中学高校と私は少しばかり武道に傾倒していた時期があります。その頃は瞑想なども日課にしていましたので、武道の練習にも瞑想的な要素を自分なりに組み込んで随分と練習しました。その中の一つでいつもやっていた練習の事を少し書いておきたいと思います。 高校に入ると私はバス通学となりましたが、バスの中ではいつも前の方に乗るようにしていました。立っていても座っていても場所を確保すると私は必ず目を閉じます。目を閉じて周囲にいる人の気配を感じ取るためです。大体は自分の背後に何人ぐらいの人が乗っているかを気配で当てようという簡単な練習でした。慣れてくると、どのあたりに人が乗っているかだんだんと察知できるようになります。 気配を感じ取るこの練習は思わぬ副産物を生んでも行きました。大体どの辺に何人ぐらいの人がいるか、、、それを当てようという単純な練習でしたが、三年間も朝晩この練習をやっていると、徐々に磨きがかかり、乗車している人の雰囲気そのものを感じ取れるようになっていました。 雰囲気、、、フィーリングですね。多くの人が第一印象とか相手の言葉以上のものを感じられていると思いますが、それが相手を見なくても感じられるようになってきます。後ろから何番目にいる人が女性のようだとか、このような性格だとか、、、あるいは今、このようなことで悩んでいるようだとか。。。その様なことまで感じ取れるようになるものです。 もちろん、この印象は言葉ではありません。雰囲気ですから言葉として表現する時に正確に表現できるかどうかと言う問題はあります。けれどそれも慣れてくるに従って、かなり正確に言葉を選ぶことができるようになります。といっても、バスに乗車し合わせた赤の他人ですから、自分が感じたものが正確かどうかは確かめようがありませんが。。。 けれどその頃はちょうど姓名判断なども勉強していて、いつの頃からか名前を見ると会った事がない方でも、時折りその方の顔が見えてくることがありました。この方はこのような顔の人ですかという具合に確かめる機会もあり、感じ取った印象がかなり正確なものであると知りました。ちなみに現在はあまり姓名判断などをしておらず、この能力は退化しています^^; この練習をしていて一番注意したのは感じた印象と事実が符合するかどうかという点でした。単なる思い込みでは意味がありませんので、確認できる事は確認しつつ印象と事実の突合せをかなりやりました。そうすると印象の当て方も洗練されてゆくものです。 私は霊視能力などの霊能力は今でもありませんけれど、印象を感じ取るというのは、それだけでも随分と不思議な事に違いないようです。けれど練習して身に付けた事ですので、誰もがその様な能力を身に付けることが出来るはずだと思っています。 この印象を感じる練習のもう一つの副産物は特に感情的なことを感じ易い点にあります。それは恐らく私達の精神作用の中で感情が最もパワフルだからでしょう。しかし裏を返せば、その事は私たちにとって感情的な問題が如何に大きなウェートを占めるかということも表しています。 その感情について考える時、私達の言葉は随分と限定された表現力しか持っていません。喜怒哀楽とか愛だとか憎しみ、安堵感、不安感、、、せいぜいその程度の表現しか出来ないわけです。この事は実は大きな問題を含んでいます。というのは言葉によって私達の思考は規制を受けていますが、感情を表現する言葉が寡少すぎて、自分の感情に気がつけないという現実を産み出しているとも思われるからです。 もし、私たちがもっと自身の気持ちを表現する言葉を持っていれば、多くの人は自分の気持ちに更に敏感になり、相手に気持ちを伝えやすくもなるでしょう。 しかし現時点で、これは不可能であり、必然的に自分の気持ちを何種類かの型にはめなければいけなくなります。この事自体が私たちにとっては大きなストレスになりえます。表現されない感情はその人の心の中に沈殿する以外に無く、いずれ澱み始めてしまうからです。。。 そこで自分の心の中の感情にもう少し気が付いていられるようにと思い、雰囲気を感じる方法を掲載したいと考えておりました。最近は空気を読むとか言われていますが、それとなんら変わりません。ただ、それをもう少し詳細に、具体的にしてみようというものです。 けれど、もともとがとても抽象的な問題ですので、具体的な方法といってもそうある訳ではありません。私がやったように気配を感じるとか、五感に頼らずに動きを感じるとか、相手から自分がどの様な印象を感じているかつぶさに観察するとか。。。たったそれだけの積み重ねでしかありません。 時には本当に自分は何を感じているのか、、、それに注目する以外に無く、何かを感じたらそれを言葉(具体的)にしてみる。。。ということの繰り返しになります。 雰囲気を感じる作業は時間と空間を超えて可能です。例えば宇宙の果ての雰囲気を感じ取るとか、、、果てしない過去、あるいは未来の雰囲気を感じるとか。。。その様な事も出来ます。私は時々というかいつも来年の自分に焦点を当てて、その時の自分の雰囲気を感じ取ります。それによって来年自分がどうなっているのかもおおよそ解ります。 とは言っても、最初はやはり確認できるものに焦点を合わせて、印象を感じ取る感度そのものを上げてゆかないと、単なる思い込みになってしまいますので注意して下さい。それでも慣れてくるに従って、目の前の花や草木が何を言っているか、、、とか、風が語りかけている言葉が聞こえ始めるでしょう。大地が発している叫びや警告も。。。 多分ガーデニングとかがお好きな人は、気が付かないうちにこうしたことをしているかもしれませんね。。。 ところで「潜在意識による願望実現は可能か?」という過去記事でも触れていますが、この、雰囲気を感じ取る能力は現実を創造する事にも応用が可能です。 困難な時、困った時というのは、それ特有の雰囲気(波動)を持っていて、一度はまり込むとその波動が更なる困難を次から次へと引き寄せることが間々あります。同調の原理ですね。このような雰囲気を感じた時は、感じた雰囲気を意識的に変えてしまいます。 困難な雰囲気を、好ましい雰囲気に置き換えてしまうのですが、それによって現実も変化し始めます。 ただ、注意して欲しいのは全てがバラ色になるとは思わないで下さい。人生上の困難とか障害は気付きや学びを促すもので必要不可欠なものです。それはより深い自己によって企画されている面がありますので、それそのものを無くす事はほぼ不可能です。 それでも、自分の気持ちを感じ取ることが出来るようになるで、不必要にその出来事を長引かせることはないでしょう。気付きや、学びがもたらされれば、それは速やかに過ぎて行くことになります。 さて最後に、雰囲気を感じ取る練習で特に大切なことがあります。それは日頃において、自分の感情を抑圧しないということです。それは怒りを感じたからぶつけなさいとか、、、そういうことではありません。もちろん抑圧しないのですから表現しなければなりませんが、その表現方法を考えましょう。単に感情的にぶつけるのではなく、自分の気持ちや感じていることを相手に解るように伝えるということです。 その為に、皆さんには思考する能力があり、言葉を選ぶ知性があります。怒りや憎しみも相手を傷付けずに、きちんと伝えることは可能だということを学んでください。そうする事が、素晴らしい人間関係を築くと思われませんか? あなたは我慢する必要は何もありません。でも、ただ感情をぶつけるだけでは、相手も売り言葉に買い言葉となって良い結果には終わらないでしょう。結果的に何度も同じような経験を繰り返すことになるに違いありませんし、それは望むところではないでしょう。 自分が何を感じているか?その雰囲気を感じる能力を高めてゆけば、その焦点を自分に合わせることで適切な言葉を選択することも可能になるでしょう。この練習はその様な効果も皆さんにもたらすはずです。 関心をもたれたら、時間がかかるかもしれませんが、どうぞお試し下さい。
|