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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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良いお年を。。。 

 つい先日2007年を迎えたばかりだと思っていましたのに、今年も後数日を残すところとなりました。あっという間に過ぎた一年、皆様には如何でしたでしょう。


 昨年の今頃、どんな記事を書いていたのだろうと振り返ってみましたら25日には「自灯明、法灯明」、29日には「太陽を食む」という記事でありました。

 以前も少し書いたことがありますが、私が学生の頃、最も影響を受けた方がいつも言っていた言葉があります。それは「自分の心がガラス張りだと思って生きなさい。。。」というものです。
 私達は、自分の心の内側は誰にも見られていない、誰にも解らない。と、そう思って生きています。体裁だけを整えておけば、心の内側は放置していても構わない。。。知らず知らずの内に、その様になっていないでしょうか。。。?


 もし、私達の心が、誰からも見られ、誰にでも知られたとしたらどうなるでしょう。いくら言葉を飾っても、あなたが心の中で呟いている言葉が、周りの人に聞こえたとしたら。。。
 そう想像した時に「あなたは胸を張って自分の心を他の人に見せることが出来ますか?」と、その人は教えていました。私は霊的に生きる事の真髄は、まさにそれだと思っています。
 だから「誰に見られても恥ずかしくない心を養いなさい」という、その方の教えが私の中に今も残っています。


 自分がその様な心になろうと邁進していると、不思議と人の心が見えることもありました。その人の内なる心の声が、実際に話をしているように聞こえてきた事もありました。
 まるで信じられないような話だとは思いますが、でも、想像してみてください。。。相手が笑顔で話す言葉と、二重音声のように本音の言葉が聞こえてきたとしたら。。。

 「○○君、よく来たね、ゆっくりしていってよ」という言葉と同時に
 「今、買い物に行く所だったのに、、、何しに来たのよ!いつまでいるつもり?」とも、聞こえてきます。

 もし、このような事が幾年も続いたら、人間不信に陥る十分な理由になると思いませんか?
 ありがたいことに、その体験はしばらくすると幕を閉じました。が、人は本当に信じられるのか?信じるに足る存在なのか?、、、という問いは、その後の私を長らく縛り付ける事になりました。


 結局私は、相手ではなく、自分の思いを裏切らない事。。。これで決着をつけるしかありませんでした。
 相手がどう思おうと、あるいは、どんな反応をしようと、自分が良かれと思ってやったことであれば、そんな事には拘らないという結論です。勿論、そんなに簡単なことではありませんでしたが。。。


 私達はいつか、自分の心を、みんなから見られる時が来ます。肉体のある内は、肉体というベールで包んで心を隠す事は出来るでしょう。けれど、心そのものである霊となった時に、隠してくれるものは何もありません。
 霊となった時に、心清く在れば良いのさ!とタカを括る事はできません。あなたが、自分の考え方をいつでも変える事が出来るというなら別ですが。。。私も、それほど器用ではありません。。。ですから、いつも「誰に見られても恥ずかしくない心でいること」を心掛けてきました。

 来年こそ、一点の曇りもない、そのような自分になりたいと、そう思います。。。毎年ですが^^;


 さて、皆様には一年間、大変お世話になりました。一度ブログの閉鎖を決めてからも、ここまで来る事ができましたのも、本当に皆様のお陰だったと思います。
 年末年始の予定がありまして、今年はこの記事で最期とさせて頂きます。おそらくコメントを頂いても、お返事を書けるのは新年を迎えてからになると思いますが、どうか、ご了承下さい。

 それでは、皆々様、良いお年をお迎え下さい。。。感謝をこめてお祈り申し上げます。
2007/12/28 20:48|雑記TB:0CM:6
 

生まれるためには死ななければならない。。。 

 クリスマスも終わり、後は新年を迎えるだけとなった。新年間近だというのに随分と不吉な表題で申し訳ないが、これは秘教的な教えの中で言われている事である。

「新しく生まれるためには、古い自分は一度死ななければならない」というのが、実際の教えである。

 前記事のミトラ神の復活、太陽の再生というテーマもこの教えを踏襲しているが、実際問題としてどちらが先行して発生したのかは解らない。
 けれど様々な神話などを読むと、神々の冥界下りというテーマは、殆んどの神話に共通したテーマである。またシュメール神話などにも見る事が出来ることを考えると、随分と早い時期にこのテーマが確立していたと考えて良いだろう。
 古代の人たちは四季の移り変わり、太陽の一日一日の新生という中に、このテーマを見ていたに違いない。それゆえに、死と再生というテーマはしばしば農耕の神、あるいは大地の神に関連して見られる話でもある。

 これをよく象徴しているのが蛇で、抜け殻を残して成長する蛇は死と再生の象徴として打って付けであった。
 同じようにさなぎの抜け殻を残して天に飛翔する蝶も死と再生に相応しく思える。しかし蝶は天に羽ばたき飛翔するため、肉体を大地に残し天に帰る魂の象徴と見做された。この点、蛇は抜け殻を残しつつも、依然として大地に留まっているため、生きながらにして再生する象徴となったわけである。

 死と再生を扱う蛇は、ある意味不死の存在であるが、創世記の時代にイブを誘惑し原罪を背負わせた古き蛇。その蛇は「善悪を知る樹」にいて彼女を誘惑している。その善悪を知る樹と一対で存在していたのが「生命の樹」である。
 イブは全ての人類の母として創世記に登場する。つまりは大地母神としてイブが登場するという点は注目に値する。ここで登場するアダムやイブ、それに蛇や生命の樹はとても重要な秘教的象徴体系に彩られている訳である。

 神は蛇の誘惑を受けたイブたちが生命の樹に近づけぬようにと、ケルビムに命じてこれを守らせている。そのケルビムは智天使だ。さて、ここに一つ問いが発生する。善悪を知るとは知性のはずである。一方で智天使も「知」の象徴であるということだ。この二つの「知」は何であろう?
 更に言えば、蛇も「知」の象徴とする事があるが、とすれば、創世記の失楽園に至る神話には三つの知が表現されている事になる。

 三つの知といえば神秘学で有名なのはトート・ヘルメス・メギストスの事だ。また、智天使の智はソフィアの事であり、グノーシスではアイオーンの事でもある。アイオーンとは真実の神、あるいは時間(期間)という意味で、人の生涯といった意味合いが強い。

 ところで、この三つの智の謎を解き明かす時、私達は生命の樹に至るのだろうと思う。その時は、蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように、私達は古い自分を脱ぎ捨てなければならない。

 もう少し簡略に言うなら、蛇の象徴する誘惑の知、善悪を知る知、そして永遠の命に至る知の三つである。蛇は二度イブを誘惑し、騙しているが、最初の誘惑ではイブの欲望を肯定し、欲望を満たすように仕向けている。
 つまり蛇の知とは自己正当化のための知恵であり、その知のために、蛇は地を這うもの(天には帰れないもの)となった。蛇は善悪を知る樹を覆っていた事を思い出せば、自己正当化のために知恵を使う限り、私達は善悪を知ることは出来ないのである。

 残念な事に、この自己正当化は私達の中に深く根を張っていて、それに気付く事は容易ではない。もし、気付いたとしても、魂の歴史のどこかで私達は自己正当化の自分を一度は滅さなければならない。
 自己正当化という本能にも似た思考習慣から脱した時、私達は初めて善悪を知ることが出来る。そして、二度目の死を迎えることになる。このとき、私達は善悪がある限定された「期間」の中にしか存在し無い事を理解する。

 しかし、かような形而上的な死とはいえ、それを果たすのは容易ではない。時には、実際の死に直面したのと同様の苦痛を私達にもたらすのだろう。けれども、それ無しでは何も知ることは出来ないのかもしれない。。。
 しかし一体、どれ程の人が、その死に立ち向かおうとするだろうか。。。

 話が取り留めのないものになりつつあるが、前記事に関連して思いつくままに書き連ねてしまいました。。。意味不明な記事で申し訳ありません。。。^^;
2007/12/26 20:37|心象房:霊学TB:0CM:4
 

2007年冬至からクリスマスへ 

2007年12月22日15:08冬至 黄経270度

干支暦 二黒丁亥年 一白壬子月 九紫庚寅日 六白甲申刻

 ハロウィンはとっくに過ぎましたが、今日はかぼちゃの日です。
 ビタミンAを採って疲労回復、師走の疲れを癒してください(笑)

 ところで今月は天体でのイベントが連続している。19日には火星が最接近し、翌20日には土星が逆行を開始する。そして、今日冬至の日には月が地球に最接近。明けて24日のクリスマスイブには蟹座で満月と、なかなか賑やかだ。

 今時期、太陽、水星、木星、冥王星の四つの天体が射手座から山羊座の0度近辺に集まり、対岸の蟹座には火星が180度という緊張の角度を形成している。逆行を開始した土星と天王星も180度の位置。。。
 冬至のホロスコープは春分までの四半期の社会事象を表すとされるが、プチ惑星直列状態の現在、春までの間に何事も無ければよいが、、、と思う。

 来年、冥王星は長らく在宮していた射手座を抜け山羊座に移動する。射手座生まれの方、あるいは月の星座やアセンダントを射手座に持たれていた方は、ようやく冥王星の圧力から開放される時期に来きた。と言っても来年の11月までは、冥王星は山羊座と射手座を行ったり来するから、もうちょっとの辛抱。。。

 この時期、冥王星と木星が重なって、最後の最後に問題が拡大される傾向があるが、短気を起こさずに忍耐も大事。本質をしっかりと見つめて、来年以降の発展のために頑張りましょう。


 冬至が過ぎるともうすぐクリスマス。クリスマスがキリスト・イエスの誕生日とされるのはご存知のとおりだ。しかし、実際にイエスが御生まれになったのは、もっと暖かい時期というのが近年の定説。
 それでは何故、クリスマスがイエスの誕生日とされたのかというと、冬至を境に日が日に日に長くなり、太陽の復活の日を祝しての事とされる。イエスの象徴の一つは太陽というわけだ。

 クリスマスの起源には諸説あるが、その中の一つがサトゥルナリア祭によるもので、このお祭は古代ローマに行われていたサターン(ギリシャ神話のクロノス)を祭った事に由来する。
 サトゥルナリア祭は12月17日に始まり一週間続く。その間は全ての御用はお休みとなり、奴隷も自由が与えられ、賑やかに祝われる。12月25日はその祭の最後の日にあたる。真ん中は12月21日でもちろん冬至の日。
 サトゥルナリアの祭はもともとミトラ教から来ていると思われるが、主神ミトラ(太陽神)は冬至の日に滅して三日後に復活するとされるので12月25日ということになる。
 古代のユダヤでは新生児の男の子は七日後に割礼を受けてユダヤ教徒となる。イエスが12月25日に生まれたとすれば、1月1日が新年の始まりとなるわけだ。
 この辺は、常連のかしりょうさんのブログでも詳しく書かれているので、御覧頂きたい。「サンタクロースとなまはげ〜聖ニコラウス以前からの年神

 さて、その農業神であるサトゥルヌスはサターン、キリスト教で言う悪魔の名では勿論ないのだが、響きが共通するからか、クロノスはしばしば死神のような格好で描かれるし、実際にサタンと混同される事も多いようだ。それが、キリスト・イエスの聖誕祭と同じというのは、はなはだ都合が悪かったのではないかと思われる。

 ミトラの復活祭は洞窟の中で行われ雄牛を犠牲に捧げられる事になる。この洞窟の祭壇にはヤギと蟹が祭られているということだが、勿論ヤギは山羊座の事、蟹は蟹座の事である。山羊座は冬至から始まり、蟹座は夏至から始まるというわけだ。

 さてそこで、サトゥルナリア祭はサトゥルヌス(サターン)の祭である。そして、そのギリシャ名はクロノス。私はサンタクロースはここから来ているのではないかと思うのだ。つまりサターン・クロノスの転訛ではないかと。。。
(この辺はかしりょうさんの記事を参照されると納得して頂けそうであるが。。。)
 しかし、気になるのはそのサトゥルヌス神が光明神ミトラと同じ祭りであるという点である。おそらく古代ローマ人もこの事は意識していたはずだから、サターン(クロノス)=ミトラとなってしまう。。。

 農耕神・大地神のクロノスと光明神のミトラ、ここにはどんな共通点があるのだろうか?勿論、農耕と太陽は不可分の関係ではあるのだが。。。
 そこで思い出すのが、もう一人のクロノスである。実は前述の死神のような姿で描かれるクロノスとは、もう一人のクロノスの事で「時の流れ」の神の事なのだ。農耕神クロノス(サトゥルヌス)と時の神クロノスはしばしば混同され、時には両方の意味合いで呼ばれることがある。
 
 その事を考えていてふと、もう一人のクロノスがとても重要な意味を占めているのではないかと思えてきた。というのもミトラ神は死後の審判を司る神でもあるからだ。これが「時」と結びつくと「最後の審判」という最も重要なイベントとなる。というのも聖書で「時」とは、しばしば最後の審判が行われる時を示すからだ。

 ミトラ神の復活は山羊座の始まる冬至に行われ、最後に聖餐としての雄牛が捧げられる。占星術では山羊座、牡牛座というラインは地の宮にあたる。その地の宮に属する星座はもう一つあって、それが乙女座で女神アストレイアの事である。
 アストレイアはローマ神話の正義の女神ユスティティアと同一視される神だ。彼女はサトゥルヌスの黄金の時代が去り、人々の退廃が顕著になってきた時代に最後まで地上に留まって、人々に正義を訴え続けた。
 ミトラの儀式においては恐らく巫女がアストレイアの代理者として儀式に参加したのではなかろうか。。。

 そんなことを妄想しつつ考え耽っていると、どうもクリスマスとは聖誕祭ではなく、キリスト(ミトラ)の再臨を待ち望む祭ではなかったかと思えてきたのである。。。
 奇しくも昨今、色々と取りざたされるマヤ暦の終焉も2012年12月21日〜22日と冬至と重なるのも象徴的な事の様に思えてきた。

 まあ、私の妄想はさて置いても、もし、かような意味合いがあったとすれば、最も陽の短くなる陰極の日に一年の総決算をして冬至からクリスマスに至る日々に、自己再生の意味で精神的な指標を立て直すのも、こうした秘教的な理に叶っているのかもしれない。
 何しろ太陽は占星術において、その人の精神を表す天体であるのだから、自己の精神の再出発の日としては相応しかろう。
2007/12/23 04:19|暦の話TB:0CM:9
 

勇気が境目。。。 

パワーか、フォースか ―――人間のレベルを測る科学」という本が話題らしい。ネットをうろついていて、何故かこの本について記事に良く出くわす。
 実際に読んだ訳ではないので詳しい内容は良くわからないのだが、説明や様々な人のコメントを読んでいると随分とお勧めの本らしい。。。

 私達は気が付いていないが、人間は細胞レベルで物事の真贋を見抜いているという仮説?がある。それを元に医療関係で使われ始めたのがOリングテストで、心臓病の研究を行っていたファウンデーション研究所の所長、大村恵昭教授によって始められたものである。
 原理的にはダウジングと同じものだと思うのだが、こちらはれっきとした科学者の研究開発によるもので病因の発見や治療などに用いられている。身体運動学という分野に属する学問である。

 そのOリングテストを用いて人間の意識レベルを調べていった結果、私達が使っているエネルギーにはフォースとパワーの二種類に分けることが出来るらしい。
 どうやらフォースはエゴが用いているエネルギーのようで、パワーは天与のエネルギーという感じだろうか。。。その分岐点が200ポイントとなっているとのことだ。

 この調査では仏陀とかイエス、クリシュナの意識レベルを1000ポイントとしている。つまり0〜1000までの間で様々な精神活動を数値化していったというわけだ。
 例えば平和は600ポイント、人の喜びは540ポイント、愛は500ポイント、理性は400ポイント、中立250という具合になるらしい。
 下はプライド175、怒り150、欲望125、恐怖100、無感動50、罪悪感30、、、という具合である。
 その0〜200までがフォース、200以上がパワーの分野となるというわけだが、その分岐点となる200は勇気の数値と等しい。

 このような数値化した意識レベルだが、その中で私たち人類の総体的な数値はは何世紀にも渡って190に留まっていた。それが1980年代に突然207まで飛躍したらしい。つまりフォースからパワーのレベルまで上昇したらしいのだが、それでも現状では人類の85%が未だに200以下に留まっているとのこと。。。

 この数値の真偽は詳細を読んでいないのでなんとも言えないが(読んでから書け!ってな事なんだけれど^^;)、何となく、納得できるような気もする。。。


 先般、すずらんさんから信念についてのコメントを頂いたが「勇気」が分岐点というのは、その事とも密接な関係にあるように思う。
 誰しも経験があることだろうが、信念を貫くには第一に勇気が必要だからだ。信念はその人そのものを言い表しているが、それは同時に同じ信念を持つ人は二人といないということでもある。二人といないということは、信念を貫こうとした時、回りには理解され難いということだ。だからこそ勇気が必要になる。

 また理解され難い、その信念を貫こうとする時、周囲から呈された疑問や反論にぐらついてしまう事も度々あるだろう。それに何度も書いてきたが、それでも本気で信念を貫こうとするなら、人は意識的にならざるおえない。
 この事は意識的であることが同著でいうフォースとパワーを分けるという事と同じことになるのではあるまいか。。。

 実際、自分が信じる道を進もうとした時、周囲がそれに対する足止めの態度は恐怖感・不安感を煽ったり、信念を貫くことで周囲が如何に迷惑したり苦労させられるかを切実に訴え罪悪感を呼び覚ます事である。でなければシンプルに力で押さえつけようとする(怒り)。
 私達はそれに抗う勇気を持たなければいけないということなのだろう。。。

 私達が私たちらしく在るために勇気が必要とは、些かおかしな気がするが、確かにそれが現実でもあるだろう。
 と言っても、勇気の上には「中立250」、「理性400」、、、と続くのであるから、思い込みや、蛮勇の類の勇気では話にならない。

 もし、これが本当に意識の進化の階梯を示しているとするなら、まず信じる道を進もうとする「勇気」を奮い起こす事、そして、その勇気を「中立」的に判断する心構えが出来、また「理性」的に判断できる事。もちろん自分勝手な勇気ではなく「愛」に基いたものである事。それは自分のみならず「喜び」・「平和(安心感)」をもたらすものであること。。。と上ってゆくにつれて、一層確かな信念足りえるという事になるのかもしれない。
 もっとも、この事は精神世界では古くから言われてきた事だが、数値化して見る事が出来るという点は確かに面白いと思う。

 ということで、折を見て私も読んでみよう。もし、読まれた方があれば是非感想をお聞かせ願いたい。。。
2007/12/19 20:02|心象房:霊学TB:0CM:11
 

世界人権デー 

 第二次世界大戦の終戦後、1948年12月10日に第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択され、1950年、第5回国連総会にて12月10日は「世界人権デー」と定められた。来年はその年からちょうど60年。人間で言えば還暦を迎えるわけである。

 中から第一条の宣言を掲げてみよう(全文は追記の項に掲載)

 第1条
『すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。 』

 なんとも素晴らしい一文である。
 日本では同胞と書いて「はらから」と読む。同じ母から生まれた兄弟姉妹という意味だ。この場合、同じ母とは母なる大地この地球に他ならないだろう。
 
 第二条では『すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる自由による差別をも受けることなく・・・』と続く。。。

 まさに、大地に生きる人はみな同胞(はらから)なのである。

 この宣言が出された日は七赤戊子年、七赤甲子月だった。七赤は悦び楽しむ意であり、戊は陽の土で本来は山を示す十干だが、大きな土という意味で大地と捉えてもよいだろう。
 子は繁るという意味であり、大地の上で悦び楽しみ繁り行くという事になる。。。まさに、人権宣言が出されるに相応しい年だったと思える。

 しかし七赤年の子年は、肝心の大地を示す九星、二黒土星が歳破となり、相対する三碧木星に太歳神が巡っている。三碧木星は長男・発展を示す星である。
 その喜び繁栄する様は、大地を破りつつ推し進められてきた。繁栄発展を標榜して進められてきた現代社会の構図は母なる大地の犠牲の上に成り立ってきたものでもあろう。

 来年は同じ戊子年であるが九星は一白。。。一白は困難の星であり、歳破には五黄土星が付く。母を犠牲にしてきたツケは、ついに困難の元となってくるのだろう。。。
 それは、第一条に記されているように、理性と良心を授けられている事と、同胞の精神をどこかに置き忘れてきたからではあるまいか。。。

 私達は生まれながらにして自由である。。。けれども、その権利は誰においても平等、、、その事をいま少し鑑みる必要があるように思う。

 『あなたがして欲しいように、相手にもそうしなさい』

 これこそが平等の精神の根本だと思う。

愛されたくば、愛しなさい。
認められたくば、人をも認めなさい。。。
許されたくば、人をも許しなさい。。。
優しくされたくば、人にも優しさを。。。
知りたければ、人にも教えなさい。。。

 言葉にすれば、たったこれだけの本当に簡単なことだ。。。
『言うは易し、行うは難し』とは言うけれど、、、本気で、この簡単なことを行っていたなら、世界はすぐにでも変わって行くだろう。。。


2007/12/10 19:23|雑記TB:0CM:2
 

2008年、年末年始の方位表 

 今年の年末年始の方位吉凶表です。旅行の際の参考までにどうぞ。

 奇門遁甲と気学を参考に作成しましたが、日盤主体で掲載いたします。もし既に予定が決まっていて、どうしても凶方位に行かねばならず気になるという方はご一報下さい。
 また、遠距離移動の際して効果が出ますので、日常の生活範囲内での移動にはあまり神経質になる必要はないかと思います。

大吉中吉大凶

日付

北東

南東

南西

西

北西

12月24日
二黒壬辰
丙-乙-生
戊-丁-傷
五黄殺
癸-己-杜
壬-甲-景
乙-丙-死丁-戊-驚
暗剣殺
己-癸-開甲-壬-休
日破
1〜3時、9〜11時、15〜17時、19〜21時の出発は控えましょう。
12月25日
三碧癸巳
丁-丙-休
乙-癸-生
壬-戊-傷
暗剣殺
辛-己-杜
丙-丁-景
癸-丁-死
戊-壬-驚
五黄殺
己-辛-開
日破
5〜7時、11〜13時、13〜15時と21〜23時の出発は控えましょう。
12月26日
四禄甲午
丁-丁-休
日破
壬-壬-生
乙-乙-傷
戊-戊-杜
暗剣殺
癸-癸-景
丙-丙-死
甲-甲-驚
庚-庚-開
五黄殺
23〜1時、3〜5時、9〜11時、11〜13時、21〜23時の出発は控えましょう。
12月27日
五黄乙未
庚-癸-死
己-甲-驚
日破
癸-丙-開
甲-乙-休
丙-壬-生
乙-丁-傷
壬-庚-杜
丁-己-景
1〜3時、7〜9時、9〜11時、19〜21時の出発は控えましょう。
12月28日
六白丙申
庚-壬-開
丁-庚-休
日破
丙-丁-生
甲-丙-傷
五黄殺
癸-甲-杜
己-癸-景
戊-己-死
壬-戊-驚
暗剣殺
23〜1時、3〜5時、7〜9時、17〜19時、21〜23時の出発は控えましょう。
12月29日
七赤丁酉
壬-甲-死
戊-己-驚
乙-癸-開
五黄日破
甲-丁-休
己-庚-生
癸-壬-傷
丁-戊-杜
暗剣殺
庚-乙-景
5〜7時、7〜9時、15〜17時の出発は控えましょう。
12月30日
八白戊戌
己-庚-驚
甲-戊-開
暗剣殺
乙-壬-休
丙-癸-生
日破
庚-己-傷
戊-甲-杜
五黄殺
壬-乙-景
癸-丙-死
3〜5時、5〜7時、7〜9時、13〜15時の出発は控えましょう。
12月31日
九紫己亥
甲-己-生
五黄殺
壬-乙-傷
戊-甲-杜
庚-壬-景
日破
丙-戊-死
暗剣殺
丁-庚-驚
己-丙-開
乙-丁-休
1〜3時、9〜11時、11〜13時、19〜21時の出発は控えましょう。
1月1日
一白庚子
丙-戊-杜
暗剣殺
庚-丙-景
庚-甲-死
乙-甲-驚
己-乙-開
五黄日破
丁-己-休
癸-丁-生
戊-癸-傷
7〜9時、9〜11時、11〜13時、21〜23時の出発は特に注意して下さい。
1月2日
二黒辛丑
乙-乙-杜丁-丁-景
五黄殺
己-己-死庚-庚-驚丙-丙-開
戊-戊-休
暗剣日破
癸-癸-生
壬-壬-傷
7〜9時、13〜15時、17〜19時の出発は控えてください。
1月3日
三碧壬寅
癸-丙-傷
戊-癸-杜
癸-戊-景
暗剣殺
丁-己-死
乙-丁-驚
壬-乙-開
日破
甲-壬-休
五黄殺
丙-甲-生
3〜5時、5〜7時、15〜17時、21〜23時の出発は控えましょう。
1月4日
四禄癸卯
乙-丁-休
戊-壬-生
癸-乙-傷
丙-戊-杜
暗剣殺
甲-癸-景
庚-丙-死
丁-甲-驚
日破
壬-庚-開
五黄殺
3〜5時、9〜11時、13〜15時、17〜19時、21〜23時の出発は控えましょう。
1月5日
五黄甲辰
癸-癸-休
辛-辛-生
丙-丙-傷
乙-乙-杜
甲-甲-景
丁-丁-死
庚-庚-驚
己-己-開
日破
3〜5時、11〜13時、19〜21時、21〜23時の出発は控えましょう。
1月6日
六白乙巳
丙-甲-杜
辛-庚-景
癸-丁-死
己-丙-驚
五黄殺
戊-辛-開
甲-癸-休
庚-己-生
丁-戊-傷
暗剣日破
23〜1時、9〜11時、17〜19時、21〜23時の出発は控えましょう。

注意 ) 資料房『時差表(国内版)』を参考に、正確な時間を算出してご使用下さい。


2007/12/04 16:47|開運についてTB:0CM:2
 

自分を見出す事と、自己を創造する事と 

 今年も早や師走を迎えることになった。こうして年末を迎えると、自分は今年何を為しえたのだろうかと毎年考え込むのが常だ。

 これを為したと、胸を張って言えるほどの事がないと言うのはお寒い限りだ。しかし、時の流れに身を任せつつ、時の求めに応じるのみと決めたある年からは、これで良いのかもしれないとも思う。

 老荘思想の無為自然という言葉が好きで、そうしようと決めたのであるが、そう決めてからもう4年になる。それまでの自分は、意志して事を為すべきか、流れを受容してゆくことにするべきかと悩みもした。

 何かを為したいという欲求に抗うのは、それはそれでなかなか大変なことでもあるが、もうしばらくは決めた道を進むことになるのだろう。

 

 ところで、このブログではいつも本当の自分という言葉を使ってきた。本当の自分を見つけること、それが一番大切だと、そのような事を書いてきたつもりだった。一方で、どう在りたいか?それが大切だとも書いてきた。

 ある方からメールを頂いて、この二つが同じものだと書いたことがなかったことを思い出したので、少しく書いておきたい。

 

 本当の自分は既に完成されている自分である。それは全ての人の中に存在するし、もし、私達がそれに関心を向けるなら、少しずつでも何かを感じ始めるだろう。

 一方で、在りたい自分というのは、今現在の自分が考える理想的な姿である。理想は常に理想であるといわれるが、それは机上の空論という意味とは全く違うと私は思っている。というのは、理想に向けて私達が一歩進むと、理想もそれに応じて一歩進むことになる。

 だから理想は常に理想のままであるが、その理想に向かって邁進するなら、過去に持っていた理想より今現在の理想の方がずっと高邁なものになっているに違いない。それは取りも直さず、その理想に向かって自分が成長してきたということに他ならないと思うからだ。

 理想に向かう途道で獲得された特質は、私達の魂の中に輝けるエッセンスとして蓄積されてゆく事になる。もし、私達が生まれ変わったとしても、そのエッセンスは決して失われることはないだろう。

 

 理想に向けて邁進するという事は自己の創造に他ならない。 つまりどう在りたいか?を洗練させてゆく作業と同じである。その洗練させた先に在るものが「本当の自分」なのだと思う。

 究極の理想的な自分と、本当の自分が同じものという言い分には矛盾が指摘されそうな気もするが、スピリチュアルな世界でよく言われるハイアーセルフはまさにそれだとしか言いようがない。

 

 私達がより理想的な何かを心から求めて、その感度を上げてゆくなら、私達はそのハイアーセルフと対面することが出来る。

 不思議なことに、その理想を実現した未来の自分は、遥かな時を超えて私たちにメッセージを送って来てもいるのだ。多分この事は気が付いていないとしても、多くの人が体験しているはずである。

 その一例を上げてみると、何かの問題が湧き起こった時、あなたはその問題に対面して不安になり、悩んだ経験があるだろう。それでも、心のどこかで妙に楽観視していたという体験はないだろうか。。。

 この時あなたは、未来のあなたから「大丈夫、心配ない」というメッセージを受け取っている。

 もちろん、こうした感覚的なことは、私達のエゴによる思い込みや、希望的な情緒であることも少なくないが、もし、あなたが自分の心を感じ取る感覚を養うなら、その出所を感得し得るはずだと思う。

 時間の流れは、過去から未来へと流れる一方通行ではないし、元々時間とういう存在すら怪しいものだと私は感じている。

 

 自己の創造には努力や意志が必要だし、そう簡単なことではないが、意識的でいる限り私達はみなその途上にいる。

 そのような訳で、本当の自分を知ることと、どう在るか?という問題は同じことなのである。

 実際に、あなたが、自分を理想的な状態へと運んでゆくことに集中するなら、あるべきではない状態も見えてくるはずだ。私達はこうした事を、理想に向かうなら当然起きてくる心の動きだと思っているが、実際にはそれ以上の意味があると私は思う。

 いずれにしても、私の本当の自分に向けた自己創造への奮闘はまだまだ続きそうではある。。。

 

2007/12/03 02:01|山術房:心行TB:0CM:18
 
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