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趣味占放談

主に東洋占術の思想を使ってあれこれ考察しています

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Author:やわたうま
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言霊・・・その1? 

 日本には古来から言霊思想(「言霊(コトダマ)の国」解体新書 )がある。言葉には霊力が宿っているという思想だ。言語というのは思考の根幹だ。言葉がなければ考えることが出来ないわけだ。考えることが出来なければ判断も決断も出来ない。そのような意味でも言葉には確かに力がある。だが、言葉の力はそれだけには止まらず発声そのものにも力があるとされる。言葉はその意味と、発声の両方から力を放出しているのである。

 昨今は日本の伝統的な言葉が失われつつあると懸念されている。なるほど昨今では美しい韻を踏んだ言葉を聞く機会は滅多にない。短縮された言葉は元来の意味すら失われつつあるように思う。特に若い人たちの言葉を聞いていると、しばしばその確信を深める機会に出くわす。

 言葉の変遷は時代の流れだから、それを殊更諌める気持ちにはならないが、私の言語中枢からは理解不能の信号ばかりがほとばしる(笑)

 言語が乱れるということは、言葉が持っている意味合いが曖昧になるということだ。曖昧な意味合いの言葉で思考しても曖昧な結論しか得られないのは自明の理だろう。いただけないのは、彼らの言葉が感情言語を多用しているということだ。

 もちろん、そのような環境に置かれているということもあるのだろう。が、気をつけないと自分たちの人生そのものを破壊しかねないと懸念する(いい言葉は、いい人生をつくる―いつも私は「言葉の力」を味方にしてきた )。もっとも、右脳的な言葉の使い方は日本人特有のものだ。その特性があったればこそ、言霊と言われるほど日本人の言葉には力があったのだと思う。 右脳的言語という意味では、昨今の言葉は大和言葉(大和言葉を忘れた日本人 )の 元型に近いのではないかとも思えるが言葉と感情の昇華が必要だろう。この点が修正されなければ、日本の未来にとっても由々しき事態になるのではなかろうかと案ずる。

 

 真言密教には身・口・意(しん・く・い)というものがある。印を結び、真言を唱え、観想することだ。その筋には密教が絶大な法力を持つことで有名だが、それもこの身口意のおかげなのだという。もしこれを現代感覚に翻訳すれば、ビジョン・目標・イメージ(意)を持ち、アファーメーション・前向きな言葉(口)を語り、実行(身)するということになるだろうから、なるほど、その法力は絶大なのだろうと想像する。密教のこのシステムは、願望実現のシステムそのものだと思われた方もおられるだろう。

 

 何故このような記事を書くかといえば、たまたまニュースでアナウンサーが妙な表現をしていたのがきになったのだ。理由は他愛ないのだがシリーズ化しようかという思惑が働いた(笑)

 さっと、読み流していただければ幸いである。

 

2006/02/25 11:39|山術房:言霊TB:0CM:7
 
コメント
それは無理です(笑)
 謙遜しても駄目ですよ。ロウワイズさんの直感はかなりの物と思っていますし。

>脳の感覚を刺激するか
>響き(振動)を体内に響かせて感覚を刺激するかの違いです。

 これ、これですよ。やっぱりロウワイズさんの直感は只者ではありません(笑)
 先日みのもんた氏のおもいきりテレビで「演歌で健康になろう」というのがやっていました。
 認知症にはビブラート。がん予防にはうなり節。生活習慣病には高音で長い発声。が効果があるとのことです。

http://www.ntv.co.jp/omo-tv/

 で、ビブラートは視床下部を刺激するらしいのです。視床下部といえば全身のホルモン司令塔ですし、ヨガでは第三の眼と対比されて超能力の核とされているところ。上丹田に位置します。

 マントラを唱えたことがある方ならお分かり頂けると思いますが、聖音とされる『オーム』を唱えると、『オ』と『ム』の間の『溜め(ー)』は『オーンーム』となり鼻音になりますよね。つまりビブラートと同じ働きになり、視床下部を刺激する効果がある。まさにロウワイズさんの推測どおりです。
 というわけで期待は膨らむばかりです(爆)
やわたうま #ShEDFCH2|2006/02/27(月) 22:58 [ 編集 ]
 
過度の期待はなさらないで(苦笑)
私の解釈は断片的な知識をベースにした
直感から構築されたものですから、
確たるモノではないと思って下さい(笑)。
ただ、祈りの儀式と韻に共通点があるとするならば、
いずれも脳内の感覚拡大を成し遂げる為の別の方法論ではないかと思います。
言葉というものは
外に対して出している以上に体内に響いているものです。
ある行動を取る事、つまり動かすことで
脳の感覚を刺激するか
響き(振動)を体内に響かせて感覚を刺激するかの違いです。
そして、その別の方法論の相乗効果を狙って行なわれるのが神名を唱えながら儀式を行なうと言うものではないでしょうか(笑)。

知識としての蓄積ではとてもヤワタウマさんにはかないません(爆)。
過度に期待なさらないで下さいね(苦笑)。
ロウワイズ #-|2006/02/27(月) 20:23 [ 編集 ]
 
言葉の韻
 そうです。言霊シリーズです。もっとも私のは五行別の言霊解釈シリーズの予定でしたが(笑)

 一応私的には仏教と密教は分けて解釈しているつもりですが、神・仏名が祈りとか、アファーメーションの簡略的なものではなく、発声の波長自体に意味があるという解釈で宜しいのでしょうか?
 言葉の韻に後から意味が付与されたということですよね。
 日本の神々に関しては、今でこそ神様の名を聞けばなんとなく意味が分かるけれども、もともとは言霊から発声しているとは思っていました。
 ただ、マントラに関しては、仏様の名をサンスクリット語で呼んで、それに帰依すると唱えているだけだとばかり思っていましたので、韻のことまでは頭が回りませんでした。
 そうなると、確かにアファーメーションとは一緒に出来ませんね。祈りとかアファーメーションの場合は韻ではなく意味自体が重要ですから。

 ルーンもそうなんですか。。。って、ルーンは名前しか知りませんけど(苦笑)
 日本の古語にせよ、ルーン、ヘブル語もそうですよね。それらは韻に重要性があるということですね。なんかわくわくしますね(笑)
やわたうま #ShEDFCH2|2006/02/27(月) 01:37 [ 編集 ]
 
シリーズ?
再びお邪魔します(笑)。

訂正ですかぁ?(苦笑)。
するとすれば、密教と仏教は似て非なるモノです。密教の根本はむしろヒンズー教ですね。
それと神名や仏名を代替に使ったというより、神名や仏名そのものが真言そのものであったり、神域との交信に用いる特殊な韻を持つ言葉の波動を表現したものではないでしょうか。
宗教思想として成立する過程で
大衆に理解させる為に姿形を与えたと
考えた方が自然でしょう。

ちょっと思いだしましたけど、
ルーンもその手の言語ですね。
一文字ごとに神が象徴されていますし。
ロウワイズ #-|2006/02/27(月) 00:03 [ 編集 ]
 
言葉の力は偉大ですね
>ロウワイズさん

 いやいや、ロウワイズさんが言霊やカタカムナに詳しいとは思いもよりませんでした。早く言ってくれればシリーズをお願いしたのに(笑)

 カタカムナは高校の頃ある人に薦められ読んだことがあります。全部で20巻ぐらいあったと思いますが、ちんぷんかんぷんでした。
 後になって出口王仁三郎の霊界物語などを購入して読むようになり(こちらも未だに???ですが)雛形思想と相似象の関係などを面白がっている程度です。
 占いをやっている関係でイヤシロチやケガレチぐらいは分かりますけど。。。
 機会があったら是非教えてください。

>chitochitoさん

 頭が固いので、自分の言語体系に一致しないと違和感を感じるだけなんですよ(笑)

「夢で薦められた4冊の本」で3冊はマーフィーの本ということで書きましたが、まだ書いていない1冊の本。実はこれが「神との対話」なんです。勿体付けてたのでchitochitoさんに先に紹介されちゃいましたね(笑)

 アファーメーションと真言は直接には関係ありませんけど、機能的には同じなのではないかという意味で取り上げました。三蜜を行う際のマントラ(マーフィーなら祈り)と観想・意念(マーフィーではイマジネーション)という組み合わせは同じですし、発声を三蜜の身と考えることもできるかな〜と。

 祈り、アファーメーションのかわりに、密教では仏様を、神道では神名を使ったなんてことないですかね?
(間違いがあれば訂正お願いします>ロウワイズさん)
やわたうま #ShEDFCH2|2006/02/26(日) 01:30 [ 編集 ]
 
私狙いですか(爆)
これにはコメントしませんと(爆)。

真言密教の真言ってのはサンスクリットですから
本来的には日本語とは無関係ですけどね。
日本で言う言霊の思想は
純然たる神道の範疇です。
いわゆる祝詞(のりと)ですね(笑)。
卑弥呼の時代から
神との交信を目的とした巫女が存在しますしね。
一昔前まで表記も違いましたね。
きょう(今日)はけふ
ちょう(蝶)はてふ
これも言霊思想の影響でした。
長音や濁音は穢れを呼ぶとされ
それを表記するとより力が増すと考えられたようです。

あと、カタカムナ文献ってご存知ですか?
古代科学書と呼ばれるモノで
音の持つ振動数をコントロールする事で
物質に干渉し、
原子構成を変化させるなんて事が
書かれていたりします。
「みところかえし」と言う奥義を極めれば
ただの土から生命を誕生させられるとか
金属の精製を可能にするとか
まるで錬金術のような事ができるんだそうです(爆)。
ロウワイズ #-|2006/02/25(土) 20:34 [ 編集 ]
 

やわたうまさん、アナウンサーの表現でこのトピックを取り上げるとは、ただもんじゃないですね(笑)。
「神との対話」の中で、神様が「言葉はコミュニケーションの最後の手段だ」と言ってますが、それが本当だとしても、最後の手段の言霊の力は大きいですよね。
ニューエイジ系や精神世界の本に頻繁に登場する「アファメーション」も真言密教から来たものだったんでしょうか?
太古から人がある限り「願望」はあったはずですから「祈り」や「アファメーション」に似たものを言葉にしていたのかもしれません。
言葉には気をつけよっと・・。
chitochito #-|2006/02/25(土) 17:38 [ 編集 ]
 
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