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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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05.水天需:如何に時を待つか。。。 

 易経の第五卦は「水天需(すいてんじゅ)」です。天の上に水があるので、未だ雨が降らぬ象となっています。嵐の前振りなのか、恵みの雨なのか。。。いずれもその時を待つという意味を持っています。

 

 人は、何かを待つことがなかなか苦手です。それが良い事ならまだかまだかと待ちますし。嫌な事ならもうそろそろか、まだこないようにと、、、時を待ちます(笑)

  易経では、この、時を待つ時の心構えがとても大切なのだと教えてくれます。水は易経では困難を表しますので、困難を前にして待つ時を示しています。下卦は天卦で動いて止まぬ象ですから、困難を前にして、それを何とかしたいと動き回りたくてうずうずしている形といってよいでしょう。

 けれども安易に動いては深みにはまり抜き差しなら無い事にもなりかねない。。。このような時にこそ忍耐心を問われるわけですし、対処の仕方如何でその後の道行きにも大きな影響を及ぼします。

  このような時の対処方法を易経では六爻(こう)になぞらえて説明しています。

 

  初爻では、田舎に引きこもって待つ。という事で、危険を感じたら遠く離れて過ぎ去るのを待つという方法です。それでも志操を守ってゆくなら、咎めはないだろうと書かれています。

 

 二爻では、河原で待つ。という事で、危険に近い位置だけれども、中道を守るなら、結果的には吉だと書かれています。危険や困難を目の前にして、中道でいられうかどうかが吉凶を別けるポイントです。

 このような時、人は無意識にでも動かずにはいられないもので、それを抑えて中道でいることはなかなかできるものではありません。それが出来ないと思うなら田舎に引きこもって、危険から遠く離れて待つ方が危難はないと言うことでしょうか。。。

 

  三爻では、泥の中で待つ。と書かれています。危険・困難を前にして、待つことが出来ずに進んでしまった訳です。泥の中にいるので身動きもままならないでしょう。我慢忍耐がきかずに進んでしまったのですから、もともと自分を制する気持ちも弱いわけですから。致し方がありません。けれど、それでも時節を見極めて慎重に進むなら失敗はないと書かれています。

 とは言っても、待つことが出来ずに進んでしまったくらいなので、時節を冷静に見極められるかどうか、、、それも心許ない話ではあります。。。

 

  四爻では、流血の中で待つ。と書かれています。既に危険の中に進み、危険に遭遇してしまいました。自制心のなさや判断力の甘さが原因でしょう。このような状況に陥っては、余計に焦り、判断を誤る可能性が高いでしょう。

 そのような時は素直な心で、周囲の意見に耳を傾けることが大切だと教えています。それならば窮地から脱することが出来るだろうと。。。

 

  五爻では、酒や食料を十分に備えて解きを待つ、と書かれています。易では五爻は君子の位なので、困難・危険を前にしても、よく食べ、体力知力を養いつつ待つ。。。これが君子が危険を前に取る態度であるという訳です。

 これはもちろん、酒食によって養うのは身体のことばかりではなく、精神的な力や知恵も含まれます。

 もともと危険を前にしてその様に出来るということ自体、その危険・困難を克服できるという信念がなければ、そうそう出来ることではありません。つまり、どの様な困難も克服できるものであり、その為に心身を養うことを怠らない。。。という意味になります。

 これが最上の待ち方だというわけです。困難を克服しようと上辺だけの対処に走る人は大勢いますが、もう一段、根本的なところから待つことを考えてみたいものです。

 

  上爻では、剣難の極み、窮地に陥る。と書かれています。しかし、この爻辞には、同時に思いがけない助力を得る敬遠な気持ちで従うなら、取り返しの付かない事態には至らない。とも書かれています。

 絶体絶命の中でも、必ず救いはあるというわけですね。けれども、それを受けるためには敬遠な心構えが必要だというわけです。

 もともと、自分の考えの甘さ、無謀さが招いたわけ困難・危険ですから、それに対する反省・後悔があれば敬遠にならざる得ないでしょう。そうでなければ思いがけない助力を、自ら蹴ってしまうことにもなりかねません。。。

 

  さて、こうしてみると、易経では危険・困難から遠い時でも、その渦中にあっても、必ず救いはあると言っている様に思います。しかし、その救いを受け取るためには、相応の心構えが必要だと。。。

  険難に際して如何に待つか。。。その待ちかた如何で、その後の人生にも大きな影響があるでしょう。いずれにしてもやみくもに動けばよいという事だけは、間違っているような気がします。。。

 

2007/06/29 12:40|卜術房:易に学ぶTB:0CM:6
 

天命を待つ。。。 

 人の人生は水のようだ。
 天下って、地に降って、、、
 少しばかりの、水溜りを作って、、、
 そして陽に照らされて、天へと帰る。。。
 だから人は水のようだ。。。
 あなたは何度天下ってきたのか?

 その水は苦難を意味する。。。
 苦しみ難儀する、、、それが人。。。

 悟った人は苦しみを感じない。。。そうなのか?
 苦しみを知らない悟った人、、、
 悲しみを知らない悟った人、、、
 喜びを知らない悟った人、、、
 苦しみも、悲しみも、喜びも知らないなら、きっと愛も知らないのだろう。。。

 それが悟りなら、私はいらないな。。。

 ありのままの自分でいる。。。
 ありのままの自分ってなんだろう。。。

 悲しいことを悲しいと感じること、
 苦しいことを苦しいと感じること、、
 嬉しいことを嬉しいと感じること、、、
 だから、きっと、愛も感じるのだ。。。

 悲しい時に、悲しいといわない、
 苦しい時に、苦しいといえない、、
 嬉しい時に、嬉しいと笑えない、、、

 悲しい、苦しいは嫌だけれど、悲しい、苦しいをなくしたら、
 嬉しい、楽しいもなくなりそうだ。。。
 それでも人生は素晴らしいのかな。。。

 あなたの悲しみと私の悲しみ、
 あなたの苦しみと私の苦しみ、、
 あなたの楽しみと私の楽しみ、、、
 それらが同じものなら、あなたか私のどちらかが居れば事足りる。。。
 それなら私は消えようか。。。

 けど、私の体験なんて大したものじゃあないが、
 他の誰もしていない体験だ。。。
 だから、誰も、私のことを知らない。。。
 私も、他の誰のことをも知りえない。。。

 誰も知らない体験なら、私の人生は何のためにある。。。

 そうか、あなただけが見ていたのだな。。。
 あなたのために、私は悲しもう。
 あなたのために、私は苦しもう。
 あなたのために、私は喜ぼう。
 あなたのために、私は楽しもう。。。

 それで良いか?あなたよ。。。

。。。そうとう古いメモ書きより。。。どれだけ古いかは、、、内緒(爆)

 

2007/06/27 00:28|山術房:心行TB:0CM:4
 

04.山水蒙:学ぶものの心得 

 易経の第四卦は『山水蒙(さんすいもう)』という卦です。

 「蒙」とは蔓草のことといわれ、木々を覆って根元を暗くしてしまうことから、覆う暗いという意味があります。ここで言う「暗い」とは「道理に暗い」という意味で蒙昧のこととなります。その暗さを開くのが啓蒙となり、この卦は全般に学ぶ者の心得を教えています。

 卦形では水が下にあり、山が上にありますので、湖面に映る山のようなものです。ここでは山は、塵も積もれば山となるの山であり、少しずつ経験や知識を積み重ねてきた仁者、知者と思っても良いでしょう。
 その山を下卦である自分に投影するためには湖面は澄んでいなければなりません。波打つ湖面に山は映りませんから。。。

 そこで蒙の卦辞には「初筮は告ぐ。再三すれば穢れる」と書かれています。深遠なる知恵を易に問う時、無心に問うた最初の筮はきちんと答えを告げているけれども、それが気に食わないなどの私心で何度も卦を立てるような真似をすれば穢れてしまう。という意味です。

 同じように心から学ぼうとする時は、無心に、素直に教えを受け入れる必要があります。私達は少しくかじり知った知識があると、同じような事を師から聞いたとき「それはもう知っている」と、そちらが先に立って真剣に聞こうとはしなくなります。
 また、その師が少しでも自分の意にそぐわないと、せっかく正しいことを教えているのに、疑念を抱くことも少なくありません。学ぶ側としての心構えが不十分なのです。

 よく話をしていると例えば、こちらが「良い事をすれば良い結果を招くことになる」というと「あっ、それって『善因善果』のことでしょ」という感じで、答えを先取りする人がいます。
 彼は『善因善果』という単語も、その意味も確かに知っているのでしょう。けれど「知っている」ことと「理解」している事、あるいは「得心」していることとは全く違います。

 本当に理解しているなら、彼はあらゆるところに善因善果・悪因悪果を見出すことが出来ているはずです。さらに本当に得心しているなら、その知恵によって彼は行動しているはずです。つまり、悪因を蒔くような行動は慎んでいるはず。。。 最高の知恵は知行一致なのですから。

 それ故に蒙の卦は、川(水・困難)を前にして山(止まる・不動心)の如しとなるべきと教えています。
 困難の前にあって、それが困難であると見極められないのは知恵がなく、困難であるとわかっていても留め待とうとする忍耐が出来ずに、これくらいとタカをくくって川に入り込むのは、まだまだ得心に至っていないからという訳です。

 おさなごはストーブに乗ったやかんに平気で触ろうとします。やかんに触るとやけどをすると知らないのです。。。やかんは熱いと知っても、また触ろうとします。心から得心していないからです。。。
 けれども、その様な体験をしつつ学び、ついには触らなくなるでしょう。。。学びもこれと同じで、同じことを何度でも学ぶ必要があります。その様にして、知恵は身についてゆくものだからです。

 だから冒頭に記した様に、それは知っているとタカをくくって聞こうとしないのは、知恵の何たるかを理解しているとは言い難く、学ぶ心得が出来ていない、、、という事になります。

 同じことを言っているのに、ある人には重みを感じ、ある人には感じない、、、ということはありませんか?
 同じことを言っているはずなのに、表面には出てこない含蓄に天地の差があるからでしょう。

 この世には新しい知恵はそうありません。どれも古くから言われてきた事で、時代と共に表現が異なるだけ。。。古くて新しい知恵があるだけです。
 私たちのような凡夫が知っていることも、いわゆる知者が知っていることも、そう大差はないのではないかとよく思います。
 違いはその深み、、、身についているかいないかの差ではないのだろうか。。。と。

 だからいつも虚心で、常に新しいものに触れるような気持ちでいたいものだと、そう思います。学びの世界も一期一会なのですね。。。

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2007/06/24 18:19|卜術房:易に学ぶTB:0CM:2
 

知足。足ることを知る 

 知足、「足ることを知る」。これがとても大切だと子供の頃に学びました。子供の頃は、今あるもので満足し、不平不満を言わないことであると。。。そう解釈しておりました。
 だからどんなに貧しくても、貧しいなりに満足すること。。。どんなに欲しいものがあっても、欲しいという欲求を抑えて不平不満の心を抱かないことだと。。。

 確かに、そういう気持ちは大切だと思いますが、今にして考えると随分と幼稚な解釈だと思います。今なら、私はどのようにこの言葉を解釈するのだろうと、あらためて考える機会を得ました。

 人生において足らざるものはない。。。けれども、多くの人は自分の人生に足りないものがあると、そう考えています。。。
 経済的なもの、あるいは誰かの愛情、幸福な人生を築くための運、、、足らざる、、、と考えているものには具体的なものから抽象的なものまで色々とあるに違いありません。けれど果たして、それが手に入ったとして、本当に幸せになれるのでしょうか。。。?

 私たちの欲望には限りがないとよく言われます。無ければ無いで欲しくなり、得れば得たでもっと欲しくなる。。。あきる事がない欲望を満足させることなど出来ないのだと。。。
 当時はその満足する事のない限りない欲望のままに渇望しても、心は苦しむばかりで平安の心とは程遠い。。。だから、ある程度のところで満足して良しとしなさいと、そう思っていたわけです。

「ある程度」を何処に設定するかという、とても曖昧な問題を含んではいましたが、なるほど知足とはとても大切なことなのだと、、、私の頭に刻まれました。
 それも今にして思えば致し方のない事だったと思います。当時は高度成長時代末期で多くの人が物質的な豊かさを求めていた時代でしたから、子供心にも、それではあまりにもあさましいのではないかと、、、そう、感じていましたから。。。

 けれど知足の本当の意味は、そのような浅いところにあるのではないと知ったのは、そう遠い昔ではありませんでした。
 心の法則を知るにつれて知足とは豊かさをもたらす法則であることにも気付きました。そのからくりは、私たち自身の思いを、私達は体験するという実にシンプルな決まりごとにあります。

 あれも欲しい、これも欲しいと、不足ばかり感じている心、、、この思いによって、まさに私達は不足を体験する事になるという、簡単な事でありました。。。

 何かを欲しいと思う気持ちは不足を感じる心から生まれます。私達は不足を感じ、不足を埋めようと考え行動する事になります。。。
 善因善果、悪因悪果という蒔いたものの種類と同じものを受け取るという法則からすれば、不足感からでた思いや行動は、常に不足という体験を生み出し続けます。つまり、私達はいつまでたっても不足感から逃れる事はできません。。。

 けれど知足の心は、満足感から考え行動する事になります。。。聖書には

思い煩うな、主なる神は野は働くこともつむぐ事もしない。しかし栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾ってはいなかった。。。

 とあります。もちろん働く必要などないと言っている訳ではありません。大切な箇所は『思い煩うな』です。
 この節の前には『二人の主人に仕えることは出来ない』という一文と、有名な『天に宝を蓄えなさい』という一文があります。
 この場合、知足と足らざると思う心の事といっても良いでしょう。足ると思う心も、足らざると思う心も、思いであって形のある『物』ではありません。だから、天に宝を蓄えよとは、満足する心『知足の心』を持ちなさいと言っている様に聞こえます。。。実際、少し長くなりますが、この後に、、、

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
 あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがに必要であることをご存知である。
 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添え与えられるであろう。
 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自信が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。



 ところで、私たちの考え、行動の元になっている思考、不足感とか満足感の「感」を『根になる思考』といいます。そして、この根になる思考の集大成が『自己像』と呼ばれるものです。
 思いは現実を作りますが、それは実は私たちの日々の思いとは少し違います。一瞬一瞬の日々の思いも確かに現実を作りますが、この根になる思考ほどの力はありません。

 あなたが何かを考え、思う時の、最も根本にある○○感。。。これがあなたの現実を作り出している大本なのです。
 この根になる思考を知るためには、自分に気付いていなければなりません。そして、不安、焦り、心配、怒り、憎しみ、不足感、、、そこから考え始めてはいけません。。。その事に気が付いた時は、何もしないほうがずっとましです。

 あなたが不安感から思考を始めるとき、あなたは不安に仕えます。あなたが満足感から考え始める時、あなたは満足に仕えます。。。二人の主人に仕える事は出来ません。。。

 知足。。。あなたも一緒に天国に宝を蓄えてみませんか?

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2007/06/18 23:58|未分類TB:0CM:2
 

知足。足ることを知る。。。 

 知足、「足ることを知る」。これがとても大切だと子供の頃に学びました。子供の頃は、今あるもので満足し、不平不満を言わないことであると。。。そう解釈しておりました。

 だからどんなに貧しくても、貧しいなりに満足すること。。。どんなに欲しいものがあっても、欲しいという欲求を抑えて不平不満の心を抱かないことだと。。。

 確かに、そういう気持ちは大切だと思いますが、今にして考えると随分と幼稚な解釈だと思います。今なら、私はどのようにこの言葉を解釈するのだろうと、あらためて考える機会を得ました。

 

 人生において足らざるものはない。。。けれども、多くの人は自分の人生に足りないものがあると、そう考えています。。。

 経済的なもの、あるいは誰かの愛情、幸福な人生を築くための運、、、足らざる、、、と考えているものには具体的なものから抽象的なものまで色々とあるに違いありません。けれど果たして、それが手に入ったとして、本当に幸せになれるのでしょうか。。。?

 

 私たちの欲望には限りがないとよく言われます。無ければ無いで欲しくなり、得れば得たでもっと欲しくなる。。。あきる事がない欲望を満足させることなど出来ないのだと。。。

 当時はその満足する事のない限りない欲望のままに渇望しても、心は苦しむばかりで平安の心とは程遠い。。。だから、ある程度のところで満足して良しとしなさいと、そう思っていたわけです。

「ある程度」を何処に設定するかという、とても曖昧な問題を含んではいましたが、なるほど知足とはとても大切なことなのだと、、、私の頭に刻まれました。

 それも今にして思えば致し方のない事だったと思います。当時は高度成長時代末期で多くの人が物質的な豊かさを求めていた時代でしたから、子供心にも、それではあまりにもあさましいのではないかと、、、そう、感じていましたから。。。

 

 けれど知足の本当の意味は、そのような浅いところにあるのではないと知ったのは、そう遠い昔ではありませんでした。

 心の法則を知るにつれて知足とは豊かさをもたらす法則であることにも気付きました。そのからくりは。。。

 私たち自身の思いを、私達は体験するという実にシンプルな決まりごとにあります。

 あれも欲しい、これも欲しいと、不足ばかり感じている心、、、この思いによって、まさに私達は不足を体験する事になるという、簡単な事でありました。。。

 

 何かを欲しいと思う気持ちは不足を感じる心から生まれます。私達は不足を感じ、不足を埋めようと考え行動する事になります。。。

 善因善果、悪因悪果という蒔いたものの種類と同じものを受け取るという法則からすれば、不足感からでた思いや行動は、常に不足という体験を生み出し続けます。つまり、私達はいつまでたっても不足感から逃れる事はできません。。。

 

 けれど知足の心は、満足感から考え行動する事になります。。。聖書には

 

思い煩うな、主なる神は野は働くこともつむぐ事もしない。しかし栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾ってはいなかった。。。

 

 とあります。もちろん働く必要などないと言っている訳ではありません。大切な箇所は『思い煩うな』です。

 この節の前には『二人の主人に仕えることは出来ない』という一文と、有名な『天に宝を蓄えなさい』という一文があります。

 

 この場合、知足と足らざると思う心の事といっても良いでしょう。足ると思う心も、足らざると思う心も、思いであって形のある『物』ではありません。だから、天に宝を蓄えよとは、満足する心『知足の心』を持ちなさいと言っている様に聞こえます。。。実際、少し長くなりますが、この後に、、、

 

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。

 あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがに必要であることをご存知である。

 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添え与えられるであろう。

 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自信が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

 

 ところで、私たちの考え、行動の元になっている思考、不足感とか満足感の「感」を『根になる思考』といいます。そして、この根になる思考の集大成が『自己像』と呼ばれるものです。

 思いは現実を作りますが、それは実は私たちの日々の思いとは少し違います。一瞬一瞬の日々の思いも確かに現実を作りますが、この根になる思考ほどの力はありません。

  

 あなたが何かを考え、思う時の、最も根本にある○○感。。。これがあなたの現実を作り出している大本なのです。

 この根になる思考を知るためには、自分に気付いていなければなりません。そして、不安、焦り、心配、怒り、憎しみ、不足感、、、そこから考え始めてはいけません。。。その事に気が付いた時は、何もしないほうがずっとましです。

 

 あなたが不安感から思考を始めるとき、あなたは不安に仕えます。あなたが満足感から考え始める時、あなたは満足に仕えます。。。二人の主人に仕える事は出来ません。。。

 知足。。。あなたも一緒に天国に宝を蓄えてみませんか?

 

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2007/06/18 23:17|未分類TB:0CM:12
 

祖母の命日。。。 

 今日6月16日は祖母の命日である。母方の祖母が亡くなって40年近くになる。私がまだ小さな頃だったから、思い出と呼べるようなものはあまりない。それでも小さなお店をやっていた祖父母は、遊びに行く度に好きなだけお菓子を食べさせてくれた。

 ある日そのお貸しに騙されて?祖父母の家に留まる事になったが、夜も夜中に自分の家に帰りたいと泣いて、その祖母を困らせた記憶だけは鮮明に残っている。雲ひとつない綺麗な星空だった。

 その祖母の命日と私の誕生日は縁が深い。私は祖母の月命日に生まれているが、弟達は二人とも祖父の月命日に生まれている。。。

 ものの本で先祖の命日に子孫が生まれやすいと読んだ事があるが、私たち兄弟に限って言えば、なるほどそうなのである。。。

 

 ところで、その祖母の命日はアパッチ族の有名なジェロニモの誕生日でもある。ジェロニモというとアリゾナの居留地に収容され、幾度かの脱出を試みている。4度目の最後の逃亡の時には、大統領直属の命令で5000人のアメリカ兵が彼を捉えようと追跡している。

 それに対して彼はなんと数十人の仲間達と半年もの間アメリカ兵と戦い手玉にとっている。類稀な軍師でもあったわけだ。だがジェロニモというとアパッチ族の酋長と思っている人も多いが、それは事実と反する。彼は小さなグループのリーダーに過ぎない。

 彼は獰猛さで知られたインディアンであるが、彼の本当の人物像はまったく違ったものであるらしい。彼の奥さんは病弱であったために、炊事から掃除、ペットの世話と心優しき夫であった。彼が英雄とされたのも、その様な彼の優しさと5000人の敵に臆しない胆力にあるのかもしれない。。。

 ジェロニモの話はよく映画にもなっているので、ご存知の人も多いだろう。。。

 

 西部劇など、インディアン映画のテーマによくなるのはリトルビッグホーンの戦いである。この戦いの名前は知らなくても、カスター将軍とクレイジー・ホースやシッティング・ブル達の戦いといえば、ピンと来る人も多いのではないだろうか。。。

 この戦いは1876年の6月25日に起こり、クレイジー・ホースたちはカスター将軍率いる第七騎兵隊を全滅させた。しかし、それがかえってアメリカで反インディアン世論を高める事になり、ネイティブたちにとって冬の時代が訪れる事になってしまう。

 その6月25日は、実は私の両親の誕生日でもある。私の父母は二人とも誕生日が同じなのだ^_^;

 

 カスター将軍を破ったシッティング・ブルは1890年12月16日、アメリカ政府の捕虜となり収監されようとしていたまさにその時、同じインディアンの警官に暗殺されてしまう事になる。。。彼は、あらかじめ色々と吹き込まれており、同胞を思う仲間によって殺されてしまうのだ。。。

 シッティング・ブルの悲しき命日は、実は私の誕生日でもある。。。^_^;

 

 だから、祖母の命日と私の誕生日は丁度6ヶ月違いなのである。

 それが今日、仕事で走っていると6121というナンバーの車二台と続けざまに出くわした。そう、私の誕生日は1216なので全く逆さまである。。。はて、私は何か逆さまな事をしているのだろうかと考えてみたが、とんと思い当たる事がない。。。

 でも、自分の誕生日を逆にさかのぼっているのか〜と思った時に、ふと気が付いた。。。自分の生まれをさかのぼる。。。そう、ご先祖さんからのメッセージかもと。。。よくよく思い出してみたら、祖母の命日。。。ってよくよく思い出すほうが変なのだが^_^;

 さて、お線香でも供えましょうか。。。

 

 それにしても、ずいぶんと話がそれてしまったが、なんともインディアンな我が家族だろう。。。私が自然好きなのも、実はこんな経緯があったりする。。。^_^;

 

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2007/06/16 18:30|雑記TB:0CM:3
 

私の祈り。。。 

 今、実はお昼休みなのですが、、、ある祈りをしながら仕事をしていたところ、書けと言われましたので、忘れないうちに。。。

 

 私が度々使うある祈りの言葉があります。その言葉とは

 

『あなたが本当のあなたを思い出しますように。。。そして、あなたが本当のあなたのままで在りますように。。。』

 

というものです。

 


 私はこの祈りを、特定の人を思い浮かべながら祈る事があります。

 そんな時私は心の眼でその人を見つめ、その人の心の真ん中へと入ってゆきます。心の真ん中には本当のあなたがいて、その本当のあなたに語りかけるように祈ります。

 特定の人を思い浮かべて祈る事は少ないのですが、本当のあなたは理解や愛や思いやりに満ちて、豊かで、健康で、欠けたところがありません。 

 だから誰かのために祈る時、例えばその人が健康になりますようにとか、調和的な対人関係が築けますようにと祈る事はなく、ただ、『本当のあなたのままで在りますように。。。』と祈ります。

 

 この祈りは経験上とても効果がありますが、必ずしも病気が治るとか、誰とでも仲良くなったとか、その様な変化があるとは限りません。それは魂の目的がそこにあることもしばしばなので、いつでも思い通りという訳には行かないからです。

 けれど、この祈りが必ず何らかの変化をもたらすことは、きっと皆さんも体験されるのではないかと思います。。。

 

 特定の人がいないとき。私はこの祈りの時にはいつも地球を思い浮かべます。地球を思い浮かべて、地球上に生きる全ての人、全ての生き物を感じ取ります。出来るだけリアルに。。。そして『全ての人があなたのままで在りますように。。。』と祈ります。

 

 この祈りをしていると、本当に本当のあなたが見えてくることがあります。。。とても美しく、にこやかで、叡智の光を宿した皆さんが。。。

 

 今日も一日、『全ての人が、本当のあなたのままでありますように。。。』

 

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2007/06/12 12:39|心象房:願望実現TB:0CM:12
 

美しき人々 

 真善美は三つの真理といわれます。神様は、この三つを兼ね備えているとも、、、神様が宇宙を作るときの基準だとも。。。

 

 この真善美を最初に?持ち出したのはプラトンだけれども、プラトンは真善美を理想の姿として、その理想を求めるのが人間活動の本質だとした。その真善美が完全に備わった理想世界をイデアと言っている。

 

 咲き誇る花を見れば、みんな美しいと思うだろう。。。風のような調べにも、照り返す光の揺らめきにも、、、人は美を感じるものだと思う。誰が決めたという訳ではないのに、何故私達は美しさを感じる事が出来るのだろう。。。

 

 0.618・・・黄金比というシンプルなバランスにも私達は美を感じるという。。。この感覚は私たちの何処から生まれているのだろうか。。。とても不思議な感覚だ。

 

 美はそうしたものばかりではなく、真実や正義を貫く姿にも見出される。。。優雅な仕草や、品のある挨拶の中にも美を感じる事が出来る。思いのこもった言葉の中にも、ただ歩く姿の中にすら見出される。。。本当に不思議な感覚だ。。。本当に、美というこの感覚は、いったい何処から湧いて来るのだろう?

 

 真実や善は、教えられないと成長しないけれども、美は、、、最初からあるかのように、いたるところに見出すことが出来る。はたして真や善も美に支えられているのではないだろうかとすら思えてくる。

 

 そんな美だから、女性が美しさを気にするのも良くわかる。多分、男だって自分は美しくありたいと願っているに違いない。男の美学なんていう言葉もきっとそんな思いから生まれてきたのだろう。

 

 昔の日本人は佳人、麗人、美人と女性の美を表現した。私たちの祖先は余程美に敏感だったに違いない。侘び、寂びと、シンプルな中ものや寂としたものの中にも美を見出したのだから。。。

 けれど一番美しいのは、私は人だと思う。誰の心の中にも、美しい顔が見えてくる。

 

 最近は美を求めてプチ整形なんかが流行っているらしい。。。特段、その事が良いとも悪いとも思わないが、でも、魂の顔がブスな人なんて今まで見たことがない(笑)

 美男美女ばかりの諸氏よ、あなたの美感は何処から生まれてきたのでしょう・・・?

 

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2007/06/10 00:30|心象房:霊学TB:0CM:6
 

666 

 今日は6月6日、今日から干支暦では6月が始まるな〜と、四盤(年月日時の遁甲盤)を眺めていた時に、そういえば朝の6時なら666じゃないかと気が付きました。。。私は24時間表記で時間を見る癖が付いているので、夕方は問題なし!(爆)

 御存知のように666といえば聖書の黙示録に書かれている獣の数。。。ひところには随分と騒がれたし、オーメンもリバイバルで放映されたし、まあ知らない人はいないだろう。

 で、666は人の数だと聖書に書かれているので、いったいそいつは誰なんだという事になる。聖書預言と相まって特にキリスト教国では大問題なのだろう。。。

 その666の人物候補は結構あって、古くはローマの皇帝ネロがそうだといわれる。ラテン語のゲマトリアから導き出された数らしいのだが、、、近年の候補者はロナルド・ウィルソン・レーガン。チャールズ皇太子。キッシンジャーあたりが有名かな?

 それにちょっと強引な気もするところでは、ヒトラー。。。まあ、ヒトラーは誰しも認めたいところかもしれないけれど、ゲマトリア的に無理があるような気がする。。。

 次がサダム・フセインなのだが、これはサダム(SADAMのヘブル表記)で666になるので個人とは言い難い。

 次にビル・ゲイツ。これはPC全盛の今になって出てきた解釈で、Bill.Gatesをアスキーコードに変換すると出てくる数らしい。

 他にもまだまだ候補者はいるのだが、最後にちょっとトンデモなところでは、なんとヨハネ・パウロ二世。私はかの教皇はカトリック教徒ではないものの、結構好きな人物だったので気が引けるのだが。彼の名前のラテン表記は IOANES  PAULUS SECUNDO で、このゲマトリアが666なのだという。

 まあ、彼はマラキの預言では『太陽の労働者』と象徴的に呼ばれているので、もしかしたらそのせいかもしれない。。。というのも6×6=36マスの魔方陣は下表のようになるけれども、これは太陽を表す魔法陣とされている。1〜36の合計数はもちろん?666で、縦横斜め何処を足しても111になるという魔法陣だ。

 だから、彼の666は獣ではなく太陽の人という意味だと絶対に思う。。。

6 32 3 34 35 1
7 11 27 28 8 30
19 14 16 15 23 24
18 20 22 21 17 13
25 29 10 9 26 12
36 5 33 4 2 31


 ところが、ラテン語といえば、もっと解せない事がある。それはなんとローマ教皇そのものだというのだから、さすがの私も驚いた記憶がある。

 ローマ教皇は『神の息子の教区牧師』という意味なのだが、それをラテン語で数えると666になる。。。^^;

 現教皇は111代目の教皇で、もし聖マラキの預言が本当ならば、あと一人の教皇を迎えてカトリックは大変な事になるそうだが。。。まあ平たく言えば112代教皇が獣だとも言われている^^;

 実際にどうなのかはわからないけれど、次の教皇は良くも悪くも世界中から注目される事になるのは間違いないだろう。

 なんとも、みょうちくりんな話を思い出してしまった。。。^^;

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2007/06/06 23:53|命術房:数秘TB:0CM:0
 

03.水雷屯:生みの苦しみ、忍耐の時 

 天と地がそろって森羅万象の創造が始まります。そこで次の卦は水雷屯(すいらいちゅん)となります。
 水は困難、陥る、、、という意味で、雷は振るい動く、声、という意味があります。ですので、この卦は何かを始めようとして困難に陥る。。。という意味になります。

 水は冬を表し、雷は若芽(新芽)を表しますので、冬の凍てついた大地の下で、今まさに伸びんと新しい命が胎動している姿です。
 このように何かを始めようと思うなら、いてついた氷の大地の下で春を待たなければなりません。生みの苦しみは、忍耐をし続ける苦しみでもあるわけです。私達は忍耐をするになかなか我慢が効きません。
 忍耐しきれずに芽を出して伸びてみると、まだそこは冬の真っ只中で、若い新芽は寒さに耐えられず枯れ果ててしまいます。。。
 自分では十分に忍耐をしたつもりでも、まだもう少し、忍耐が足りなかったという事は多いのではないでしょうか。。。もう駄目だと思ったときが、もう一我慢の時なのです。

 この卦は六十四卦の中でも四大難卦、あるいは三大難卦に数えられる卦で、忍耐の難しさを教えているように思われます。

 けれど水卦は水、雷卦は木の五行を表していて、水は木を生み育てます。水は困難を示しますが同時にそこから学ぶ体験的な知恵を表してもいます。一方で雷の卦は経験不足な若者を象徴しています。その若者が忍耐を重ねる事で、大きく知恵を得たときに春が訪れるのです。

 若者は忍耐を嫌い、また忍耐を嫌うのが若者の特権のように思われがちですが、彼が大きく伸びてゆくためには、その忍耐が必要という訳です。
 また、雷の卦は「希望」とか「期待」、「気付き」を象徴してもいます。忍耐をし続けるためには「希望」を失わない事が大切だと教えているようにも思います。

 この場合の若者とは単に年齢的に若いという意味ではありません。新しい場所で新しい何かを始めようとするとき、私達は誰でも経験の足りない若者だという意味です。

 卦形を御覧頂くと解る様に、この卦は初爻(しょこう、一番下の線、|は陽、:は陰を示す)が陽になっています。
 忍耐を重ねて、何かを生み出すとき、初心が大切であるという意味でしょう。

 またもう一つ、五つ目の爻(こう)も陽爻ですが、五爻は最も力のある人物、徳を備えた人物を示す位です。つまり、物事を生み出そうとするときは、そのような人の師事をよく聞くことが大切だと示しています。

 纏めますと、これで我慢も限度と思ったときにはもう一我慢すること。困難から学ぶ事。初心を忘れない事。希望を失わない事。徳を重ねた人に師事する事。。。これが困難な時期にするべきこととなります。


 ところで、水雷屯の水は「幽幻界」のことを示します。雷は「音」となります。天(陽)と地(陰)による森羅万象の創造は、まず幽幻界で、音とともに始まりました。
 聖書には創世記の最初に

『地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。』

 と書かれています。天(神)と地の間に深淵があり、最初に言葉を発せられた訳です。乾為天、坤為地から続く、水(深淵)雷(言葉)屯の流れがここにも書かれているような気がします。聖書と易が似たようなことを言っているというのも不思議ですね。

 雷は火と同体なので、言葉は光なのですね。皆様の言葉も、光に満ちていますように。。。(^^)


 

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2007/06/05 13:01|卜術房:易に学ぶTB:0CM:8
 

地球の叫び 

 当ブログを今まで読んで下さっている方は、私たちが心の内にあるものを、外部に反映していると私が考えている事を承知下さっていると思います。
 そして、更に、私たちの思い・考えが現実となって私たちに認識され、体験されている事も御理解頂いているでしょう。

 集合的無意識という深いところで結びついて、一つの魂を形成している私たち。。。スピリチュアル用語では群魂と言いますが、実は人間も群魂だということをご存知でしょうか。。。
 一見バラバラに見える私たちも。。。実は一つの魂で、それを古来からガイアと称していました。一つであるがゆえに私達は体験を共有し、それぞれの思いによってバラバラに活動しているかのように見えながら、、、その実、完璧なバランスを保っていたのです。
 もちろん最も深いところでは宇宙そのものが一つの意識ですから、私たちが一塊になって地球という魂を形成しているとしても、なんら驚く事ではありません。

 けれど一人一人のバランスを欠いた思い・考えは、いつしか累積して全体としての地球魂そのものに影響を与え始めました。それは今、環境問題とか、様々な自然災害、富の一極集中や二極化として表面化しつつあります。
 環境破壊が工業的な生産物や、化石燃料の浪費、爆発的な人口増加に原因があるというのは確かです。けれど目に見える世界での理由とは別に、それに先行する私たち全体の心の影響を無視する事はできません。
 つまり人類全ての人たちの心に、積もり積もった塵芥が、その様な形で現実化しつつあるということです。。。

 世界を見渡すなら、多くの死が私たちの前に横たわっている事は明白です。
 本来、霊的な存在である私たちは、決して失われる事も、傷つくこともありません。ですから死は何の意味も成しません。が、問題は私たちがそれを選ぶのか選ばないのか?という事だけです。
 このまま行く事をあなたが選ぶなら、あなたは何もする事はありません。けれども、多くの悲劇を回避したいと望むなら、あなたにはやるべきことがあります。

 あなたは、こういうかもしれません。。。世界で起きている悲劇を回避するには、自分一人の力では無力だと。。。しかし、その考えが今の世界に起こりつつある問題を放置してきた事も知っておく必要があるでしょう。
 また、ある人はいうかもしれません。。。世界で起こっている悲劇は、できるものなら何とかしたい、、、けれど、自分の明日の生活も切実な問題なのだと。。。そうでしょう。それで、あなたは他人の事には関心がないと言っている訳です。そして、その様な世界を招く事になったのです。。。

 いまや私達はどの様な言い訳も空しく感じる瀬戸際に来ています。
 願わくば、あらゆるところに深遠なる精神を見出してください。あなたが、あらゆるところにそれを見出すなら、あなたはそれを見出す者です。あなたが見出すことによって、深遠なる精神は姿を現すでしょう。
 あなたは今何を見ていますか。。。?

 そして、もちろん死とは私たち人間のことだけではありません。。。地球の温暖化という環境の激変で、多くの種が絶滅の危機に瀕しています。一説には現在既に動物達の種の30%が絶滅の危機に瀕しているとも言われます。この数値は実に驚くべき数値です。
 生物史上種の大絶滅は何度かありましたが、一億年に一度という絶滅が起ころうとしているのですから。。。もちろん、人間だけが蚊帳の外にいるというわけにはいかないでしょう。

 ネイティブインディアンにはこのような言い伝えがあるそうです。

『地球が病んで、動物達が姿を消し始める時、
  まさにその時、みんなを救うために
    虹の戦士が現れる』・・・虹の戦士より

 まえがきから、もう少し引用してこの記事を閉じたいと思います。

『地球が病んで、動物達が姿を消し始め、人々が健康を失って愚かな振る舞いをはじめる頃、つまり、地球の変化が激しくなって「偉大な浄化の時」が始まると、伝説や、物語や、古い教えや、儀式や、神話や、太古の部族の風習などをしっかりと守り続けてきた者たちの時代が到来すると。地球上の命あるものたちの生存の鍵を握っているのはその人たちだ。日本列島も例外ではない。・・・

 「虹の戦士」とは、その人たちを指す。虹の戦士たちは、誰からも命令や指示を受けない。戦士は「指示や命令がなければ動けない兵隊」とはまったく異なるからだ。虹の戦士とは、自分が好きになれるような世界を作るために、何かを自発的に始める人たちだ。正義と、平和と、自由に目覚め、偉大なる精霊の存在を認める存在。日本列島は、母なる地球は、その人たちの到来を必要としている・・・』

 

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2007/06/04 00:07|心象房:願望実現TB:0CM:6
 

すべては聖なるもの 

『全てのものはワカン(聖なるもの)であり、
  もし我々が自らを浄化したいと真に願うのなら、
   その深いところで理解しなくてはならない。
  何故なら、物に秘められた力、あるいは行いの持つ力は、
   その意味の中に、そして理解の中にこそ、あるのだから。』
          スー族 ブラック・エルク


『知識は
  風のようなもの・・・
  それが自分のものになれば
    好きな所へ行くことが出来る。』
          スー族 イエロー・ホース


『インディアンとして生きてゆくためには、
   どうしてもやってもらわなくてはならないことが、
     ひとつだけある。
  それは祈る事だ。
    見えざるもの、永遠なるものを
      日々認識する事。。。
   毎日の食事よりも、
     日々の祈りの方が
       はるかに重要なのだ。。。』
          スー族 オヒイェサ


『偉大な精霊の眼から見れば、
   悪人など一人もいない』
          スー族 シッティング・ブル


『そのラコタの年寄りは賢かった。
   人の心が自然から離れるにつれて、
     ぎすぎすしたものになる事を彼は知っていた。
  育ちつつある全ての命に対する
    尊敬の念が失われてしまえば、
      人間に対する尊敬の念も失われてしまう事を
        彼は知っていた。』
          スー族 ルーサー・スタンディング・ベア


『おさな子に母親が最初に教えるものは、
  「沈黙」と「愛」と「尊敬」の三つである。
    この三つは、三つで一つであり、
      子供に与える最初のレッスンの根幹であって、
  のちのち母親はそれら三つの土台の上に、
   「寛容」と「勇気」と「純潔」をかさねてゆく』
          スー族 オヒイェサ

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2007/06/01 23:35|心象房:霊学TB:0CM:0
 
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