AX
趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

プロフィール 

Author:やわたうま
 最近当ブログの記事に関連性の薄いトラックバックなどが急増しています。
 該当TB等は管理人の判断で削除させて頂いておりますので、あらかじめ御了承下さい。

FC2 Blog Ranking


人気blogランキングへ

最近の記事&コメント 

最近のコメント ★全ての記事を表示する★

お奨めサイト 

カテゴリー 

検索フォーム 

メールフォーム 

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ 

最近のトラックバック 

RSSフィード 

カウンター 

ブロとも申請フォーム 

この人とブロともになる

これからの日本考 

 当ブログに来られる方の検索キーワードを眺めていたら、参院選があったせいか小沢一郎氏や安倍晋三首相の運命と言うキーワードで来られていた方がとても多かった。

 参院の第一党となった民主党を率いる小沢氏、、、やっぱり気になる方は多いのだろう。

 政治と宗教の話はあまり触れたくないというのが正直なところだが、これからの日本を気にする気持ちは他人事ではないので、少し主観を記しておきたいと思った次第である。

 ところで、最近スピリチュアルの方でよく話題に上がるのがアセンションだろう。それが何故かマヤ歴の大きな区切り2012年と結びついていて(たまたまそうなったのか、憶測なのかは私には不明だけれど、、、)、その年に次元上昇が起こるという話である。

 次元上昇というのはどうやら、三次元物質世界に住む私達の振動数がフォトンベルトの影響で上昇し、その振動数に応じた次元に移行するということらしい。ただフォトンベルト自体は誤観察だったという事で、現在では否定されているという事も付記しないと不公平という事になろう。。。

 

 その2012年について、日本でも独自の言い伝えがある。

 

時霊からの警鐘―日本が不死鳥になるための最後の切り札
山田 雅晴
コボリ出版 (1998/05)
売り上げランキング: 656801

 

 該当の「時霊からの警鐘―日本が不死鳥になるための最後の切り札 」に書かれている伯家神道の口伝のよると、

 

「祝(ハフリ)の神事を行わない天皇が百年続くと、日本の国体は崩壊する」

 

 というものだ。

 祝の神事とは、天皇が即位に際して大嘗祭で執り行う秘密の神事である。この神事を執り行った天皇は明治天皇が最後なので1912年以降、祝の神事を行っていない天皇が続いているという事になる。だからその100年後となると2012年となる。

 その口伝が実際本当なのかどうかは、その年を待たない事には何とも言いようがないが、昨今の日本を見ていると、その口伝が取りざたされる気持ちも分からなくもない。それだけに今後の日本も多くの人にとって気になるところなのだろう。。。

 

 この手の口伝とか預言などというものは、ノストラダムスやケイシーの日本沈没預言など、まるで外れるためにあるかのような状況だが、日本の預言者とも言える出口王仁三郎氏は子の年を挟んで前後五年に大変な時期が来るという預言を残している。

 もっとも、その子の年がいつの子の年なのかは言及していないようなので、全く持って私たちには予測の仕様もないが来年が子の年だ。。。前後五年というのでもし5年前から日本が大変な事態に陥る調候があったとすれば、もしかしたら来年がその子の年なのかもしれないが。。。

 5年前となると2002年であるけれど、その辺はどうなのだろう。。。?

 2001年には愛子様の誕生、小泉内閣が発足、9・11テロなど、確かに大きな事件はあったように思うが、1年の差を誤差として容認できるかどうかが問題だ。。。

 

 さて、そこで随分と前置きが長くなったけれど、どうやら日本の命運は明治天皇が握っているような気がすると言う訳だ。実際、占星術師の間でも日本の運命を見るときには戦後日本樹立時よりも、明治政府樹立時のホロスコープを分析した方が的中するというのは共通の認識になっているようだ。

 1889年2月11日を大日本帝国の樹立とされているが、実際に天皇家に政権が渡ったのは大政奉還であるから、これも気になる記念日ではある。それは御存知のように1887年10月14日に行われたが、そのちょうど60年後の1947年に現行政府が発足しているわけである。

 60年というのは還暦でおなじみのように東洋占術でのサイクルである。更にその60年後が今年2007年である訳で、大政奉還からはちょうど120年という事になる。

 

 命理的にも120年というのは大きなサイクルであるし、インド占星術などでも120年は大きな区切りだから、今回の自民党大敗はかなり象徴的な出来事だったのではないかと思う。

 実は自民党の発足した1955年は九紫火星の年で、これは現行日本の本命星と同じである。また民主党は1998年の発足で三碧木星の年。これは明治政府の本命星と同じなのだ。この辺も非常に暗示的な話だと思うのだが、民主党に大きな変化が訪れた昨年も三碧木星の年であった。

 

 政治占については、あまり詳しくは書きたくないので、この辺にとどめて皆様の印象にお任せしたいと思う。

 けれど、どうも今回の事は明治政府時代の日本精神と、現代日本の精神を象徴する二大政党のぶつかり合いのように私には見えてしまう。そしてそれは私達の集合的な無意識層ともリンクしているのではあるまいか。。。

 私たちが心の底からどの様な未来を選ぶか、、、まさにそれが問われているような気がしてならない。

 

2007/07/31 17:03|占術全般TB:1CM:1
 

風天小蓄:剛を制する方法を考える 

 風天小蓄(ふうてんしょうちく)は風が天の上にあり、今まさに風が吹かんとする象にあたる。原文には「亨 密雲不雨 自我西郊」とあって「密雲が垂れ込めてきたがまだ雨は降らない、西の方より降るだろう」という意味である。

 雨が振りそうで降らない鬱々とした卦である。西は易では坎卦(水)の方位で難事が起ころうとしている象でもある。

 

 卦形では4爻に唯一の陰爻があり、五つの陽爻を押し留めている。柔爻が押し留めているのだから少しか押し留める事ができないという意味になる。

 常軌を逸した天(君主・首長・主人)を、力の弱い陰爻(妻・臣下・後輩)が押し留めようというのであるから、柔よく剛を制するためには、それなりの策や心構えが必要になる。剛強な相手に力ずくで対抗しようとしてもうまくは行かないだろう。相応の考えが必要になるときである。

 

 また天下風上の卦は、動こう(天)として迷い(風)がある時を示すので、そのような時はやみくもに動くべきではない(少し留める・少し待て)という意味がある。

 私達は往々にして鬱々とした気分の時は、迷いつつも何とか打破しようとして動き回りたい衝動に負けてしまいやすい。しかし元々が迷いから発した行動なので途中で行き詰る事になる。湧き起こる衝動に耐えることも学ばないといけない。

 往々にして現代人は忍耐が苦手のように思う。忙しい、あわただしい毎日に追われ、それが当たり前になっているのかもしれない。それだから手持ち無沙汰になると何となく不安が生じて動かずにはいられないのだろう。動こうと思って動くのではなく、動かずにはいられないのであるから、基本的なところで踏み誤っているのではなかろうか。。。

 易は四時盛衰を説くが、動くべきではない時に動いても自らの首を絞めるだけで何の益もない。。。物事を手中に置いてコントロールしようと思うなら、まず自分の心からコントロールし始めなければならないだろう。

 

 こうした剛強なる者を押さえようとする時、如何にするべきかを易は教えている。

 まずは、はやりたつ心を抑えること。

 次に、良き友人の助言に従い、中道、中庸を守る事。

 次いで、誠意を持って接し、上下の心が和合する道(方法)を探る事。

 次に、何事も独占せず、分かち合うこと。

 最後に、自己をわきまえて決して出過ぎないこと。。。である。

 

2007/07/30 09:15|卜術房:易に学ぶTB:0CM:0
 

神の手。。。 

 Moon7cさんのブログで「神の手」という記事の中で紹介されている写真です。

 詳細はMoon7cさんの記事を読んで頂ければ、、、と思いますが。とても衝撃的な写真なんですよね。

 

20070723182947.jpg

 

 台風の後に出た雲の威容ということですが、不謹慎な事に私は正直、どんな条件が整ったら、こんな雲が出てくるのだろう?としばし考えてしまいしました。。。^^;

 雲の厚みや形からも積乱雲なのだろうと思うのですけど、それにしても。。。

 

 光っているところにはタイミングよく太陽があるそうで、まるで太陽を包むように持つ手という感じです。私の眼には異次元の空間へ通じる道を広げようとしているようにも思えました。

 スピリチュアルな雲なのか、本当に偶然出来上がった雲なのか、、、私には解りませんし、皆様の印象にお任せしたいと思いますが、それにしてもこんな事があるもんなんですね。。。どちらにしても自然の驚異に感嘆致します!

 

 Moon7cさん、ありがとうございましたm(__)m

 

2007/07/26 00:39|雑記TB:0CM:9
 

応応、否否。 

「森羅万象にとって地はその精である。地にとって水はその精である。水にとって草木はその精である。草木にとって人間はその精である。人間にとって語はその精である。語にとって賛歌はその精である。賛歌にとって賛唱はその精である。賛唱にとって高唱はその精である。

 かくの如く、高唱なるものは精中の最精なるもの、至高、至尊なる第八の精である。」

チャーンドーギャ・ウパニシャッド

 

 とある、ここで賛歌は要するに語であり、賛唱はプラーナであり、高唱はオームであると書かれている。言葉とその気は配偶の関係であり、その結実がオーム(応諾)だという。

 続いて、、、

「この一音(オーム)は応諾である。全て、人が何事かを応諾する時には「オーム(応!)」と応じるものである。そして、応諾は成功に他ならない。」

 と書かれている。

 

 つまり神は言葉であるという聖書の言葉と同じことを言っているのだろう。

 その聖書の中でイエスは「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。」とも言っている。

 

 言葉(響き)と、それに込められた気持ち(意念)は百事を成就すると、このウパニシャッドには書かれているのだろう。というのは別なウパニシャッドには「プラーナは思想に従う」と書かれているからである。

 言葉はあなたの考えのエッセンスである。しかしそれが常に思想もしくは思念から出ているものとは限らない。。。

 あなたの言葉と思念とを一つのものにするなら、宇宙はオーム(応!)と応えるのだ。

 

 言葉に思いを込め、あなたの願望に対して、ただ、然り、然りと言う事。思いを形にする時の秘訣だろう。。。

 

 思念はあなたの内にある言葉に違いない。言葉は外に出た思念に違いない。。。

 

2007/07/25 23:06|心象房:願望実現TB:0CM:0
 

内と外の不思議。。。 

 心は何処にあるのかと問えば、現代科学は間違いなく脳と答えるだろう。秘教的に答えるなら、あなたが見て聞いて食べ、嗅ぎ、感じているもの、、、それこそがあなたの心だというかもしれない。。。

 

 私達は見えるもの触れるもの、聞く音、、、等を通して世界を見ている。でも、少し考えてみよう。見たの触れたの、嗅いだのと判断しているのは私達の脳そのものだ。。。だからここに一つの問いが生まれる。外界は本当に存在しているのか?という問いである。

 脳は五官を通して外界を認識している。つまり五官から送られてくる信号、それが脳の認識している世界だという事になる。けれどそれを裏返して考えるなら世界が存在している必要はない。そもそも、脳が五官があると信じているだけだとしたら、脳の外に世界は存在していないという事になる。。。

 

 こう考えてゆくと脳は私達の身体の一部だが、身体そのものを包み込んでいる。身体の内にありながら、脳を覆う身体そのものを包括している脳。。。私達の身体はこの様なパラドックスを抱えているが、秘教的教えの一つに、この世は霊的な世界の反映であるという考え方がある。。。

 身体(五官=世界)と脳の関係は、この秘教的な教えを証明しているかのようだ。。。つまり、内にありながら世界(外界)そのものである脳。これは全く私達の心の姿そのものではないかと思えて仕方がない。

 それを裏返したものが「私達の心の内(脳)にあるもの、それを外(現象)に見る」と古くから言われるものだ。

 これを更に言い換えれば、あなたが体験しているもの、、、それがあなたの心だという事になるだろう。だからあなたの心はこの宇宙に偏在しているという事になる。

 

 あなたの中で、ありとあらゆる事が起きている。。。それを変え得るのは、あなたが、あなたの内に外を見たときになるだろう。。。

 

2007/07/25 19:05|山術房:心行TB:0CM:4
 

08.水地比:何に親しむか。。。 

 水地比(すいちひ)。前卦の地水師の後を追って、地と水の上下が逆転しています。大地の表面に水が湛えられた水田の象。あるいは水辺の象のようです。

 人の喉の渇きを潤す水が地下に隠れていた時は戦いの卦でしたが、水が表面に現れて潤し癒そうとしているかのようです。

 この様な水辺には多くの動物が集まってくるように、情愛(水)に満ち満面に湛えた人の所には、多くの人が集まってくるものです。けれど、水辺に集まってくるのは大人しい草食動物ばかりではありません。それらの動物を糧と見做す肉食動物も、水を求めて集まってきます。

 

 水地比の卦は人の和を示す卦ではありますが、その一方で誰に親しむか、何に親しむか?をきちんと考えなさいと教えます。

 そのことについて原文では「原筮 元永貞无咎」と、筮に問いなさいと書かれています。ここでの筮とは天意の事で「本当のあなた」と言っても良いかもしれませんね。。。

 

 「比」という文字は、前の人に両手を乗せて躍るフォークダンスのような形のことです(笑)

 そこから比肩(肩を並べる)とか、比較(比べる)と用いられるようになりました。互いに肩を抱き合う形にも似ていますので「親しむ」という意味が込められています。けれど先にも記したように、どの様な人物に親しむか、何に親しむかがとても大切です。

 人は自分に甘い相手に迎合しやすいものですし、若い頃には危うきに親しむ傾向があります。易では「比之匪人(これ比する人に非ず)」と書かれています。常軌を逸したような人に親しむべきではないという意味になります。

 この事は相手が人ばかりではなく、昨今の氾濫している情報にも当てはまります。興味本位にしか見えないTV番組。人間の本能的な欲求ばかりを取りざたすメディア。。。限度を超えれば「比之匪人」となり、気が付いた時には手遅れになりかねないと灸を刺します。

 

 孔子は「君子は周して比せず」といいました。ここで言う「比」とは「朋比(特定の人とだけ親しむ事)」の事でしょう。周とは周囲に対して満遍なくという事ですので、君子は特定の、自分好みの人とばかり親しむ事はせず、誰とでも偏りなく親しむものだという意味でしょう。

 

 ところで前卦の地水師は地(肉体)の中に隠れた水(困難:トラウマ)とも読める卦でした。傷ついた心が隠されているとき、私達は人生を戦いと見るものです。闘って勝ち取っていかなければ、自分が敗者となる。。。その恐れ(水)が、心の中に隠されているためです。

 しかし、この「比」卦では、その傷が表面に出てきて、生き物を潤す癒し(水)となっています。このような時には「比」は、水田のように豊かな人生を築き始めます。

 あなたが、より良きものと親しみ、癒しの水辺となってゆきますように。。。

 

2007/07/22 13:39|卜術房:易に学ぶTB:0CM:8
 

07.地水師:指導者に大切なもの 

 地水師(ちすいし)は、前卦「天水訟」の争いを引き継いで、とうとう戦争になってしまった卦である。ここで言う「師(帥)」とは軍隊の師団の事で、訴訟では収まらず、実力行使の段階になってしまったという事になる。

 戦争というと今の私たちには、あまり関係のない話のようにも思われるが、師は師団(人の集まり)という意味なので、企業もそうだし、小さなところでは家庭だって師と考える事もできるだろうと思う。
 一つの家族なり、企業なりが、共通の目的を持って何かにあたろうとする時、それは戦争にも似ている。戦いの時は国家が一致団結して事に当たらなければならず、その団結を図るのが指導者・家長の役目という事になろう。

 

 孫子は「兵は詭道(きどう)なり」と言った。兵は戦争の事。詭道というのは騙し合いという意味。だから争い闘うのは相手との騙しあいだと言い切る。

 けれどもその同じ章で、自国と相手国の力量を計る七つのチェックポイントを提示し、(と言っても孫子は実際に戦う事を奨励している訳ではありません。兵(戦争)は已むに已まれぬ最後の手段だと釘を刺します。)

第一に君主の道徳性が出てきます。どちらの君主が道徳的かという訳です。
第二にどちらの将軍が優秀であるか。。。
第三に天の時、地の利はどちらが得ているか。
第四にどちらの法律がしっかりしているか。
第五に兵士はどちらが強いか。
第六に将校はどちらが優秀か。
第七に賞罰はどちらが厳正か。

 と七つの項目を比べれば、どちらが勝つか戦う前に解るという訳だ。戦ってみなければ解らないというのは愚の骨頂だというのである。

 その筆頭が君主(指導者)の道徳性というあたりは、兵法を初めて知ったという方には意外な感じがするかもしれませんね。。。

 

 易でも戦い勝つためには君主の人徳が大事だと教えています。その表れが大義名分であり、大義名分を掲げるには、それを発する人の欲心に依ってはならないと説きます。

 自分の損得を考えず、国民の事を第一に考えるがゆえに誰もが大義名分と認めます。「兵は詭道なり」とは言っても、その詭弁を内側に対して用いるべきではありません。

 

 同じような事を諸葛孔明も「心書」という書の中で、このように書いています。

目先の事を察知し、人に慕われるのは十人の将である。
部下より早く起き、遅く寝て、言葉を慎重に選ぶのは百人の将である。
裏表がなく思慮深く、勇ましいのは千人の将である。
堂々として情熱を秘め、人の苦労が解る人は万人の将である。
優秀な人材を推挙し、慎み深く、誠実で寛大で乱れを治める事ができる人は十万人の将である。
仁愛は行き渡り、信義は隣国を心服させ、万民を家族のように思う人は天下の将である。

 

 ところで師は戦争の卦ではありますが、ここまで稀代の軍師たちの考えを加味して読んで来ますと、この卦が人生という多難な戦いを生き抜いてゆく為の知恵のようにも思えてきます。
 実際「地水師」という卦は、地の下に水があって地下水を示す卦でもあります。大地というのはその中に水を含んでいるので作物を養う事ができるものです。

 大地は動きませんが、その中には滔々と流れる水脈があってこそ、大地としての役目を果たします。
 私たちもこれに似ているとよく思います。あなたの深い所にある水脈は豊かに流れていますか?
 見えない所で絶えず流れ行く水脈のように、あなたは自分の深いところを潤していますでしょうか?

 倦まず弛まず心の底にある地下水脈を共に流し続けたいものですね。

2007/07/21 13:34|卜術房:易に学ぶTB:0CM:4
 

全ての感情の根は愛にある 

 金星人さんから頂いたコメントで、大切なことを書き忘れていたことに気が付きました。。。^^;

 

 私達は生まれて成長してゆく過程で、感情的になる事が悪い事、いけないこと、恥ずかしい事だという思いを強めてゆきます。それ故にいつしか感情を外に出さない事が多くなり、更には自分が何を感じているかにも気が付き難くなってゆきます。。。

 心の中の思いや感情に目を背けていると、心自体が鈍感になって行くのですね。。。そして、それ故に自分の心をどう扱ってよいか解らずに、一体どれ程の人が傷ついていることでしょう。。。

 

 けれどもうそろそろ、感情が悪い事という決め付けから、人々は解放されるべき時期に来ていると思います。何故なら全ての感情はたった一つの感情「愛」から生まれてくるからです。。。

 怒りも、憎しみも、驚きも、不安も、恐れも、嫌悪感も、、、あなたの大切にしているもの、あるいはあなたが大切に思っている人が傷付けられたとき、あるいは傷付けられるかもしれないと思ったときに湧き起こります。

 あなたが大切に思う毎日が失われそうになった時、あなたは不安になり、その不安を運んでくる人を恐れ、嫌悪します。。。だから、それらの感情の根には「愛」があると解るでしょう。

 

 あなたが愛でいるときも、愛でいないときも、あなたは愛そのものなのです。

 

 あなたは自分が感情的になると、相手を傷付けてしまう事を恐れます。それは相手をいたわる愛ゆえのことではないですか?

 もしかしたら、あなたがそうするのは、相手から悪く思われたくないという自己愛かもしれません。。。でも、それもまた自分を大切にしたいと思う愛でしょう。。。

 

 人は誰でも自分を愛します。自分のことを大切にしたいと思っています。それは決して悪いことではありません。十分に自分が大切にされるなら、あなたは必ず周囲の人を愛し始めます。そして、その輪はどんどん大きくなってゆくでしょう。

 最後には全てのものを愛し、そして気が付きます。全ては一つで、全ては自分なのだと。。。そうやって、一番最初の自己愛にまた戻ってくる事になるでしょう。。。

 だから、自分を愛する事が悪い事だなどとは思わないで下さい。。。でも、そこで留まらないで下さい。十分に自分を愛したら、その輪を広げてください。。。

 

 あなたが感情的になる事を自分に許してください。あなたが自分を本当に愛し始めたなら、それが出来るはずです。誰かに感情をぶつけることを、悪い事だと思わないで下さい。でも、その方法を考えてみてください。そのためにあなたには知恵があります。

 誰も傷付けずに、自分の思いを伝える事は決して不可能な事ではないのですから。。。

 

 あなたが怒りを覚える時、あなたは何かを守ろうとしています。愛する何かが傷つくのを、あなたは我慢できないのです。だからあなたが怒りを押さえ込めば、あなたは何かを守りたいという愛も失うでしょう。

 あなたが悲しみを覚える時も、、、憎しみを覚える時も。。。

 

 この宇宙に怒りなどというものは存在しません。憎しみも、悲しみも、、、今はまだ、そう見えるとしても。。。

 愛というエッセンスで出来ている宇宙に、私たちが考えている怒りや憎しみや悲しみは存在しようがありません。。。

 全ては愛のバリエーションなのです。。。 

 

 だから怒りとか悲しみとか、憎しみという感情を、正しい位置に置いて下さい。排除したり、否定するのではなく、正しい位置に。。。あなたの気持ちを相手に伝えるツールとして。。。

 その様にして、あなたはきっと知恵のある人になってゆくでしょう。。。

 

2007/07/17 23:40|山術房:心行TB:0CM:4
 

情念を広げて雰囲気を感じる 

 中学高校と私は少しばかり武道に傾倒していた時期があります。その頃は瞑想なども日課にしていましたので、武道の練習にも瞑想的な要素を自分なりに組み込んで随分と練習しました。その中の一つでいつもやっていた練習の事を少し書いておきたいと思います。

 高校に入ると私はバス通学となりましたが、バスの中ではいつも前の方に乗るようにしていました。立っていても座っていても場所を確保すると私は必ず目を閉じます。目を閉じて周囲にいる人の気配を感じ取るためです。大体は自分の背後に何人ぐらいの人が乗っているかを気配で当てようという簡単な練習でした。慣れてくると、どのあたりに人が乗っているかだんだんと察知できるようになります。

 

 気配を感じ取るこの練習は思わぬ副産物を生んでも行きました。大体どの辺に何人ぐらいの人がいるか、、、それを当てようという単純な練習でしたが、三年間も朝晩この練習をやっていると、徐々に磨きがかかり、乗車している人の雰囲気そのものを感じ取れるようになっていました。

 雰囲気、、、フィーリングですね。多くの人が第一印象とか相手の言葉以上のものを感じられていると思いますが、それが相手を見なくても感じられるようになってきます。後ろから何番目にいる人が女性のようだとか、このような性格だとか、、、あるいは今、このようなことで悩んでいるようだとか。。。その様なことまで感じ取れるようになるものです。

 もちろん、この印象は言葉ではありません。雰囲気ですから言葉として表現する時に正確に表現できるかどうかと言う問題はあります。けれどそれも慣れてくるに従って、かなり正確に言葉を選ぶことができるようになります。といっても、バスに乗車し合わせた赤の他人ですから、自分が感じたものが正確かどうかは確かめようがありませんが。。。

 けれどその頃はちょうど姓名判断なども勉強していて、いつの頃からか名前を見ると会った事がない方でも、時折りその方の顔が見えてくることがありました。この方はこのような顔の人ですかという具合に確かめる機会もあり、感じ取った印象がかなり正確なものであると知りました。ちなみに現在はあまり姓名判断などをしておらず、この能力は退化しています^^;

 

 この練習をしていて一番注意したのは感じた印象と事実が符合するかどうかという点でした。単なる思い込みでは意味がありませんので、確認できる事は確認しつつ印象と事実の突合せをかなりやりました。そうすると印象の当て方も洗練されてゆくものです。

 私は霊視能力などの霊能力は今でもありませんけれど、印象を感じ取るというのは、それだけでも随分と不思議な事に違いないようです。けれど練習して身に付けた事ですので、誰もがその様な能力を身に付けることが出来るはずだと思っています。

 

 この印象を感じる練習のもう一つの副産物は特に感情的なことを感じ易い点にあります。それは恐らく私達の精神作用の中で感情が最もパワフルだからでしょう。しかし裏を返せば、その事は私たちにとって感情的な問題が如何に大きなウェートを占めるかということも表しています。

 その感情について考える時、私達の言葉は随分と限定された表現力しか持っていません。喜怒哀楽とか愛だとか憎しみ、安堵感、不安感、、、せいぜいその程度の表現しか出来ないわけです。この事は実は大きな問題を含んでいます。というのは言葉によって私達の思考は規制を受けていますが、感情を表現する言葉が寡少すぎて、自分の感情に気がつけないという現実を産み出しているとも思われるからです。

 もし、私たちがもっと自身の気持ちを表現する言葉を持っていれば、多くの人は自分の気持ちに更に敏感になり、相手に気持ちを伝えやすくもなるでしょう。

 

 しかし現時点で、これは不可能であり、必然的に自分の気持ちを何種類かの型にはめなければいけなくなります。この事自体が私たちにとっては大きなストレスになりえます。表現されない感情はその人の心の中に沈殿する以外に無く、いずれ澱み始めてしまうからです。。。

 

 そこで自分の心の中の感情にもう少し気が付いていられるようにと思い、雰囲気を感じる方法を掲載したいと考えておりました。最近は空気を読むとか言われていますが、それとなんら変わりません。ただ、それをもう少し詳細に、具体的にしてみようというものです。

 けれど、もともとがとても抽象的な問題ですので、具体的な方法といってもそうある訳ではありません。私がやったように気配を感じるとか、五感に頼らずに動きを感じるとか、相手から自分がどの様な印象を感じているかつぶさに観察するとか。。。たったそれだけの積み重ねでしかありません。

 時には本当に自分は何を感じているのか、、、それに注目する以外に無く、何かを感じたらそれを言葉(具体的)にしてみる。。。ということの繰り返しになります。

 

 雰囲気を感じる作業は時間と空間を超えて可能です。例えば宇宙の果ての雰囲気を感じ取るとか、、、果てしない過去、あるいは未来の雰囲気を感じるとか。。。その様な事も出来ます。私は時々というかいつも来年の自分に焦点を当てて、その時の自分の雰囲気を感じ取ります。それによって来年自分がどうなっているのかもおおよそ解ります。

 とは言っても、最初はやはり確認できるものに焦点を合わせて、印象を感じ取る感度そのものを上げてゆかないと、単なる思い込みになってしまいますので注意して下さい。それでも慣れてくるに従って、目の前の花や草木が何を言っているか、、、とか、風が語りかけている言葉が聞こえ始めるでしょう。大地が発している叫びや警告も。。。

 多分ガーデニングとかがお好きな人は、気が付かないうちにこうしたことをしているかもしれませんね。。。

 

 ところで「潜在意識による願望実現は可能か?」という過去記事でも触れていますが、この、雰囲気を感じ取る能力は現実を創造する事にも応用が可能です。

 困難な時、困った時というのは、それ特有の雰囲気(波動)を持っていて、一度はまり込むとその波動が更なる困難を次から次へと引き寄せることが間々あります。同調の原理ですね。このような雰囲気を感じた時は、感じた雰囲気を意識的に変えてしまいます。

 困難な雰囲気を、好ましい雰囲気に置き換えてしまうのですが、それによって現実も変化し始めます。

 ただ、注意して欲しいのは全てがバラ色になるとは思わないで下さい。人生上の困難とか障害は気付きや学びを促すもので必要不可欠なものです。それはより深い自己によって企画されている面がありますので、それそのものを無くす事はほぼ不可能です。

 それでも、自分の気持ちを感じ取ることが出来るようになるで、不必要にその出来事を長引かせることはないでしょう。気付きや、学びがもたらされれば、それは速やかに過ぎて行くことになります。

 

 さて最後に、雰囲気を感じ取る練習で特に大切なことがあります。それは日頃において、自分の感情を抑圧しないということです。それは怒りを感じたからぶつけなさいとか、、、そういうことではありません。もちろん抑圧しないのですから表現しなければなりませんが、その表現方法を考えましょう。単に感情的にぶつけるのではなく、自分の気持ちや感じていることを相手に解るように伝えるということです。

 その為に、皆さんには思考する能力があり、言葉を選ぶ知性があります。怒りや憎しみも相手を傷付けずに、きちんと伝えることは可能だということを学んでください。そうする事が、素晴らしい人間関係を築くと思われませんか?

 あなたは我慢する必要は何もありません。でも、ただ感情をぶつけるだけでは、相手も売り言葉に買い言葉となって良い結果には終わらないでしょう。結果的に何度も同じような経験を繰り返すことになるに違いありませんし、それは望むところではないでしょう。

 自分が何を感じているか?その雰囲気を感じる能力を高めてゆけば、その焦点を自分に合わせることで適切な言葉を選択することも可能になるでしょう。この練習はその様な効果も皆さんにもたらすはずです。

 

 関心をもたれたら、時間がかかるかもしれませんが、どうぞお試し下さい。

 

2007/07/16 11:11|山術房:心行TB:0CM:5
 

魂の喜ぶこと 

あなたにの心の深いところには、本当のあなた魂がいる。

とてもまん丸で、欠けたところがない。だから「玉らしい」なんだよね。

そんな魂にあなたがして上げられる唯一の事。。。

それは、あなたが魂に気が付いてあげる事。。。

 

あなたが自分の魂に気が付かない時、あなたは心に傷を負う。

何故なら、魂はあなたに気が付いてもらえずに寂しい思いをしているから。。。

 

あなたと魂の関係がうまく行っていないから、

あなたと誰かの関係もうまく行かない。。。

 

あなたが魂から何も引き出そうとしないから、

いつも何かで不足してしまう。。。

 

あなたが魂を見ないので、

あなたはいつも道に迷う。。。

 

そんな自分の思いに気が付いたら、

次には心の中から湧き出る、魂の思いに気が付きましょう。。。

それに、気が付いたら決して手放さないように、忘れないように。。。

 

遠い未来に、あなたがこうなっているであろう、理想的なあなた。

あらゆる面で、理想を達成したあなたの姿。。。それが魂。

あらゆる体験を経て、学びを経て、思いを経て、、、遠い、遠い未来にいるあなた、それが魂。

今のあなたは魂の記憶。。。

 

過去の自分を思い出すように、遠い未来の自分が現在という時を思い出している。

それがあなた。。。

 

だから魂は、あなたがどうなるかも知っている。

どうするかも知っている。そして、そうして欲しくないと思っているかもしれない。

それでも、そうしてしまうあなたを、文字通り、自分を愛しむように、あなたを愛しんでいる。

 

遥かなる未来のあなたは、あなたの犯した間違いをいつも許している。

だって、その時にはそうするしかなかったって、魂は気が付いているから。。。

未来のあなた魂は、こういう道もあったと気が付いている。

けれど、それであなたを責めることなどしない。。。

 

あなた自身に語りかけてみましょう。あなたの魂に。。。

それが、あなたの魂を喜ばせる唯一の方法。。。

魂が喜べば、あなたの人生は喜びになる。

魂を安心させれば、あなたの人生は平安になる。。。

あなたが魂と豊かにつながるとき、あなたの人生は満ち溢れる。。。

 

さあ、あなた自身に語りかけてみましょう。あなたの魂に。。。

 

2007/07/11 22:31|心象房:霊学TB:0CM:6
 

自分に気付いているということ。。。 

 現代はとてもスピリチュアルな時代です。その事に気が付いている人も、そうではない人も、このエネルギーの影響下にあることは間違いがないでしょう。
 スピリチュアルと一口に言っても裾野はとても広くて、スピリチュアルという一言で括ることがはばかられると思うこともしばしばです。。。

 心霊的な側面、気功や超能力的な側面、チャネリング、ヒーリング、心理学的なものから神秘思想や本格的な瞑想に至るまでスピリチュアルというたった一言で表現しようとしていますから致し方ないことだと思います。。。

 けれど、こうした世界に触れようとする人達に共通した思いは「癒し」という事になるでしょう。心の癒しや、現実的な病症からの癒し、あるいはもっと現実的に生活上の癒しと現代人が何かに癒されたいと思っていることは共通しているように思います。
 それは裏を返せば自分には癒しが必要だと思っていることになるでしょうし、多くの人たちがその様に思っている背景が、まさに現代の病巣だとも思えます。

 

 そのスピリチュアルの癒しの根幹には、病気であれ、現実的な困難や障害であれ、全ては自分の心から発したものという視点が横たわっています。
 現実は私たち自身の心の表れであり、心の中にある傷を現実の中に見ているのに過ぎないという考え方です。それ故に自己の心を癒すことが何よりも優先されます。

 願望実現系は心の力を使って現実を変えれば、心の負担が無くなるのではないかという立場から考えられていますし、心霊的なものは因縁やカルマなど、霊的な側面に心の癒しを求めます。ヒーリングや心理学的なものでは心の思いを直接的に取り扱おうとします。
 このようにスピリチュアルな視点は「心の癒し」に収束すると思って良いでしょう。

 

 ところが殆んどの人は癒すべき心について盲目の状態です。。。自分の心でありながら、自分の心のことを知りません。。。それで、打つ手も無く様々なワークに手を染めることになるのでしょう。
 けれど、ここに一つ考えなければならない事があります。それは全ての癒しは自分の内側からしか来ないということです。。。

 この手の思想で昔から共通して言われていることは「目覚めていなさい」です。それは、何に目覚めているべきなのか。。。この事を良く知っておく必要があるでしょう。
自分に気付いている」ことが大切だとたびたび取り上げているのも、実に「目覚めていなさい」という教えのことに他なりません。。。

 

 自分の何に気付いているか。。。それは思考と、感情と、行動です。今までは単に気付いていることとだけ書いてきましたが、あなたが何を考えているか、そして、何を感じているか、また、何を為しているかに気が付いている事。。。

 もし、自分の思考や感情や行動を、ありのままにトレースすることが出来るなら、自分の何が不幸を生み出しているかも理解できるようになるでしょう。
 けれど、もし間違った思考(思考の矛盾)や、望ましくない感情、あるいは考えたこととは全く別なことをしてしまう行動に気が付いても、それを正そうなどとは思わないで下さい。。。ただ気が付いていて下さい。

 そして、何も無い事から考え、感じ、行動を始める時は、常に愛と共にあって下さい。十分に気付いたら、ゆっくりと何事も愛から始めるように、少しずつ少しずつ意図的に始めてください。
 あまりにも焦ると、それまでの習慣という心の癖の反発に敗北することになるでしょう。

 

 愛が大事という教えは、スピリチュアルに携わる全ての人が言及します。。。けれど、そのせいで、ネガティブな思いを無視してまで愛でいようとする人が多いように思います。意志ができた人には可能ですが、殆んどの場合急激な変化は、それと同じくらいの揺り戻しを呼び込むことになります

 あなたが愛でいようとしなくても、あなたは愛そのものです。時代を送り行かせようとするエネルギーがあなたを後押ししてくれるでしょう。
 どの様なときも、あなたが愛でいられないときでも、自分が愛であると信じてください。どの様な困難の中にあってもプロセスを信じて心を開いてください。すぐには信じられないと思うときでも。。。

 あなたの祈りをあなた自身に向けて下さい。最も深い所にいる本当のあなたへ向けて下さい。その祈りは決して聞き漏らされることはありません。何故ならあなた自身に向けられたものだから。。。

 あなたが少しずつ、自分に気が付いているようになるにつれて、もう一つのものに気が付き始めるでしょう。それに気が付いたら決して見失うことがないようにして下さい。。。

2007/07/08 17:44|心象房:霊学TB:0CM:9
 

06.天水訟:訴え争う時 

 第六卦、天水訟(てんすいしょう)の卦は、訴訟の訟のことです。上卦の天は上へ上へ昇ろうとし、水は低きへ低きへと進みます。

 

 前卦の「水天需」は上卦が水で低きへ下ろうとし、下卦の天は上へ昇ろうとするので接点がありました。それ故に自己を養いつつ待つのなら吉という訳でしたが、「訟」の卦は互いに離れ行くだけで接点がありません。
 お互いに我が道を行くで、理解し合おうとしていませんので、お互いがお互いの立場、考えを主張しているだけですので訴え争う事になります。

 逆に言うと争いはお互いの間に理解し合おうという意識がないゆえに生じると考えても良いでしょう。
 しばしば私達は話し合いと称して自分の主義主張を表明しあいます。けれど、折り合いが付かずに訴訟にまでもつれ込むケースというのは、自分の主義主張ばかりで相手の主義主張を聞こうとはしない所に生まれるような気がします。
 訟の字が「公の言葉」と書くように、その主義主張の折り合いを第三者につけてもらおうというわけです。

 

 易経ではこの点を指摘して、争う前に何故その争いが生じたか原点に帰って考えるようにと勧めています。争い事の根本には相手を理解しようという思いが無い事が上げられます。仮に理解しようとしても考え方の相違から理解できないということもあるでしょう。
 また相手が言っている事を本当は解っているのに、感情的に納得できないということもあります。

 

 この事を易経では最も基本的なところで背反しているのだと指摘しているように思えます。どちらの主張が正しい云々という以前に問題があると言う訳です。。。

 

 全ての争いごとはこのように理解し合えない、あるいはしようともしない所にあります。女性の反感を買いそうなジョークに「嫌いな人に言われればセクハラ、好きな人に言われればラブコール」というものがありますが、争い訴えるという背景には、基本的にその様な情動があるということでしょう。。。

 

 そのような時、易経が勧める解決法は争いを長引かせない事。そして、自分にも相手にも偏らずに公正中立であるようにする事が大切だと教えています。
 君子はこの卦を見て物事の出発点から熟慮して、後日に憂いを残さないように努めると書かれています。

 

 自分の行動の原点、一番最初の動機、、、それを忘れずにいたいと思いますし、まずそこを中正に保ちたいものだと思います。

2007/07/08 16:47|卜術房:易に学ぶTB:0CM:0
 

大石神ピラミッド 


 先日、ふとしたことから大石神ピラミッドへと行って参りました。写真はその頂上の途中にある一辺12mの鏡石です。写真では解り辛いですけど、石の前に立つと慎重180cmの私が小さく見えます(笑)


 この岩の下敷きになっている部分に文字が書かれているらしいのですが、めくり上げて見てみるには、すこし大きすぎました(爆)


 この山は石山という訳ではないので、多分どこかから搬送したのでしょうが、写真のような石があちらこちらに転がっています。この鏡石の上に東西南北を示す方位石とがあります。


 日本のピラミッドを研究した酒井勝軍によれば、このピラミッドは数万年前のものとされています。東西南北を示すものと、頂上には太陽石と呼ばれる冠石がピラミッドの条件だそうで、日本には七つ同時代のピラミッドがあるといわれています。


KC350013.JPG


 ↓これが頂上にある太陽石なのかな?


KC350016.JPG


 この下にも転がり落ちたと見られる大きな石が幾つかありましたので、もしかしたらそちらが冠石なのかもしれませんが。。。


 


 頂上に上ると何処かしらからやって来た鷹が私たちの頭上を何度も何度も周回していました。まるで、頂上を守っている番人のようでしたが、このあたりで鷹を見るのも珍しいな〜と思いつつ、気分はコンドルは飛んで行くを思い出していました(笑)


 ここから車で2時間弱の所、秋田の鹿角市に黒又山(クロマンタ)というピラミッドがあります。こちらは先年謀有名大学のチームが地震計などを使って調査していて、山を削り出して作った人工物である事が確認されています。


 できることなら、こちらも調査してもらえると私的にはとても嬉しいのですが。。。(笑)


 


 この大石神ピラミッドから4kmほどの所に、キリストの墓といわれるところがあります。それが本当なのかどうかは確信はありませんけれど、実は若い頃に、この地方にとても巨大なお社がそびえている夢を見たことがあります。


 出雲の大社も、昔は100m級の木造のお社だったそうですが、それと同じくらい高そうな、巨大なお社でした。まだこの地に一度も来た事の無い時に見た夢でしたので、夢の地形とそっくりだったのでとても驚いた記憶があります。


 その様な都市?がここにあったのかどうかは分かりませんが、古代のロマンとしては楽しいですよね。。。


 


 最近、アトランティスやムー、レムリアなど、史実としては認められていないにも関わらず、色んなところで古代文明に関する名前を良く見かけます。


 否定されても、否定されても、人々の関心を引いて止まない、それらの古代文明。。。私はその事に、深い関心を魅かれます。地質学などの科学的には否定されているにも関わらず、何故、これほど多くの人の関心を惹き付けて止まないのでしょう。。。


 そのことの方がはるかに重要な意味があるのではないかとすら思えます。


 


 私たちの心の深いところにある理想的な社会への憧憬。。。その様なものを見ているのかもしれませんね。。。


 それが最近急激に広まり始めている。。。そんな印象を感じています。きっと私達は今こそ、それを心から求めようとしているのかもしれません。心の法則から言えば、心の底から求めるものは必ず実現します。もしかしたらアトランティスとかムーとかレムリアというのは、過去の古代文明なのではなく、未来の私たちの国なのかも。。。と思えてきます。


 


人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」とは武田信玄の有名な言葉ですが、国があって国民が出来るのではなく、人が集まって国が出来上がる。。。のですから、私たち一人一人の心の中に理想郷が作られれば、その様な人たちが集まったところにはきっと、現代のレムリアが出現するに違いありません。


 ささ、あなたも私も、たった今からでも、国造りに参加いたしましょうか。。。(^^)


 


2007/07/02 18:29|古代妄想TB:0CM:10
 
Copyright(C) 2006 趣味占放談 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. 無料ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ 転職 template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.