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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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在る、する、持つ 

 最近、「直感への道」 を読み返している。「聖なる予言」 の著者ジェームズ・レッドフィールドが尊敬しているペニー・ピアスの著書という事で、流し読みして以来、きちんと読んだことが無かったからだ。その中でペニーピアスは創造の流れをこう記している。

 
      在る(精神)
       /\
      /  \
     /    \
    /      \
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  持つ(肉体)   する(心)
 
 私達は、望む状態に「在る事」から始めて、それを「する」事で、「持つ」に至ると。。。ところが私達は「在る」という状態に関心を向けないので、する⇒持つ⇒する⇒持つ・・・という繰り返しの中で生きている。けれど在るという状態をないがしろにしていてはこの循環に捉われて、延々と、し続ける以外になくなる。

 これは精神=魂、心=自我、持つ=肉体、としても同じだろう。魂は背後にある存在させる場のようなものだ。だから、それを働かせないと、持った「物」も崩壊の不安が付きまとい、常にし続けなければ維持できないという事になる。

 もっともこの世に永遠なる「物」は存在し得ないのだから、一度作り出したものが永久的に存続するはずはないが、一度「在る」状態を手に入れると、形態は変化し続けても背後にある「持つ」状態は変わらなくなる。それはつまり、生み出したい「物」の設計図を持つようなものだ。

 その物がなくなっても、いつでも同じものを作り出せる。もちろん、目的のものが作り出せた暁には、より良いものを作り出したいという思いがまた、生まれることになるではあろうが。。。

 

 ところが私達はこの設計図を持つことなく、闇雲に求めるものを作り出そうとする。出来たものはいつも、どこか違う、、、これじゃない、だからもう一度作り直さなければ、、、と、何度も何度も作り続ける。しかし、一行に図面を引くという事に思い至らない。。。

 私達は、何かをしようとするとき、まず「在る」事から始めなければならない。この事は繰り返し書いてきた事であるが、不安から始めた事は、恐らくあなたが求めている物とは違うはずである。あなたは幸福な状態を作り出そうと、それを作り始めようとしたはずだから、、、なのに、不安という設計図を見て作り始めても良いのだろうか?

 

「する」あるいは「したい」、「しなければいけない」というのは心から生まれるもの、つまりは自我の働きだ。エゴはここで体験の核として働く事になる。その「する」、「したい」という欲求は、魂の状態と現実の私達の状態との乖離を埋める働きとして生じる欲求と言って良いだろう。

 つまり、私達は魂の完璧な状態を、完全に今、ここに反映させたいのだということだ。これがあらゆる欲求の根本に存在する事を知っておくのは、とても大切な事だと思う。

 従って、あなたの魂を感じなさいという言葉は、あなたがしたがっている事の本当の理由を知りなさいという事に等しい。

 

 例えば、私達には食欲という生理的な欲求がある。食べなければ空腹感に襲われて、満ち足りた感情を味わう事はできない。しかし、魂は常に満ち足りた状態にあるから、この溝を埋めるためにあなたは『食べたい』と思い始める。あなたが食べるのは満ち足りた思いをこの世に反映するためで、腹を満たす事だけが目的なのではない。

 魂は何も食べる必要がないのだから、腹を満たすだけでは、目的を達せられない事が解るだろう。食事で言えば、美味しいものを作ってくれた、、、という愛に満たされていると感じること、その愛を十分に受け取ったという感謝、それらが無ければ、満ち足りた、、、という思いには至れない。。。

 だからイエスは「あなた方はパンだけで生きているのではない」と言ったのだろう。

 

 話はそれるが、私がグルメブームが嫌いなのはこの辺に理由がある。同じ食べるなら美味しいほうが良いに決まっている。けれど、ただ美味しい「物」を食べるだけでは、上記の事から言って、満ち足りたどころか渇望しか生まない。

 食事は満ち足りた思いを三度三度確認するかのような神様の慈悲なのだと思う。いつの間にかそれが置きざられてしまっては、満ち足りたどころか、三度三度渇望を確認しているに他ならない。渇望という「在る」状態から一日が始まり、一日が終わる。。。まさに、そのような社会を作り出している元なのだと思う。

 古代ローマでも、フランスでも、その文化の末期は決まってグルメブームがお盛んだったのだ。。。

 

 さて、精神(魂)と心と行動を一本につなげること、それこそが様々な問題を根本から解決すいる唯一の方法なのだと思う。

 あなたが何ものかと聞かれた時、ある人は言った。

 

 私は「これ」であるという時、それは既に過去の私に過ぎない。

 それとも、未来に自分はこうなっているという、希望的な観測をあなたは聞きたいのだろうか?

 本当に今この瞬間の私の事を聞きたいのなら、それは「無」である。

 

 私達は同じ失敗を繰り返すかもしれない。いな、そういうことの方が多いだろう。それでも、私達はもはや、その時と同じ自分ではない。何かを変えるために、、、これはとても大切なことだ。

 たとえ何度同じ失敗を繰り返したとしても過去の自分とは無縁である。少なくとも、そこから出発しなければ、何も変わらないのではないだろうか?

 今この瞬間、あなたは無である。この瞬間にこうしたいと思ったこと、、そこから、あなたの未来ははじまる。。。と、そう思う。


2008/05/10 13:54|心象房:願望実現TB:0CM:0
 
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