易経を紐解くと、困難な時期にも色んなパターンがあることが解る。その中でも六十四卦の中で最も困難な時期を示すとされる卦が四つあり、これを四大難卦という。
坎為水(かんいすい)、水雷屯(ちゅん)、水山蹇(けん)、沢水困(こん)の四つで、どれも水の卦が関わっている。易では目的を達成する事を渡河に例えているケースが多いが、川を示す水の卦は目的達成への障害という取り扱いがなされているとわかる。
この水卦は九星では一白水星に当たるが、一白水星が困難、貧困、病気、陥る、、、などのあまり歓迎したくない象意を持っているのも、天、沢、火、雷、風、水、山、地の八つの卦の中の水の卦に対応しているゆえである。しかし、一方で水の卦は知恵をも表していて、こうした困難の中から生み出された知恵が非常に大切である事を示唆している。
さっそく四大難卦について簡単に説明すると。。。
水雷屯・・・この卦は第三卦で、陽を示す乾為天(けんいてん)と次の陰を示す坤為地(こんいち)の次に位置する卦である。「陽と陰が初めて交わり新しいものを生み出そうとする、その困難の苦しみの時」と書かれている。
水は「困難」、雷は「活動」なので、困難を前に活発に動いてゆくという意味になる。雨雲と雷雲となれば、雷鳴ひしめく時であり、あたりは薄暗く、見通しもきかない。雷が鳴り響けば、その害が自分にも及ぶだろうかと不安にもなるが、下卦は雷の活動なので、そういう状況にあっても進み行こうという気持ちが失われるわけではない。
(易では上の卦は、環境あるいは相手を示し、下の卦は自分の状況を示している。この場合水の困難が状況で、雷の活動に向かう気持ちが自分を示している)
従って、行く手は困難ばかりが連なっているように見えるが、初心を忘れずに進むならばいずれは困難を克服して伸び栄えると書かれている。『大象』には、雲(水)が垂れ込め、雷が轟いている。まだ雨となって万物を潤すには至らない。これが屯の卦象であると続いている。
よって、この卦は何かを始めようと志した時に、誰もが遭遇するであろう困難を示す卦である。けれども初志が万物を潤すものであるなら(利己的なものでないのなら)、それを忘れずに進めば必ず道が開けて大きく伸びるとも書かれている。
だから、このような時期の困難期には、利己心を捨ててかからなければならないと教えているわけである。
坎為水・・・水(困難)が重なっている卦であり、状況(上卦・水)も困難ならば、自分の気持ちも落ち込んで(下卦・水)しまっている。このような状態では困難を克服する気力すらなく、それを助けてくれる人もいない。しかし、その困難を克服しようとする意志の弱さにこそ問題があるのではないかと、この卦は問いかけている。
というのも、いかに水が溢れそうになろうとも、山を越える事はありえない、、、と、この卦辞には書かれているからである。また同じ箇所に、いかに河川が流れようとも、水は低きに流れる性質を変えることはないとある。
色んな解釈が出来ようが、心が落ち込んで低く沈んでいれば、水(困難)は益々そこに流れ込んでくるのだと言っているようにも思える。人は相した困難の中でこそ心を鍛えられるものである。それで、次にはこう書かれている。
人も危難に際して誠意を変えることがなければ、やがてそれを乗り切って伸び栄える。と。
こうした困難の中にある時、私達は常軌を逸して我が身可愛さのあまり、運命を呪い、人を揶揄して羨むような真似をしやすいものである。しかし、そのような時であるからこそ、常道、正しい道に戻って山のように不動心を養う必要がある。
水は困難を表しているが、同時に正道を示す卦でもあるのだ。困難を招く一番の要因はその衝動より外れたからと言えなくもない。だから、もう一度正しい道に戻って誠意を忘れずにいれば、必ず道は開けるし、そこで鍛えられた精神は後になって人の尊敬を集めるだろうとも書かれている。
水山蹇・・・行く手には川(水卦・困難・危険)があり、危険を見て止まる(山)、それが出来る者こそ真の知者である。というのがこの卦である。また蹇はビッコ、足萎えという意味であり、足の不自由な人が川を渡ろうとしているのだから危険極まりないという意味である。
私達は困難の中にあると、どうにか動き回って問題を打開しようと思うものである。しかし自分を知らないものは、足萎えと同じ事であり、分をわきまえずに動き回って益々自分の首を絞めることも多い。
困難を前にして、動き回りたい衝動を抑え、きちんと止まるためには、状況について正確に気が付いていて、尚且つ自分の能力にも気付いていなければならない。そのような人が真の知者なのだと言っている訳である。
もちろん凡夫である私達は、なかなかその様な判断が付かない。そこで続けて、賢者に教えを乞い、素直に従うならば艱難を克服できるだろうと書かれている。
そこで、この卦は、困難に出会ったら、よくよく反省して自分を省みる事の大切さを教えている訳である。どうしても自分の力で解決できない時は、エゴを捨てて素直に経験者の声に傾けることも大切だという意味であろう。
沢水困・・・沢には水が流れているものであるが、その水が下になっている。干からびた川や沼のようなものである。田畑を潤すはずの水が干からびて無いのであるから、いかんともし難い。ひび割れたコップのように水が漏れていて、水を飲む事もできないという意味でもある。問題を解決するための材料にすら事欠いている有様なのだから八方塞りに等しいだろう。
この卦を得た時はしばしば経済的に困窮したり、留め養う事ができないので、何を言っても信じてもらえ無い事が多い。また、卦形では陽爻(ようこう)が陰爻(いんこう)に囲まれていて、つまらぬ人間に囲まれ、妨害されているケースも多い。
しかし喜び(沢)の中にあって困難(水)に陥ったのであるから、享楽や不摂生に甘んじて自分を節制する事を忘れていたために招いた状況だとも言える。身から出た錆びがこの卦の意味ということになるだろう。
周囲の甘言を真に受けて、その様な人間ばかりで自分を取り囲んでしまったのであるから、いかに困難に陥ろうとも、それを打開する知恵を持つ人など皆無である。心ある人はその様な状況をみているから、言い訳をすればするほど余計に嫌気がさされてしまう。
このような時は、身から出た錆びなのであるから、喜んで(沢)、困難(水)を受け入れるようでなければいけないと易は教えている。その様な気概で反省してこそ、性根を正すことが出来、また周囲の人も認めてくれるというものである。
しかし、この卦には続きもあって、大人は日頃から困難を喜んで受け入れているので、その様な人物にはむしろ大吉であると書かれている。困難の中にあっても正道を見失わないからである。
さて、以上が易の示す四つの困難である。少しまとめてみると、
屯・・・生みの苦しみに当たっては利己的ではない初志を貫く事。
坎・・・正道を忘れ困難の中にある時。正道に立ち戻り不動心を養う事。
蹇・・・自分を知らぬ無謀さを改め、上長の者に従う素直さを旨とすること。
困・・・悪根(あっこん)から錆が出るのだから、日頃から節制を旨とすること。
となるだろう。これが易が教える困難期の乗り越え方なのである。どれもなかなか難しいことではあるが、日頃から心がけておきたいと思う。
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