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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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続く自然災害と混乱 

 立春の時にアップしようかと迷い、悪戯に不安を抱かせてしまうのは、、、と、敢えて掲載しなかった記事です。この記事を今更アップしても、、、と迷いましたが。。。


 今年は一白戊子年で、年盤は下のようになります。

    破
 ┌─┬五┬─┐
 │9│5│7│
 ├─┼─┼─┤
 │8│1│3定
 ├─┼─┼─┤
 │4│6│2│
 └合┴暗┴─┘
    太

 五黄土星に歳破が掛かっており、今年発生する災害、事件は事の外大きな災害となりやすい年です。死や腐敗を象徴する五黄土星に歳破、支合などが掛かる時は、災害も大きくなり、特に多大な被害者を出す傾向があるように思います。

 最近では1995年の阪神大震災がそうでしたし、スマトラ島地震津波は五黄土星甲申年で、やはり五黄土星がらみの年でした。五黄土星が絡むと必ず災害が出ると言うわけではありませんが、仮に、そのような災害があった場合、前述したように被害は大きくなる傾向があると思われますので、ご注意の程を。。。


 また四禄木星に凶殺は掛かっておりませんが、支合となっていて風害がありそうですし、六白金星暗剣殺と絡んで交通事故、列車事故、航空機事故などかもしれません。

 気になるのは六白金星の暗剣殺とそれに太歳神がつくことで、政治問題は混乱をしやすく、突発的な出来事が問題を深めるかもしれません。太歳神という正義の神が付くのですが。。。太歳神の声を無視すると、後々後を引く事になりそうな気配です。


 奇しくも、チベット弾圧事件は七赤金星乙卯月で、五黄土星に月建(月の十二支)が付いていましたし、その日も二黒癸丑で、五黄土星に日辰(日の十二支)が廻っていました。

 ミャンマーのサイクロン被害のあった。5月2〜3日は、六白金星丙辰の月で、やはり五黄土星に月建が付き、年の暗剣殺星六白が中宮に来た月。3日は七赤金星癸卯日で、同様に五黄土星に日辰が廻っています。

 そして今回の四川省地震のあった12日は、五黄土星丁巳の月で、歳破の五黄殺が中宮に来る月であり、年盤での暗剣殺六白金星は月盤でも歳破となっています。日盤は七赤壬子の日と暗示こそ弱いものの、地震の星三碧木星に日辰が付き、大地を示す二黒土星が日破となっておりました。


 一度はお蔵入りにした記事を引っ張り出して来ましたのも、ここまで大きな事件が続きますと、今後も同様に気持ちを引き締めて、注意された方が良いのではないかとの老婆心が高じてのことであります。もちろん、何事もないようにと願いますが、最近日本でも地震が多発しておりますので、注意されるに越した事はないでしょう。


 それにしても、些か気になっておりますのが、チベット弾圧、ミャンマーのサイクロン被害、そして、今回の四川省地震と、全てがチベットを中心とする地域で起きていることなのです。

 ヒマラヤ山系を抱く彼の地は世界の屋根と称されて、一大聖地としてその霊統を保持してきました。雛形経綸に照らせば、日本では富士の霊統に一致します。その地でかような混乱が続く事自体、由々しき事態と察して余りあります。

 神聖な霊統を保持する地域は今では随分と少なくなり、彼の地が世界の平和を祈念してきた功績は多大で、その祈りによって世界中が守られてきた事を知る人は少ないかもしれません。

 それでありながら、一連の事件によって彼の地の揺らぎが顕著となり始めた今、私達はまさに大きなうねりの中にいるのだと痛感せざる得ません。


 既に記したように、これらの事件は五黄の星が大きく関わっている事は明白ですが、その五黄はカルマの星でもあります。それ故に、私たち一人一人の、そして、世代を超えて蓄積してきた悪しきカルマが深まれば深まるほど、五黄土星の猛威は留まる事が無いのではないかと思えるほどです。


 私は、私達が今、霊性の黎明期にいるのだと信じておりますが、それは責任の夜明けだとも思っております。上述の働きによって、いまや私達はカルマの結果を受け取る速度が増しつつあります。恐らくそれは、少しく、スピリチュアルなことに関心のある方にはそれとなく実感されつつあることではないでしょうか。。。

 それは取りも直さず、良いカルマも、悪しきカルマも速やかに、自分に戻ってくる事によって、出来事自体が私達の教訓足り得る時期に来ていることを示しています。


 スピリチュアルに関心を持たれる多くの方は、その全人類的なカルマの奔流の中で、自己を見失い、行き場を失ってきた人たちであるでしょう。その波は日に日に激しく、速くなり、殊更厳しい情況にある人も少なくないかと思います。

 それでも、自らの、そして全人類的なカルマを自らの肩に引き受ける事によって、速やかに、過ぎ去ってゆきますよう、祈ります。


 少なくとも、あなたの責任をあなたの肩に取り戻すことで、世界は変わって行くでしょう。もちろん、皆さんはきっと、いつでもそうしていると言う事でしょう。もちろんそれは解っています。しかし、その中にはあなたが気付いていないものもあります。

 どうかそれを、辛くても受け取ってください。そして、良きカルマを今この瞬間から蒔き始めてください。あなたの祈りには、あなたが想像している以上の力があります。信じてください。あなたの祈りには、あなたが思っている以上に素晴らしい力があるのです。


求めてください、それを神が行います。

神にしてもらうにふさわしい祈りを捧げて下さい。

そうすれば、あなたの祈りが通じない事は決してありません。


 この記事をもって、当ブログはしばらくの間、お休みさせて頂きます。長い間、ありがとうございました。

 神はいつでもあなたと共にいます。あなたがいつでも神と共にいますように。。。それではいつかまた。。。


2008/05/13 22:28|卜術房:気学TB:0CM:8
 

在る、する、持つ 

 最近、「直感への道」 を読み返している。「聖なる予言」 の著者ジェームズ・レッドフィールドが尊敬しているペニー・ピアスの著書という事で、流し読みして以来、きちんと読んだことが無かったからだ。その中でペニーピアスは創造の流れをこう記している。

 
      在る(精神)
       /\
      /  \
     /    \
    /      \
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  持つ(肉体)   する(心)
 
 私達は、望む状態に「在る事」から始めて、それを「する」事で、「持つ」に至ると。。。ところが私達は「在る」という状態に関心を向けないので、する⇒持つ⇒する⇒持つ・・・という繰り返しの中で生きている。けれど在るという状態をないがしろにしていてはこの循環に捉われて、延々と、し続ける以外になくなる。

 これは精神=魂、心=自我、持つ=肉体、としても同じだろう。魂は背後にある存在させる場のようなものだ。だから、それを働かせないと、持った「物」も崩壊の不安が付きまとい、常にし続けなければ維持できないという事になる。

 もっともこの世に永遠なる「物」は存在し得ないのだから、一度作り出したものが永久的に存続するはずはないが、一度「在る」状態を手に入れると、形態は変化し続けても背後にある「持つ」状態は変わらなくなる。それはつまり、生み出したい「物」の設計図を持つようなものだ。

 その物がなくなっても、いつでも同じものを作り出せる。もちろん、目的のものが作り出せた暁には、より良いものを作り出したいという思いがまた、生まれることになるではあろうが。。。

 

 ところが私達はこの設計図を持つことなく、闇雲に求めるものを作り出そうとする。出来たものはいつも、どこか違う、、、これじゃない、だからもう一度作り直さなければ、、、と、何度も何度も作り続ける。しかし、一行に図面を引くという事に思い至らない。。。

 私達は、何かをしようとするとき、まず「在る」事から始めなければならない。この事は繰り返し書いてきた事であるが、不安から始めた事は、恐らくあなたが求めている物とは違うはずである。あなたは幸福な状態を作り出そうと、それを作り始めようとしたはずだから、、、なのに、不安という設計図を見て作り始めても良いのだろうか?

 

「する」あるいは「したい」、「しなければいけない」というのは心から生まれるもの、つまりは自我の働きだ。エゴはここで体験の核として働く事になる。その「する」、「したい」という欲求は、魂の状態と現実の私達の状態との乖離を埋める働きとして生じる欲求と言って良いだろう。

 つまり、私達は魂の完璧な状態を、完全に今、ここに反映させたいのだということだ。これがあらゆる欲求の根本に存在する事を知っておくのは、とても大切な事だと思う。

 従って、あなたの魂を感じなさいという言葉は、あなたがしたがっている事の本当の理由を知りなさいという事に等しい。

 

 例えば、私達には食欲という生理的な欲求がある。食べなければ空腹感に襲われて、満ち足りた感情を味わう事はできない。しかし、魂は常に満ち足りた状態にあるから、この溝を埋めるためにあなたは『食べたい』と思い始める。あなたが食べるのは満ち足りた思いをこの世に反映するためで、腹を満たす事だけが目的なのではない。

 魂は何も食べる必要がないのだから、腹を満たすだけでは、目的を達せられない事が解るだろう。食事で言えば、美味しいものを作ってくれた、、、という愛に満たされていると感じること、その愛を十分に受け取ったという感謝、それらが無ければ、満ち足りた、、、という思いには至れない。。。

 だからイエスは「あなた方はパンだけで生きているのではない」と言ったのだろう。

 

 話はそれるが、私がグルメブームが嫌いなのはこの辺に理由がある。同じ食べるなら美味しいほうが良いに決まっている。けれど、ただ美味しい「物」を食べるだけでは、上記の事から言って、満ち足りたどころか渇望しか生まない。

 食事は満ち足りた思いを三度三度確認するかのような神様の慈悲なのだと思う。いつの間にかそれが置きざられてしまっては、満ち足りたどころか、三度三度渇望を確認しているに他ならない。渇望という「在る」状態から一日が始まり、一日が終わる。。。まさに、そのような社会を作り出している元なのだと思う。

 古代ローマでも、フランスでも、その文化の末期は決まってグルメブームがお盛んだったのだ。。。

 

 さて、精神(魂)と心と行動を一本につなげること、それこそが様々な問題を根本から解決すいる唯一の方法なのだと思う。

 あなたが何ものかと聞かれた時、ある人は言った。

 

 私は「これ」であるという時、それは既に過去の私に過ぎない。

 それとも、未来に自分はこうなっているという、希望的な観測をあなたは聞きたいのだろうか?

 本当に今この瞬間の私の事を聞きたいのなら、それは「無」である。

 

 私達は同じ失敗を繰り返すかもしれない。いな、そういうことの方が多いだろう。それでも、私達はもはや、その時と同じ自分ではない。何かを変えるために、、、これはとても大切なことだ。

 たとえ何度同じ失敗を繰り返したとしても過去の自分とは無縁である。少なくとも、そこから出発しなければ、何も変わらないのではないだろうか?

 今この瞬間、あなたは無である。この瞬間にこうしたいと思ったこと、、そこから、あなたの未来ははじまる。。。と、そう思う。


2008/05/10 13:54|心象房:願望実現TB:0CM:0
 

命の値段 

 ここ数日どんよりとした気分で過ごしている。というのも週刊ポ○トの記事とTVタッ○ルで後期高齢者の問題が取り上げられているのを見たからだ。

 75歳以上の高齢者の方々から保険料を天引きするという行為に対し、それとなく批判を書いては見たものの、ここに至っては怒り心頭を禁じえない。これらの記事が事実なら、以下のようになる。。。


1、医師が75歳以上の末期患者に延命措置をとらない旨のサインを貰うと厚生省から2000円が支給される。

2、75歳以上の入院患者を病院から追い出せば1000円の補助金が厚生省から出る。

3、75歳以上の糖尿病など生活習慣病を持っている人に対する補助は6000円で打ち切られる。つまり効果の薄い治療しか受けられなくなる。

4、65歳以上の障害者は後期高齢者と同じ扱いになる。


 高齢化社会に伴なって、高齢者の医療費増加は国にとって切実な問題には違いないだろう、終末医療にかかる費用が500万〜1000万ともなれば、無視できないというのは解る。しかし、該当記事では現場医師の調べでは30万前後しかかからないとの事。。。法外な水増しをして、その方々の不安感や責任感を煽ってまで、自分たちを正当化するとは何事だろう。

 その一方で、件の天下り問題や、無駄遣いの問題、様々な責任の所在は明確にもせず、増税路線一辺倒の昨今、どう見ても容認できる問題ではない。


 今日放送されたTVタッ○ルを見ていると、国会議員に対する説明と実際の施行実体が違っていたとも言っていた。施行される制度の中身をチキンと理解もせずに制度を通してしまう議員も議員だが、国会議員すら欺いて自分たちに都合の良い制度を進めてしまう行政。。。

 こんな事がまかり通ってしまう今の日本は、本当にどうなってしまったのだろう? 


 高齢者に高い医療費かかれば、それを捻出する若者達の勤労意欲が削がれるとか言っていたが、その若者たちもいずれは後期高齢者になる訳で、相身互いの精神はどこへ行ったというのだろう?

 世論調査では税金が多少高くなることに不満を持つ国民は少ない、まるで責任感もなく、責任を取るでもなく、税収が不足すれば税金を上げれば良い式の行政の態度に多くの国民は不満を持っているというのに。。。


 今年は一白年で、六白金星は暗剣殺。六白金星の象意は高齢者で、しかも政治家、行政官である。歳運の影響とはいえ随分とひどい。

 あなたの命の値段が1000円、2000円、6000円だと言われたら、その人たちは一体どう思うのだろう?

 こんな悪法を無碍もなく通してしまう私たち自身が腹立たしい。命の値段を決めてしまった日本。。。正道に戻る日は来るのだろうか。。。


2008/05/05 22:53|雑記TB:0CM:0
 

幸運と不運の境目は。。。 

 今日、時折り覗きに行くブログで、幸運な人と不運な人の違いが書かれていた。何でも現代科学で、そのような人たちの統計がとられ研究されているらしい。

 それによると幸運な人というのは、何事も上手く行っていて環境を変える必要性の無い時に、直観に従って環境を変えてしまう人らしい。


 私達が環境を変えようと思うときというのは、何かがうまく行っていない時が多い。例えば仕事がうまく行かないから転職しようとか。。。地域の人たちとうまく行かないから引越ししようとか。。。

 私見ではあるが、不運な人ほど環境を変えなければならないという必要性に迫られて行動する事が多いように思う。


 家庭や仕事など、万事うまく行っていて、いきなり仕事をやめて転職しようなどと考える事の方が珍しいだろう。だから考えるまでもなく、上手く行かない時ほど、それを打開しようとして動いてしまうものだ。

 しかし上手く行かない時というのは、占術的にも概して運の良くない時期ということになる。そのような運が良くない時期に転職や結婚などををしようものなら、その運の悪さを何年も引きずる事になってしまう。。。

 逆に運の良い時期なら、仕事を探しても良い仕事が見つかるだろうし、移転でも良い物件や条件のものが見つかりやすいだろう。運の良い時期に新しい事を始めると、その運の良さを何年も持ち越すことが出来る。


 だから極めて単純な物言いであるが、運の良くない時期は忍耐が寛容なのだ。夜明けを待てずに歩き始めては、足元も見えず石につまずいて転んでしまうのがオチという事になる。

 もちろん、一律にそうだと言いきれる問題ではないが、占術上は基本的に「幸運な時こそ動け!」なのである。


 けれど幸運な時と一口に言ってしまうと、波に乗っていて有頂天な時が幸運な時期だと勘違いされやすい。有頂天な時期というのは、太陽が真上に来てしまった時期ということだから、その後太陽は傾くしかない。。。だから、あまりにもうまく行って勢いに乗りすぎている時というのも曲者なのである。

 この見極めがとても難しいと思うが、平たく言ってしまえば、問題をさして何も感じない時期とでも言おうか。。。

 勢いに乗り過ぎて足元が疎かになっている時期でもなく、何かと難儀して打開をしようと半場脅迫的に動くことを迫られている訳でもない時期。。。一日で言えば朝起きて眠気も覚めた頃であり、四季で言えばちょうど今頃の時期という事になるだろう。


 自分の人生の四季を見極めること、、、これもまた大切なことだろうと思う。


2008/05/02 03:56|開運についてTB:0CM:0
 
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