事も多い。

 

5.老賢人

 グレートマザーに対比して父性原理を象徴している。秩序、道筋を示すもの、論理、理想、向上心、倫理観(あるべき観)、道徳観、指導力、正義とうを象徴するものとして登場する。

 夢の中では父親、叔父、祖父、あるいは上司、社長、校長などの権威を持った人、先生、警察、軍人、王などの威厳を持った人、あるいは仙人、魔法使い、稲妻などとして登場する。

 上記の父性原理がうまく機能していなかったり、実際に父的な人との関係がうまく行っていなかったりしたとき、こうした姿をとって登場することもある。

 

6.子供

 子供は未発達ながらエネルギーと可能性そして自由な思考・発想に満ちた存在であり、何かに頭が凝り固まっていて、受け入れ難いときなどに登場する事が多い。まあ、もうちょっと自由に、のびのびと考えよう〜みたいな役割だ。

 しかし子供といっても赤子から幼児、少年という具合に段階がある。

 赤子はあなたの中に何か新しい可能性が生まれつつある事を示している。未来の可能性は大だが社会的には非常に未熟でしばらくは世話をする必要もある。それ故に、これから育ててゆかなければならない事柄を示している。

 幼児は可能性も少しははっきりとする。男の子なら男性性、女の子なら女性性という新しい芽吹きが感じられるだろう。赤ちゃんよりは可能性も明確になっているが、まだまだ手のかかる段階である。

 子供、いわゆる悪がき的な少年グループなどは、大変な活力があり、いたずら好きで、自由な発想で遊びを組み立てる。まだ社会性はないものの、新しい視点とかの新風を入れてくれる存在である。彼らの行動を観察することで、どの辺の頭のコリをほぐせばいいのかが解るだろう。

 少年は夢の中ではとてもピュアな存在としてしばしば登場する。純粋さや、創造性、アイデアに富み、妖精や天使などのイメージとも共通し新たな創造性をもたらす存在として注目に値する。

 いずれにしても、子供は何かの新しい要素を象徴する存在であるが、その年齢域に見合った手間(世話)が必要になるだろう。がもし例えば、夢の中のある登場人物が途中で急に少年に変わった場合、その人物のような何かがあなたの中に芽生えようとしているのかもしれないし、あるいはその人物はその少年の意味する可能性を秘めている人なのかもしれない。

 しかし、子供は現実性に乏しいという点は注意すべき点だろう。

 

7.セルフ

 セルフは心全体の調和を司る超越的な働きのことを言う。私達の内に在る神的な存在とでも言えばいいのだろうか。このセルフは私たち(自分自身)を超越した視点から見たものを伝えてきてくれる。全てを見通す眼と言ってもいいだろう。

 夢の中では曼荼羅図形、円形、十字、四角などの対称かつ均一に伸びる形状として登場する。そのような意味では宝石も均一な結晶という意味でセルフの象徴である。

 例えば円形ならばUFOとして登場したり、あるいは鍋蓋であったりするかもしれない。信仰を持つ人にとっては信じる神の姿で登場する場合もあるだろう。

 セルフは再生能力、不老長寿の力と関係し、そのセルフが示すものにおいて調和とか癒しとかをもたらすことが多いし、また、それを示している場合もあるだろう。

 いずれにしてもセルフが示すメッセージは非常に大切なものなのでよく観察する必要がある。

 

 夢に登場するものはおおよそこの七種類に分類できるので、このことを知っておくだけでも随分と夢が身近になるだろうと思う。

 次記事では夢の判断ポイントを纏めておこうと思うので、当記事と合わせて参照頂ければと思う。

 

2007/02/21 20:08|心象房:夢TB:0CM:4
 

ポラリス 

 ポラリス、、、こぐま座の一番明るい星で、現在の北極星のことである。。。テトリスではありません>ロウワイズさん(爆)

 以前歳差運動に絡んで北極星の事に言及したのだが(移動する北極星)、最近恒星占星術の事を調べていたので少し補足を書いておこうと思う。

 このポラリスがもっとも真北即ち本来の北極星の位置に来るのが2100年頃だという。Wikの記事を読んでいて、この星が中国では星辰(水星の事)に比している事が書かれていた。

 五行思想では、水星=辰星、金星=太白星、火星=煢惑 、木星=歳星、土星=鎮星という。五惑星の中国での名称なのだが、従ってそれぞれの星は木=木星、火=火星、土=土星、金=金星、水=水星という具合に五行に割り振られている。

 だから北極星が水星に比しているとなれば、現代の少なくとも北半球は「水」の時代だという事になる。

 

 水星は占星術では半吉半凶の星とされる。つまり吉凶がないわけで、これは水星が表す「知性」が使い方次第では吉にも凶にもなるという思想の現れである。その水星に比される現代は「知性」の時代だという事が出来るだろう。

 北極星の変遷は以下のようになる(Wikから引用)

過去の北極星
  トゥバン(りゅう座 α星)    :紀元前2800年ごろ
  コカブ(こぐま座 β星)     :紀元前1100年ごろ

現在の北極星
  ポラリス (こぐま座α星)    :西暦2100年ごろ、もっとも天の北極に近づく。

未来の北極星
  エライ(ケフェウス座 γ星)   :西暦4100年ごろ
  アルフィルク(ケフェウス座 β星):西暦5900年ごろ
  アルデラミン(ケフェウス座 α星):西暦7600年ごろ
  デネブ(はくちょう座 α星)   :西暦10200年ごろ
  はくちょう座 δ星       :西暦11600年ごろ
  ベガ(こと座 α星)       :西暦13700年ごろ
       … 紀元前11500年ごろにも天の北極近くに位置していた。

 

 同様に紀元前3000年頃には南極星も存在していて、みずへび座のα星がそうだという。

 神話時代が始まった頃には北に竜座、南にみずへび座という、いずれも蛇系の星座が極星として君臨していたわけで、この辺が世界的に存在する「竜」にまつわる伝承と関係があるのかもしれない。

 当ブログでも何度か出てきたアトランティスやムーの時代12000年ほど前は北極星に琴座があった。もっとも古い遺跡などはおおよそ9000年前ほどから生活の痕跡があるから、そのような意味では現文明の発祥はリラの影響を受けているという事になるだろうか。。。

 

 このポラリスは三重連星であるが、この辺もキリスト教の三位一体など、3にまつわる思想の出現に影響を与えていそうな気がしないでもない。もっとも三重連星だと過去の人達は知る良しもないが。。。

 このポラリスの属するこぐま座の由来は、ゼウスが恋をしたカリストに由来する。ヘラの嫉妬によってカリストは熊に帰られてしまう。カリストとゼウスの間にはアルカスという子供がいたが、ある日森に狩りに出たアルカスは自分の母親と知らずに熊となったカリストを弓で射殺してしまう。

 この二人を哀れんだゼウスは二人を天に上げ、大熊座と小熊座になったという。

 

 大熊座は御存知のように北斗七星のことであるが、数秘的な3と7の出自はこの辺にありそうだという気がしないでもない。

 

2007/02/19 21:36|命術房:占星術TB:1CM:4
 

2007年雨水と旧晦日 

 今日は旧暦の大晦日、明日は正月なんですね。。。今年三回目の^^;

 東洋占術で旧暦を使う占いというと紫微斗数占術や宿曜などがあります。月の位置がとても大切になる占いです。最近では太陽暦が使われている事もあって、殆んどの占いは太陽の位置を元に占います。けれど月は私たちの感情や無意識などを表す星で、占星術などでは月は過去世の太陽だと言われて重視されます。今でも月が重要な天体である事に変わりはありません。

 

 そして翌19日の10:09に太陽は黄経330度にきます。干支暦では二黒丁亥年 二黒壬寅月 九紫甲申日 三碧己巳刻 となります。占星術で言う魚座の始まりに当たります。

 

 19日月曜は正月二日ですが、二日の朝に見た夢が初夢になります。

 太陽は私達のパーソナリティーを象徴する星ですので、太陽暦での初夢は社会的なことを象徴する夢と言えるでしょう。でも今回の初夢はとても私的で内面的な初夢といえるかもしれません。どの様な夢を見られるか、楽しまれては如何でしょう(^^)

 

 今年の初夢は覚えてない〜という方。あまり良くなかったぞ!というかた。二度目のチャンスです。是非良い夢を見てください(笑)

 皆様に幸運がありますように(^^)

 

2007/02/17 22:42|暦の話TB:0CM:13
 

本有修生 

 今回はメモ書きです^^;

 

 皆さん数珠などをお持ちかと思いますが、数珠の珠は108個あります。これは人間が持っている108の煩悩の数と同じですが、同時に108の仏様を表してもいます。

 数珠の珠を一つ一つ、つま繰って念仏を唱えてゆきますと108回の念仏を唱えることになり、煩悩を払ってゆく事になります。

 その数珠の母珠(もしゅ:真ん中の大きめの珠)を中心に54個の珠になり、簡易版のお数珠の珠は54個になっています。この54個の珠は本有修生(ほんぶしゅうじょう)の五十四位を示すもので、一つ一つが菩薩修行の順序となっています。大きく分けると十信、十住、十行、十廻向、四善根、十地の順でとなっています。詳細は以下の通りです。

 

十信(じゅうしん)

  一 初めて教法を聞いて、信頼する心
  二 一度信じたことを忘れないこと
  三 信じたとおりに仏道に進むこと
  四 智慧の分別を持って邪道に落ちぬようにすること
  五 禅定の力によって忘念を起こさぬこと
  六 いかなる障害にあっても打ち勝って退かないこと
  七 これまでの修行を私せず、他のために廻向すること
  八 教法をどこまでも護持すること
  九 心を引き締めて油断せぬこと
  十 一切衆生(しゅじょう)とともに仏道を成ずることを念願すること

 

十住(じゅうじゅう)

  一 煩悩を断じてさらに向上心を発すること
  二 偏見を直して新しい法門を見出すこと
  三 新しい見地によって修行に励むこと
  四 修行が進んで新しい自信を持つこと
  五 無量の善根功徳を積むこと
  六 正しい空慧を生じて空観をなすこと
  七 再び、凡夫に堕ちないこと
  八 童子のごとく無心に修行すること
  九 法王を継ぐべき資格のできたこと
  十 正しく法王を継ぎ、空観のすべてを成就すること

 

十行(じゅうぎょう)

  一 涅槃の空理に達したことを喜ぶこと
  二 一切衆生に自分の法悦を分かつこと
  三 一切衆生に違逆せず同化すること
  四 一切衆生を救って教化することの確固たること
  五 機を見てよく教化すること
  六 まず自分の善根を現して教化すること
  七 人を教化したという心を持たないこと
  八 自らの心に得難い徳を持つこと
  九 自らの善が他の人の軌範となること
  十 物の相を真実に見ることができること

 

十廻向(じゅうえこう)

  一 衆生の迷いを自分の迷いとすること
  二 迷悟一如の理を達観すること
  三 諸仏の等しからんと念ずること
  四 仏土に至り諸仏を供養すること
  五 自行化他の功徳を生ずること
  六 一切の善根に入る廻向をすること
  七 悪人を捨てず善人と等しく接すること
  八 差別の上に真如の理を観ずること
  九 差別の上に自由に解脱できること
  十 一切の真相に悟入しうること

 

四善根(しぜんこん)

  一 中道の妙理に近づいたこと
  二 中道の妙理を明確に理解すること
  三 中道の妙理を認可決定すること
  四 いよいよ聖者に入るべき最後の位のこと

 

十地(じゅうち)

  一 初めて聖者の位に入り法悦すること
  二 自由に衆生の中にあっても垢に染まらないこと
  三 智徳の光明を発すること
  四 中道の智慧が明らかになったこと
  五 断ちがたい無明の迷いを断ずること
  六 真如法性の徳の現前すること
  七 自由にどこまでも駆け巡ること
  八 心の不動なる境地をいう
  九 中道無生の善慧を観ずること
  十 妙法の雲に覆われてすべてが妙法となること

 

 ところで、お釈迦さまは全てに仏性が宿るといいました。これを「悉有仏性(しつうぶっしょう)」といって「悉(ことごと)く仏性有り」と読むのですが、道元禅師は「悉く仏性有り」と読まずに「悉有(全ての存在)は仏性なり」と読ませました。

 とても微妙な言い回しかもしれませんが全然印象が違います。「悉く仏性あり」では、有ると無いの対比から、何となく一部に仏性が宿っているという印象がありますが、「悉有は仏性なり」では全てが仏性の顕現なので、この世には仏性以外のものはないという印象になります。

 この違いはとても大きいと思うのです。皆様はどちらで世を見られているでしょうか?

「悉有は仏性なり」、すべては仏性の現れである。。。こちらで世の中を見たいな〜と思いますね。

 

2007/02/17 00:14|山術房:心行TB:0CM:0
 

聖文字の夢の書 

 夢と私達の付き合いは長い。眠れば誰でも夢を見るのだから当然だが、私達はそのシンボリックな夢を理解するために随分と長い時間をかけて付き合ってきた。バビロニアの神官達は夢を解釈しようと研鑽して47000年も経ったと記しているのだから、如何に長い期間にわたって人類が夢に関心を抱いてきたかが解ろうというものだ。

 しかしもし、本当に47000年も付き合ってきたのが事実だとしたら、私達の文明がたかだか数千年という認識は覆される事になりはしまいか。。。少なくとも、相応の碑文などが残っていなければ、神官がその様な数値を示すはずがないと思えるのだから。まあ、あてずっぽうで言ったのだとしたら別だが。。。

 けれど、もしそれが本当なら現代から数えて50000年前には、何らかの文字が使われていた事になる。現代の考古学的な認識では、随分と荒唐無稽な話ではあるが、50000年前というとホモサピエンスがオーストラリアに進出した頃で、日本では明石原人の時代、旧石器時代である。その頃に既に何らかの記録手法があったとしたら、それこそが驚天動地のこととなる。

 が、不思議な事に50000年前はムー文明の草創期にも当たる。もっとも、こちらもでっち上げの烙印が押されているのだから比較しても詮無い事なのだが。。。

 

 しかし、比喩だとしても、それだけの長い期間に渡って人類が夢と付き合ってきたのは事実だ。何しろ最近は犬とかの動物たちも夢を見ることがわかっているくらいだから、人類の夢との付き合いは当然長い。

 それだけの長い期間に渡って夢解釈に勤しんで来たというのに、未だに夢解釈にこれといった定型が無いのは、夢がとても個人的な表象であることに起因する。ある程度の共通の意味合いを見出せたとしても、決め手になるのはとても個人的な条件なのである。

 今回のタイトルに記載した「聖文字の夢の書」とはエジプトの夢解き師が残した記録の事である。正式には「僧用聖文字の夢の書」というらしい。

 その書には夢解きをする前に、夢を見た人の状況が非常に大切だと書かれている。それで、家庭環境とか経済状況、病気や心配事などを確認の上で夢解きをしていたことが書かれている。

 

 当時エジプトには五つの魔術的な専門家がいたらしい、それは「悪魔祓い司祭」、「予言師」、「交霊術師」、「記号解読者」、「書記」で、書記が夢解き師に相当する。

 この時代には既にフロイトのリビドーに近い概念があったらしく、性と夢との関連性が詳細に分析されていた。後代には悪魔祓いとか交霊術師よりも夢解き師の力は大きくなっていったというが、夢と切り離せない私達の生活を考えれば至極当然な話である。

 当時王の見る夢はその国の栄枯盛衰に直結する一大事であったから、それも納得が行く話しであるし、それだけ夢に対する向き合い方も真剣だったに違いない。旧約聖書に登場するヨセフの夢の話など、投獄されていたヨセフがファラオの夢解きをして大臣にまで上り詰めてしまったというのだから、その取り扱いがわかろうというものだ。

 それだけの関心を集めていた夢であるが、「僧用聖文字の夢の書」があるからには「僧用」ではない夢の書もある。つまり一般市民の巷で伝わっていた夢解釈である。夢は国家の一大事であったくらいだから、庶民の間でもなかなか関心の高いテーマであったのだと思う。

 

 現代ではその様な夢にも関心を持つ人は殆んど見なくなった。多分フロイトやユングの精神分析などを思い浮かべて、夢を理解する事が随分と小難しい事になってしまっている事が一因に挙げられるだろう。

 もちろん、先に記したように、夢をきちんと理解しようと思えば、その人専用のマニュアルが必要になるが、それとてほぼ不可能に近いのだから無理もない。が、こうした象徴に関心を向けることは、結構有意義なことではなかろうかと私は常々思っている。

 

 古代の叡智は「神は病を癒すために医術を創り、悲しみを祓うために酒を創り、そして未来の解らぬ人を導くために夢を創った。」と言っている。

 もちろん、夢が予知的なものばかりではなく、私達の精神、無意識的な深い所にある考えを知り、私達の精神の調整役であることにも重要な意味がある。

 眠りは私たちにしばしば忘却をもたらすが、それは、決して消え去るものではなく、言ってみれば無意識という貯蔵庫へ押し込めるようなものである。その中に積もった日々の思い、矛盾も限度を超えると夢という形で悲鳴を上げることも少なくはない。

 だから、夢に注目する事は隠された、自分でも知り得ない自分を知ることにもつながり、それを調整する事で正当な心の状態を保持する事も可能になる。これは、実に、日頃における平和な自分を約束することになるだろう。

 

 夢には多くの秘密があるが、古代エジプト人は次のように考えていた。

 彼らの信仰によれば、人間の心は眠っている間に天の原大洋の中に舞い戻るのだという。そして翌朝にはそこからすっかりと若返って浮上して来るという。

 この原大洋とはエジプト語でnun(ヌン)、これは死後の世界とかあの世と同じ言葉である。

 つまり、人は眠っている間にあの世を訪れて、そこで神々達から夢を授かって帰ってくると信じられていたのである。

 

 夢は神々の賜物だから、古代の王が夢を重視するのもうなづける。この地上の神の代理人である王が神の言葉を無視する訳には行かないのだ。

 しかし、これは、あることを示唆してもいる。というのは夢の貯蔵庫無意識があの世(異世界)と同義だという事である。このことは以前「霊的結婚」にも書いたエマヌエル・スウェーデンボルグ(スウェーデンボリ)も似たような言及をしている。

 彼は眠りが霊界への参入であり、そこでエネルギーを補給して帰ってくるのだと、、、そのような事を言っていたと思う。あの世があるかないかは別としても、良質の眠りが翌日のエネルギー価を高めるという点には同意して頂けるだろう。

 良質な眠り、そして良質な夢を見ることは私達の日々の生活と心の状態にかかっている。あなたも良質な夢の世界に参入されてみては如何だろう。

 

2007/02/14 01:23|心象房:夢TB:0CM:6
 

夢の間 

 最近蔵書の整理を進めている。そうでもしないと自分の居場所がないからだが、読んだ本を放り込んでいた段ボール箱を幾つか持って来たらよけいに居場所がなくなってしまった。。。^^;

 必要そうな箇所をメモに取りながら整理しているので、これが遅々としてはかどらない。一度ページを開くとどうしても目を通したくなってしまうから尚更である。そんな中に20年ほど前に出されたシャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」や「ゴーイング・ウイズィン―チャクラと瞑想」などがある。

 この本をパラパラとめくり読みしながら、ふと彼のことを思い出した。彼とは当時シャーリーがとても懇意にしていたというケビン・ライヤーソンというチャネラーである。

 

 彼はピラミッドで働いていたという僧侶とチャネリングをしていたというのだが、ピラミッドは人間の意識を高めるための建造物だったという。

 ピラミッドは四面からなるが、これは四つのエレメントを表していて、ピラミッドの内部にある三つの部屋、通称地下の間は人間の潜在意識を、女王の間は私達の意識(顕在意識)を、そして王の間は神の意識ないしは神と一つになったときの私達の意識を象徴しているのだといっていた。

 私はなるほどと思いながらも、底を入れれば五つなんだから五行が相応しいとか、そもそもあのピラミッドは人が出入りできるようには作られていないのに、どうやって働いていたんだろうと疑問にも思ったが、とりあえずそれは置いておこう。

 

 ピラミッドには通常冠石が最上段に乗ることになるが、冠石の無い状態でのピラミッドは8点の角を持つ、冠石が乗れば五つであるが、冠石自体に五つの角があると見れば5+8=13の点をピラミッドは象徴している。8+5の造詣がピタリと合わさる事で5に戻るのも面白いが、五行思想に慣れ親しんだ私にしてみれば至極納得の行く話である。五行と八卦じゃないか。。。みたいな^^;

 ピラミッドが作られた当時ギリシア語があったかどうかは知らないが、8の自乗数64はギリシア語のアレセイア(真理)のゲマトリアと同じだし5^2+8^2=89となるが、これも88+1と導くと、1は神なので神の真理という意味と同じになる。

 現実にピラミッドが易の思想を踏襲していたと考えるのには無理があるが、この偶然の一致はなかなか面白いと思うのは私ぐらいかな。。。^^;

 

 ところで、そのケビン・ライヤーソン氏は、王の間が夢ととても関係していたと言っている。ピラミッドはもともと精神を高める目的で作られていたのだとすれば、それもあるだろう。氏によれば王の間は第三の眼を活性化し神秘的な夢を見る促進機らしい。

 とは言っても、前述したように人が入れないのであるから何の意味があるのだろうと思いもするが、この証言は意外と面白いと気が付いた。

 その玄室に意味があるかどうかはさて置いて、重力の強さは内的な意識の拘束力と関係しているとも言われる。それを体験的に知っていた古代の聖賢は、それ故に少しでも重力の軽減される高山に好んで居を構えたのだという。

 ピラミッドも重力異常を起こしているといわれるが、王の間の天井にある重力軽減の間は、もしかしたらそんな目的で作られた?と短絡的につなげてしまいたくなるような証言だ。

 かのナポレオンが王の間で一夜を明かした時、神秘的な夢を見たといわれるが、もし、それが原因の一つだとしたら不思議好きの私の食指も動こうというものだ(笑)

 ちなみにピラミッドの石棺の大きさは、 古代ヘブライの神宝「契約の箱」とまったく同じ大きさであるらしく、それを知ったナポレオンが行方不明になっていた契約の箱を探しに行ったという話もある。目的のものは見つからなかった訳だが、その日に見た夢で自分の一生を予見したとも言われるから、それだけの価値があったのかもしれない。

 

 もっとも、重力異常を意図的に作り出す建造物なんてそうそうあるはずもないのだが、、、と考えてみると、それがあるのだ。単純に高ければそれだけ重力は弱まるはずである。もちろんそんなことを言い始めたら高層ビルに住んでいる人はみんな神秘夢を見ているということになってしまうのだが。。。それを引き起こすには、何かもう一つの要因があるのかもしれない。